回想〜Side S〜
第一印象は、あまり憶えていないんです。
初めて彼に会ったのは、
私の国で宴が開かれ
彼が招待されてやって来た時でした。
ただいっそ。
赤く美しい瞳に見惚れた
ということだけを、
憶えています。
話によると、その宴は
私と彼の初顔合わせのための宴だったそうで。
けれど、実際はただ騒ぎたかった。
それだけなのだということは、
直ぐに分かりました。
宴の開かれる、かなり前の日から
私はあまりに緊張していて。
父上や母上にからかわれ続けた事を、
良く憶えています。
早く会いたいという気持ちと。
未だ会いたくないという気持ちと。
会ったらどうしようかという気持ちと。
期待と不安が入り混じった心に、
今にも狂ってしまいそうでした。
初めて会った彼は、どこか怒ったように。
機嫌の悪そうな、そんな表情でした。
とっても素敵な人でした。
とってもきれいな、赤い瞳をしていました。
私はどうして良いか分からず頭が真っ白になって。
気が付いたら。
彼の挨拶にも、
差し出された手にも応えることが出来ずに。
ただ硬直しているだけでした。
きっと無礼な奴だと思われたはずです。
こんな奴を、嫁として娶らねばならないのかと
思ったに違いないと思います。
だって、彼の機嫌の悪さはますます悪くなったようで…。
私は本当に、どうして良いか分かりませんでした。
こんな考えは、いけないのだと思います。
けれど、考えずにはいられないのです。
もし、私が普通の女子として育てられていたなら…
もっと、違っていたのでしょうか。
何か、違う対応が出来たのでしょうか。
そう考えずには、いられませんでした。
私は、男として、育てられる身分だったから…。
宴は何の問題もなく。
実に楽しそうに進んで行きました。
もう真夜中。
男達は酔いつぶれ。
女達は片付けに追われ。
子供達は遊び疲れ。
皆、夢の中。
この国の王家に生まれた女は、
例外なく巫女となり、
一生独身を通すのが決まりです。
しかし、私は例外でした。
何がなんでも、
時代に子孫を残さなくてはならないのです。
子供を産まなければならないのです。
そして、この国の王とならなければ、いけないのです。
この国の王になれるのは男だけ。
けれど私は女で…。
けれど、私でなければ王にはなれなくて…。
少し複雑だけれど、
私はそれから逃れたいと思ったことは、
一度だってありませんでした。
この国が…大好きだったから…――。
だから、私はその運命を受け入れました。
不安はいつだって持っています。
女の私が、本当に。
男として、この国の王になれるのか。
兵として戦っていけるのか。
国を守れるのか。
男として周囲に育てられる私が、本当に。
女として、妻になれるのか。
子を産み、育て、愛していけるのか。
彼の妻になる権利が、あるのか。
数限りない不安に
いつだって、押し潰されそうになります。
けれど。
一度自分で決めた事を曲げるのは、
絶対にいやだから。
できなくても、真っ直ぐに走って行こうと決めたのです。
なのに…。
いきなり、彼の機嫌を損ねてしまいました。
周りの人間に言わせると、
私は表情があまり表に出ないそうで…。
どうやら、相手には思いっきり、
無愛想に見えただろうと言うことでした。
…父上。
笑い事ではありません。
お酒を進められたけれど、
私はことごとく、それを断りました。
そんな気分ではなかったし、それに。
もし酔っ払って、
これ以上、変なところを彼に見せるわけにはいきません。
…酔った事などないから、
具体的にどうなるかは分かりませんが……。
酔った人間に、ろくな奴はいません。
私が女であると云う事を知っているのは、
この国の中でも、限られた極僅かです。
なので、女だと云う事がばれないようにと、
国の子供達と遊ぶと云う事も、
自然と限られて物になっていきます。
成長し、男女の違いが今よりも
もっとはっきりしてきたら、
さらに限られた物になることでしょう。
少し…寂しいと思います。
そんなこんなで私は、
酔うことも、騒ぎ疲れる事も出来ずに。
未だに、起きて暇を持て余していました。
他の女性達の手伝いをしようかとも
思ったのですが、父上曰く。
「今日の宴のメインはお前なのだから、
そんな事をする必要はない。
しかも、お前は表向き男なのだ。
女の仕事を、皇子のお前がすれば、変に思われる」
とのことで…。
それならば、
酒は飲まずとも騒げば良かったのでしょうが…。
…婚約者の男性の前で、そんな事が出来るはずもなく。
そういえば…彼も何もしないでいたから
未だ起きていたはず…。
どうしよう。
お客様のお相手をした方が良いのでしょうか?
っていうか、それが当然ですよね。
他の皆はもう寝てしまって、
私しか起きてる人間がいないし…。
でも。
一体何をすれば良いのでしょうか?
変な事をして、さらに機嫌を悪くしてしまったら…。
いいえ!
そんな風に悩んでいても仕方がありません。
私は意を決して、席を立ちました。
とは云うものの。
真っ直ぐ、彼の元に行く勇気はなく…。
少し宴の席から離れた時のことでした。
?!
背後から急に口を塞がれ、
身体が宙に浮いたのです。
抱きかかえられて、
連れ去られようとしている事が、
混乱した頭でも理解することが出来ました。
私は必死で暴れました。
抵抗の為に、手や首や足。
動かせる、ありとあらゆる部位を動かし暴れました。
しかし、所詮は大人と子供。
私の抵抗は、何の意味も持ちませんでした。
……。
私は、自分の気を集中しました。
本当は禁じられていたのですが、
もうこれしか方法がないと――。
――方術を使ったのです。
ドガッ!
奇妙な鈍い音がして、
私を担いでいた男が崩れました。
私はすぐさま男の腕から逃れ、走り出しました。
しかし、誘拐犯は一人ではなく。
再び、私は捕まりました。
また、方術を使いました。
必死で逃げながら、方術を放ちました。
途中転びながら…。
必死で走りました。
服が掴まれたのを無理やり引き千切り。
捕らえられそうになって、手足が引っ掻かれ。
結っていた髪がほどけて。
それでも気にしないで走り続けました。
誰か、助けて!!
ずっと、そう叫んでいました。
そればかりが、心を支配していました。
後はもうただ恐くて。
恐くて。
恐くて。
もういっそ、泣き叫びたかった…。
体力も精神力も限界で。
最後の追っ手にその腕を捕まれた時、
もうだめだと思いました。
ドンッ!
そう思った瞬間。
鈍い音と。
その後に、奇妙な悲鳴が続き…。
気が付くと、男の手は私の腕を離し。
男は倒れていました。
何が起きたのか、
直ぐには理解できませんでした。
暫らくはただ呆然と、
倒れている男達を見つめていました。
だんだんと冷静さが戻ってきて、
恐怖が身体を突き動かし始めました。
振るえる身体を止めることが、出来なくて。
それでも止めようと、
必死で拳を作って握りしめていました。
漏れそうになる嗚咽を抑えようと、
唇を、噛み締めていました。
ふと。
私の肩に誰かの手が触れて。
私は驚きと恐れのあまり、
恥ずかしいほど動揺しながら、
ゆっくりと振り向きました。
そこにいたのは…彼でした。
驚きました。
何がなんだか分からなくなって。
でも、それと同時に。
今まで抑えつけていた、
ありとあらゆる不安やら脅えやらが
溢れ出てきて。
気が付いた時には、
私は彼に抱きついて泣き出していました。
みっともないほど、震えて。
泣き続けてしまいました。
彼は黙って、そのままでいてくれました。
ああ、彼が助けてくれたんだ。
そのことに気が付いたのは、
それから暫らく経ってからでした。
私達が国に戻ってきたのは、
空の真上にあった月が、
もうだいぶ西に傾いた頃でした。
彼は黙って、私の手を引いてくれていました。
助けてくれた事のお礼もままならない
私の手を引いて。
私を、国まで連れ帰ってくれました。
涙で濡れた目も。
泥だらけの顔も見られたくなくて。
繋がれた手の暖かさが嬉しくて。
恥ずかしくて。
私は、ずっと黙ったきり。
俯いたまま、
歩いていく事しか出来ませんでした。
国へ戻ってくる前に、私達二人は、
この事を黙っているという事だけを決めました。
こんな事、誰にも知られたくありませんでした。
心配も掛けたくなかったし、
方術を使ったことも、
知られたくありませんでした。
本当は、彼らの事を知らせて、
その前後関係を調べるべきだったのだと思います。
この国を滅ぼそうとする奴らの
手先なのかもしれなかったのだから。
きちんと。
調べるべきだったのに…。
でも、知られたくなかった。
恥ずかしいとか、そういうことではなくて。
何故だろう。
何を言っても、嘘な気がしました。
結局は、私の、何か醜い心が
そうさせるのかもしれません。
彼は、私のその言葉を、受け入れてくれました。
男達は、彼が縛り上げて。
そこに放っておけば良いと。
それは…彼らの生に関して、とても危険な事だと。
でも。私には、何も言えませんでした。
だって…。
「ごめん…なさい……」
私の口は、勝手に動き出していた。
急に言葉を発した私に、
言葉の意味を問うように、彼が私を見てきた。
私はそれまで下げていた顔を上げ、
彼の瞳を真っ直ぐと見つめながら言った。
「迷惑かけて…ごめんなさい。
こ、んな…情けないのが婚約者で…ごめん…なさいっ。
強くなるから。女の子…なるから、嫌いにならないで…っ」
私は言った。
涙が出るのを、止められなかった。
彼には、迷惑ばかりかけて。
それは、私が弱いせいで。
こんな情けないのが婚約者なんて、
きっと、凄く、嫌気がさしていると思う。
でも…。
頑張るから。
あなたに見合う人物になれるに、頑張るから。
だから…。
「嫌いに…ならないで」
私は、彼に嫌われたくないのです。
繋がれたその手のぬくもりが、
何よりも暖かくて。
冷え冷えとした夜の空気の中では、熱いほどで。
その熱を、手放したくはありませんでした。
「嫌いになんて…ならない」
彼は、そう言ってくれました。
嬉しかったです。
嬉しくて、また涙が出そうでした。
「嫌いになんて…絶対に、なれない」
彼は、そう言ってくれました。
ありがとう。
嬉しいです。
とっても。
ありがとう。
「…ありがとう―――」
心が、そのまま声になって洩れていました。
顔が綻んでしまうのが、止めれませんでした。
彼は、とっても、優しい言葉をくれました。
「紅真」
青々とした草の生い茂る草原の合間に、
探し人を見つけて、紫苑は声を上げた。
「紫苑…」
呼べば相手は応えてくれて。
ああ。
やっぱり顔が綻んでしまう。
心の中が暖かさでいっぱいになる。
「こんな所に居たのか」
それを誤魔化すために、
呆れたように溜息をついて見せた。
そのまま紫苑は紅真の横に腰を下ろす。
やわらかな風が頬を撫でて吹いた。
「!紅真?!」
隣に腰を下ろした途端に、
紫苑は紅真によって抱きしめられ。
余りに急なことに、慌てたような声を上げた。
反射的に、身体はもがくように動く。
紅真はさらにきつく、
紫苑をその腕で抱きしめてきた。
「紫苑…愛してる」
紅真が耳元でささやく。
その言葉の恥ずかしさと嬉しさに、
紫苑の身体は固まった。
より強く抱きしめてくる紅真の腕の実感が、
とても心地良かった。
あの時。
とても恐ろしくて。
泣き叫びたかった。
助けを呼べなくて。
もうだめだと思って。
気が付いたら、
あなたの胸の中で泣いていました。
強くなろうと思います。
あなたに、迷惑をかけないでいられるように。
あなたが、誇れるように。
強くなりたいと思います。
あなたのその手のぬくもりが、とても暖かくて。
その熱が、私に勇気をくれました。
私を、立たせてくれました。
歩かせてくれました。
優しく、導いてくれました。
忘れられない。
あの時の暖かさを。
あなたと歩いた道を。
あの静寂を。
絶対に、忘れたくない。
第一印象は、あまり憶えていないんです。
それから、あなたは頻繁に、
私を訪ねてきてくれました。
毎日毎日。
あなたが来てくれる事ばかり待って
過ごしていました。
いつまで経っても緊張して、
上がってしまって。
うまく話せなくて。
あなたはいつも、
どこか怒ったような、悲しそうな。
そんな様子で。
ごめんなさい。
私は、いつもあなたを怒らせてばかり。
悲しませてばかり。
嬉しいのは、いつも私ばかりで――。
強くなります。
あなたに心配を掛けないですむように。
あなたの傍にいられるように。
だから、嫌いにならないで。
強くなる。
そう誓ったんです。
もう、情けない姿は見せません。
あなたが、誇りに思えるように。
あなたの、誇りになれるように。
あなたが、いつまでも傍に居てくれるように。
いつまでも、あなたの傍にいられるように。
あなたに、傍にいても良いと許してもらえるように。
もう、涙は見せません。
だから、嫌いにならないで下さい。
おわり
■あとがき■
「記憶」シリーズ第四段。紫苑サイド。
微妙にすれ違ってるお二人(笑)。
もう別人…。でも心の中での回想だからいいや…。
こういう書き方って、すっごく書きやすいなぁ…。
「記憶」シリーズは書きたいことを順に書いていってるから、
話がちっとも進まない。
でもいいのさ。所詮これは裏だから(殴)。
それにしても…今回は本当に、書くの恥ずかしかった…。
甘々って好きなんだけどなぁ…。
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