切実
紫苑が実は女だったと分かり、紅真が邪馬台国に来てから数週間が過ぎた。
当初は皆、遠巻きに彼の様子を窺がっていたが、紅真という人物。実はかなり話しやすい。
少々短気な所もあるし言葉は悪いが、どうやらそれが地であるらしい。
そういう人間であるのだと思ってしまえば大して気にはならないものだ。
むしろ年相応としていて、親しみやすいかもしれない。
紫苑に関してのみ、その接し方に注意さえすれば、それほど危険もない。
むしろ紫苑意外に大した関心のない彼は無害同然である。
何か不当な事があった場合は、紫苑を呼べばそれで全てが片付くのだ。
邪馬台国の人々も、彼を受け入れ始めていた。
そんなある日のこと。
紅真は一人悩んでいた。
それの重みは人それぞれだが、本人にとってはとてつもなく切実である悩み。
川原の片隅に座り込み、一人川面を見つめては溜息をつく。
そんな事を朝から延々繰り返し。気が付かなくとももう昼である。
さすがに他の面々も気になるというもの。
あまりに自分一人の世界に入りこんでしまっているために、とてつもなく声を掛け難い状況である。
そんな中果敢にも声を掛けたのは。
「おい、紅真」
「…」
紅真は返事をしない。
よって声を掛けた側は名が明らかにならない。
しかしいつかは出るだろう。
そのまま話を続ける。
「おい!返事くらいしろよっ!…ッたく。一体何をそんなに考えこんでやがんだ?」
声の主――レンザ――は顔を顰めた。
紅真は相変わらず、心ここにあらずといった様子で川面を眺めたままだ。
暫くの時が経ち。
もういい加減戻ろうかとレンザが踵を返しかけたその時。
「おい…」
紅真が声を掛けた。
レンザは歩みを止めて振り返る。
「なんだ?」
レンザは返事をした。
未だ紅真は川面を見つめたまま。こちらを見向きもしないが、声を掛けてきたという事はこちらの存在に気付き、尚且つ自分だけの世界からは抜け出ている証拠なのだろう。
自分から声を掛けた手前、そのまま無視する事も出来ず。レンザは几帳面にも返事を返した。
紅真の隣に腰を下ろして、話を聞く体制に入る。
「……お前…どうしてる?」
「……は?…何が?」
唐突に訊ねられた言葉に、レンザは訳が分からずあっけに取られたような声を上げた。
はっきり言って意味がわからない。
主語も何もないではないか。
しかも唐突過ぎである。
よって、レンザは再び訊ね返した。
無視できない所が彼らしいと言うかなんというか。良い所であるのだろう。
「…お前…好きな女がいるんだよな」
聞き返すレンザに、紅真は半眼を向けた。
あからさまに呆れているのが分かる表情だ。
紅真の言葉に、レンザはこちらもあからさまにうろたえてみせた。
何を今更…という気もするが、自分で言うのと人に言われるのとには、かなりの落差がある(らしい)。
「な…。それがいったい……ハッ!まさかお前!!」
レンザは勢いよく立ち上がると、ビシッと人差し指を紅真に付きつけ言った。
「俺の恋路を邪魔する気なのか?!!」
その言葉に紅真はレンザから視線を外して、疲れたように魂息をついてみせた。
レンザは言ったのだ。「紅真が壱与に惚れたのか」と。
「アホか。俺様は紫苑一筋だ。あんな女なんかに興味なんて湧かねェよ」
「あんな女だと?!てめぇ、壱与さんを侮辱する言葉は俺が許さねぇぞ!!」
熱くなるレンザに無視するように目線を逸らす紅真。
端から見たそれは実に和やかな喧嘩の風景だった。
「別に侮辱なんかしてねェよ。俺はただ紫苑以外に興味ねぇって言ってるだけだろうが」
話しはきちんと聞けとばかりに、紅真はバカにしたように言い放つ。
レンザは言葉を詰めた。
ここで言い返す事は容易だが、それでは延々の口論になってしまいかねない。
ここは自分が大人になって一歩引こうではないか。
少々顔が引き攣るのは止められないものの、レンザは自らが下手に出てやる事にした。
「いや。まぁ…壱与さんの事になると熱くなっちまうんだよ。―――で?結局お前は何に悩んでたんだ?」
「……」
「?なんだよ?」
「……いんだよ」
「は?聞こえねェよ」
「………やりてぇんだよ!!」
紅真はレンザの耳元で大声で叫んだ。
あまりの声の大きさに鼓膜が破れたかと一瞬不安に襲われながらも、レンザは訊ね返した。
「は?やりたいって…お前、一体なにを―――って、まさか?!」
「気付くのが遅ぇんだよ」
紅真はレンザから顔を背けて言い捨てるようにした。
レンザは目を剥いたまま硬直したかのように紅真に視線を止めたままだ。
「ったく。鈍い奴だな。―――で、どうなんだ?」
「ど…どうって言われてもなぁ……」
レンザは冷汗を掻いた。
一体何を答えろというのか。
とりあえず辺り障りのないところで…誤魔化すしかない!!
と、れんざは心の中でガッツポーズを決め、気取って言ってみせた。
「俺は紳士だからな。こんな時にそんな事は考えねぇんだよ。自分の欲望をコントロールできてこそ、大人の男ってモンさ。壱与さんのためにこの身を捧げて尽くす!それが愛に生きる男の真実!!」
「―――ほぉ…。コントロールねェ……。俺はまたてっきり、全然相手にされてねェだけだと思ってたぜ」
「ぐっ……!!」
「フッ。どうやら図星のようだな」
紅真は勝ち誇ったような不敵な笑みをしてみせた。
レンザの顔が悔しそうに歪む。
「あ〜あ。可哀想になぁ。好きな女に見向きもされないんじゃなぁ。確かにそれどころじゃねェよなぁ」
「な!見向きもされてないだと!!―――だいたい、お前だって似たようなもんじゃねぇか!紫苑が自分からお前に声を掛けた所なんて、数えるほども見た事ねぇぞ!!」
「フン。紫苑は照れてるだけなんだよ。だいたい、俺と紫苑は婚約者同士なんだぜ。使える奴程度にしか見られてないお前なんかと一緒にするんじゃねェよ」
「婚約者同士ったって、親が勝手に決めたことだろうが。案外紫苑は不本意なんじゃねぇのか。親の決めたことだからしぶしぶ従ってるだけ―――ってやつでよ」
「ねぇよ。―――だいたい本当にそうだったら、紫苑は俺をぶっ殺すか、それが出来なきゃ自分の舌噛んで死んででも否定するね。誰かの意見に情や掟で従うような人間じゃねェからな」
紅真はきっぱりと言ってみせた。
自らのことのように誇らしく語るその姿は、端から聞けば単なる惚気だ。
人の惚気話など聞かされて面白い人間など草々いない。
よってレンザはあまり良い気分ではない。
厭味の一つも言ってみたくなるのも仕方のない事だろう。
「ほぉ……。だったらこんな事一々悩んでねェで、直接本人の所に行きゃぁ良いだろうが!!」
「……それが出来たら悩んでねェよ」
「何だよ。以外と押しの弱ェ奴なんだな。俺はてっきり、いきなり押し倒すようなタイプだと思ってたぜ」
「そんなこと出来るかよ」
さり気に失礼な事を言ってくるレンザに、紅真は渋い顔をして返した。
レンザはそれに楽しそうな―――どこかからかうような口調で言う。
「ああそうか。お前の方が紫苑より弱いんだっけか?」
「(ムカッ)そういうことじゃねぇよ」
紅真は明らかに機嫌が悪くなっている。
それを実に楽しみながら、レンザは尚も言葉を続けた。
「いいって。見栄張んなよ。そうだよなぁ…好きな女より弱いってのは、そりゃ深刻な問題だぜ。うんうん」
「だから違うって言ってんだろ。聞けよこのバカ」
一人納得して相槌を打つレンザに、紅真は苦々しい顔で否定の言葉を告げた。
もはや紅真の憎まれ口は負け惜しみにしか聞こえないレンザ。
軽い口調で受け流す。
「だったら他にどんな理由があるってんだぁ?ええ?言ってみろよ」
「……」
「ほれ見ろ。やっぱり図星なんじゃねェか」
「…だから……そうじゃねぇんだよ。俺と紫苑の力差はそんなに開いてないんだから、そんなの関係ないんだよ」
「だったら、他にどんな理由があるっていうんだよ」
レンザの疑問に、紅真は一端言葉をつぐんだ。
言うかどうしようか躊躇っているような素振りを見せてから、躊躇いがちに口を開く。
「――…好きな奴だから…躊躇うだろ。やっぱり」
触れたくて。
傍にいたくて。
見ていたくて。
自分を見て欲しくて。
けれど、それを無理強いなんか出来ない。
「嫌われるのが恐い――って言っちまえばそれまでだけどな」
相手が大切過ぎて、普段の自分でいる事すら躊躇われる。
自分の気持ちをそのまま押し付けて嫌われてしまうのが恐い。
「今までは、もう忘れられてんだと思ってたからそうじゃなかったけど―――」
相手が好きだと言ってくれたら、今度はそれが離れて行きはしないかと臆病になる。
「それに……好きだからな。本気で」
相手の気持ちを無視なんか出来ない。
大切で。大切で。
触れることすら躊躇われるほど。
紅真の言葉に、レンザは僅かばかり目を見開いた。
まさか、彼がこんなに真剣に悩んでいるとは思わなかったのだ。
こんなにも優しく相手を思っているとは思っていなかった。
似合わない。
そう言ってしまえばそれまでなのだけれど、レンザはどこか見直したような心持ちで紅真を見た。
それまでレンザは、紫苑への紅真の気持ちは、子供の独占欲のような簡単なものだと思っていたから。
手に入れるためには手段を選ばない人間だと思っていたから。
「はぁ……。驚いたなぁ…――」
「?何がだ?」
「いや…。お前ってもっとガキなのかと―――!」
思ったことをうっかり声に出してしまい、レンザは慌てて口を両手で塞いだ。
横目に紅真を見てみると、思いっきり不機嫌そうに青筋を浮かべている。
レンザは冷たい汗が背中をつたるのを感じた。
「ほぉ…。お前、俺のことをそんな風に思ってやがったのか……」
「い、いや…その……」
「……そこまで言ったんだ。もちろん覚悟の上だろう」
「か、覚悟って……」
何?
そう訊こうとしたレンザの言葉は、声にはならなかった。
辺り一面に轟音と砂埃が舞い上がる。
それは平和な午後のひとときだった。
「―――だって。愛されてるわねぇ。紫苑くん☆」
「……あのバカが///」
先に言ったのは壱与だ。
二人は紅真とレンザが話していた川原から少し離れた所にある森の影にいた。
実は彼女ら二人はかなり前―――レンザが紅真に話しかける前からここに居たりする。
そして二人の会話の全てを聞いていたいもする。
茶化すように言う壱与に、紫苑は照れ隠しのためか。
吐き捨てるように言うものの、顔が紅くては照れているのがバレバレである。
壱与はそんな紫苑が可愛くて、こっそりと微笑んで見せた。
あの時以来、壱与にとって紫苑は可愛い可愛い妹のような存在になっているのかもしれない。
年齢的には草々離れてはいないが、男として育った紫苑は、女らしさや恋愛的なもの感にしては実年齢以下の照れを見せるのだ。壱与にはそれがたまらなく可愛かった。
「何がおかしいんだ。壱与」
「べっつに〜」
むくれたように言う紫苑に、壱与は笑ながら答える。
森の向こうの川原では、相変わらず砂が舞っていた。
その日以来。
紫苑の紅真へ対する態度が優しくなったというのは、密かな噂となって邪馬台国を駆け巡ったとか。
おわり
■あとがき■
「記憶」シリーズ(何時の間にかシリーズ化/笑)第3弾。
……なんだかなぁ。
もう言うことないです――って言うか謝るしかもう。
紅真とレンザは良い親友…というか喧嘩友達?になれそうな気がします。
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