花夢 








たくさんのことを見て。
たくさんのことを知って。
たくさんのことに出会って。
たくさんのことを感じて。
そして、大きな大きな夢を見て。










「名前はアカツキ君か〜。あ、『ちゃん』の可能性もあるのよね」
「どちらかは生まれてみないとわからないさ」
「どっちにしても、紫苑君と紅真君の子供だもの。きっと頭が良くて強いわよ!」
「いや…どうだろうな…」
「謙遜しないッ。う〜ん、これはもう次期邪馬台国の王として予約入れておこうかしら」
「いや、人格もわからないのにそれは…。そもそも、まだ生まれてもいないのに…」
「うん、そうよね〜。やっぱり王を血統で継がせようとするから頭の悪い王が生まれるのよ。やっぱり王として認められる人間に次を任せたいもの。それにしても、まさか紅真君が子供の名前を考えてるなんてね〜。案外、子煩悩なお父さんになるんじゃないかしら」
「いや、壱与、そうじゃなくて…」
「もしも娘だったりしたら、絶対『嫁になんてやるか〜』って大騒ぎするわよ、きっと。あ、そういえば字はどうするの?」
「字?」
「そうよ。私はもともと孤児だし、名前も卑弥呼様につけてもらったものだからよく知らないけど、王族って基本的に『漢字』二字を当てるんでしょ?」
「ああ…それか」
「やっぱり『紅(こう)』と『月』?でも、それだと大陸読みにならないからダメなんだっけ?」
「そもそも『アカツキ』が倭国の言葉だからな…」
「ふ〜ん」
「俺は…」
「?」
「俺は、倭国の言葉で名前をつけたいと思ってる」
「倭国の?」
「そうだ。これまでは大陸の文化がこの国の文化よりも優先的に思われてたから――知識としては、実際にそうなんだろうけど――王族は大陸語を『正字』として利用してたけど、これからはそうじゃなくて…倭国全体の文化を、もっと発展させていってほしいと思う。国が一つにまとまるっていうことの、ひとつの形だと思うんだ」
「…そうね。たしかに、文化の統一は民族としての――国家としての統一されているという意識をまとめる力があるわ」
「ああ。だから、これからの名前には、倭国の名を使いたいんだ」
「そっか。紫苑君がそういうなら、私が口を出す義理は何もないわ。紅真君は…う〜ん。紫苑君がそう云ってるなら、『それでいい』って終わりそう…」
「あはは。もちろんちゃんと確認するつもりだ。俺一人で決められるものじゃないし…俺は、もう月代国は完全に滅んだものと考えてるし、むしろ、これから倭国統一に向けて働くためには、そうなって良かったと持ってるんだ。もし月代国が残っていたら、俺は倭国統一に向けてなんて、とても向かえないと思うから……」
「…でも、それは結果論よ。自分の国が滅んでよかったなんて、そんなの悲しすぎるもの」
「そうだな。それでも、滅んだことにさえ何か『意味』を持たせたいんだ。より良い未来へ向かうために滅んだ。それで、俺の心は慰められるんだと思う」
「そう」
「ああ…。だから、俺はこの子には倭国の人間としての意識を持って生きて欲しいと思ってる。ただ、紅真が自分の国を建て直したい…そのために、この子が必要だといったら、俺は、それにも逆らえないような気がする」
「そういう話はしたことがないの?」
「いや、そんなことはない。ただ、未練はないとは云っていた」
「未練?」
「ああ。もともと、思い入れもなかったと」
「…そう。なんか、そんな気がする。紅真君が紫苑君を追いかけてきた経緯を聞いたときに、そう思ったんだわ」
「そうなのか?」
「ええ。私や紫苑君には、かけがえのない『個人』よりも大切なものがあったのだと思うの。でも、紅真君はかけがえのない『個人』よりもずっと重要で大きな『それ』なんてどうでもよくて、かけがえのない『個人』を迷わず選んだんだわ」
「……」
「愛されてるね〜、紫苑君は」
「///」
「あはは。照れてる〜」
「…うるさい」
「ふふ。…でも、なんだかうらやましいな。ちょっとだけ、うらやましい」
「……壱与?」
「ねぇ、きっと、その子が生まれても、その優先順位は変わらないんだろうと思うのよ」
「…さっき、子煩悩になるとか云ってなかったか?」
「うん。そうだけど…それでもきっと、最後には、紫苑君が一番になるわ。いつだって、紅真君は最終的に、紫苑君を選ぶ」
「……」
「そんな気がするの。それが、私にはほんのちょっとだけ、うらやましい」





 邪馬台国。太陽の如き――人々がそう声を揃える。そんな女王が治めるその国家は、配下に二十を超える国を従える、連合国の頂点に立つ盟主である。
 小さな彼の両親は、太陽の照らすこの世の誰からも愛される偉大な女王の親衛隊だ。女王の最も近いところでその身を守っている。
 父親はその隣でやはり女王の護衛をしていて、母親は女王が誰よりも大切で、もっとも優先して守るべき存在だと、いつも小さな少年に云って聞かせる。父親を仰ぎ見れば、父は決して答えてはくれないけれど、母の言葉を否定することがないので、少年は母の言葉が正しいのだろうと胸中で納得する。なぜなら、少年の父親はいつだって少年の母親の意見を立てるから。
 けれど守られているはずの当の女王は、小さな小さな少年にこっそりと耳打ちする。唇の前にぴんと立てた人差し指を翳して「お父さんとお母さんには内緒ね」と、笑って。

「本当に大切なのは、あなたなのよ」

 少年は首を傾げた。なぜなら少年は云われていた。母親からは「有事の時には女王の元へ行く」と。そして父親は「自分の身は自分で守れ」と。
 だから少年は父親や母親のように、早く強くなれるように頑張っていた。けれど女王は少年の父と母が本当に一番大切なのは、そんな少年のことがなのだという。
 だから、少年はまだまん丸の瞳をさらにまん丸にして、きょとりと首を傾げた。
 そうしたら女王は大きく口を開けて、お腹に両手まであてて笑い出すから、少年は何で女王が笑っているのかはわからないけれど、自分のことを笑われているのはわかったので、ぷくりと柔らかな頬を膨らませる。まあるい瞳を精一杯吊り上げているその姿は、恐ろしいというよりも愛らしいものであったので、女王は笑い声をおさめて、今度は眼差しをやわらかくして微笑んだ。

「ふふ。なんだか不思議ね。あの二人にも、こんなふうに表情豊かな頃があったのかしら」

 女王が膝を折り、少年と目線を合わせてくる。頭をやわらかく撫でられながら、少年はやはり首を傾げる。
 だって、少年にとって父親と母親はいつだって大きな存在で、自分のようだなんてまったく想像もつかない。なんだか永遠に追いつけないのではないかと思える、いつだって見上げる存在なのだ。
 少年が上を見上げていると、女王を呼ぶ声が遠くから響いてくるのに気がついた。聞き覚えのある声は、しかし少年の父でも母でもなく、さらにいえば邪馬台国の人間のものでもなかった。

「レンザ君」
「れんざだ〜」
「久しぶりです、壱与さん。おい、暁、てめぇ、人のこと呼び捨てにしてんじゃねぇよ」

 女王が顔を上げ、少年も見知ったその顔に声を上げた。両手を挙げて背伸びするような姿勢になった少年の頭をぐいっと押さえつけて、レンザが少年に笑いかける。

「ったく。おまえは両親に似て、本っ当に生意気だな」
「ぼく、父上と母上ににてる?」
「似てる、似てる。そっくりだぜ」
「ほんとうに?どこが、ねぇ、どこがにてるの?」

 ぴょんぴょんと飛び跳ねて答えをせがんでくる少年に、レンザは相変わらず笑いながら答える。ぐりぐりと頭を押さえつけるように撫でられて、少年はほんの少しだけ不服そうな表情を見せたから、大人二人はさらに笑みを深いものにするのだった。

「生意気なところだな。おまえの親父(おやじ)もおふくろも、本っ当に生意気だったからな〜。まぁ、そのへんは今もぜんぜん変わらないけどよ」
「なまいき?ヤマジのおじちゃんもいってたよ。なんで?なまいきってなに?」
「意味?え〜っと…意味は……」

 頭に手をやり、レンザは視線をあらぬ方へと彷徨わせる。『生意気』の意味をせがむ少年に、レンザは上手い言葉が出てこずに顔を顰めるばかりだ。
 そんな二人の様子を見て、楽しさを内包したやわらかな女性の声が響く。朗らかなその声はもちろん女王のものだ。

「くすくす。いざ聞かれると、言葉の意味ってなかなか説明できないものね。暁君と話していると、いつだって新鮮な気分が味わえるわ」
「新鮮?」
「新しいことを発見したときのような、どきどき感かな。それまで知らなかった、とっても素敵なことに出会えたときみたいに、心に青空が広がる感じ」
「ぼく、わかるよ!あのね、このあいだ、父上と母上といっしょにね、とおくのお山にいったの。しらないお花がたくさんあって、すっごいきれいだったんだよ。それって、『しんせん』っていうんでしょ!」
「そう!暁君は頭がいいね〜」
「えへへ」

 女王に頭を撫でられて、少年は照れたように笑う。大人に褒められた誇らしさと喜ばしさに、頬を高潮させてはにかむその姿に、壱与は暖かな心が胸中に広がるのと同時、僅かに痛むが胸を指すのを感じる。
 邪馬台国の女王は『巫女』であり、かつて男王が統治していた時代のように戦が好まれることがないようにというのがまず大前提としてある。しかしもう一つ。先の女王卑弥呼の亡き後、その唯一の肉親である弟が肉親であることをたてに取り政治を掌握しようとしたことが繰り返されるぬことのないように、邪馬台国の『王』は肉親との情を断ち切る決まりが作られた。
 もともと孤児で肉親のいない壱与であれば、この後に継承者争いが起こらぬようにと――あるいは壱与がわが子かわいさに判断を誤らぬようにと――婚姻も出産も禁じられている。たとえ出産したところで、自分の近くで育てることは叶わない。
 王位を退いた後はその限りではないが、少なくとも壱与はしばらく王位を退く気はない。この国に彼女は未だ必要であるし、彼女も己の夢を実現させていない。何より、彼女がその後を任せることの人間も、彼女から継ぐことのできる人材も、まだ存在していない。

「ねぇねぇ、レンザ。あれはなに?なんで、そういうのッ?」
「だ〜!!もういいだろ!いい加減に解放してくれよ〜」

 ふと顔を上げれば、目の前では飛び跳ねんばかりにレンザを見上げる少年の姿。瞳を輝かせて、未知の世界への期待に希望を膨らませている若い命。
 好奇心旺盛な心は疲れを知らぬように、滝が飛沫を上げ続ける如く質問を浴びせかけている。
 レンザがそれにぐったりと疲れた姿をして見せて、それでもけっきょく、彼は大きな声で目の前の小さな少年の相手をしている。

「いいね〜、こういうの」

 女王は瞳を眇めた。
 嘆きの国を過(す)ぎ、そこから立ち上がり、決して泣かないと決意した幼い日の記憶が脳裏を過(よ)ぎる。あの日の夢を花開かせるために、幼い自分たちはがむしゃらに走り抜けた。
 今でもふと思うことがある。あの日に見た夢は、今、叶えられているのかと。少しでも近づけているのかと。
 限りない遠い未来に出るはずの答えを知る術(すべ)はないけれど、こうして目の前で繰り広がられるちょっとした日常に、たしかな実りを見つけて、胸が苦しくなる。嬉しさに、泣きたくなる。

「えぇ〜。壱与さん、こいつは両親に似てうるさいだけっすよ」
「父上と母上はうるさいの?」
「だから〜、そういうのじゃなくてだな。――あ〜、でもあいつらもうるさいっつたら、うるせぇけど…」
「うるさいのには、いくつもあるの?」
「うう〜」
「ふふ。うるさいんじゃないのよ、暁君」
「ちがうの?」
「そう。うるさいんじゃなくて、楽しいの」
「たのしいの?でも、母上はうるさくするとおこるの。だから、たのしいのとはちがうよ?」
「あら。紫苑君、本当は絶対に楽しんでるわよ」
「ほんとうに?」
「本当よ。だって…」

 …――だって、彼女の笑顔はどんどん魅力的に輝いている。

 誰かの笑顔を見て、誰かの笑い声を聞いて。人と触れ合うことに幸せを感じることのできる世界が、身近に存在していることの尊さ。
 そのことを、孤独の中に佇んだことのある誰もが感じぬはずがない。

「だって、紫苑君はあなたが一番だいすきなんだから」

 女王の優しく微笑む様(さま)に、少年はただただ首を傾げるばかりだった。
 高い空は太陽の輝きに青く映え、白い雲が緩やかな風に乗って流れていく。人々の笑い声はいたるところに響き、鳥の囀りのように花開かせる。
 朝の目覚め。綻ぶ花を見て微笑むように、女王はいくつもの涙を胸に抱えて、やわらかな母の微笑を面(おもて)にのせて少年を己の瞳へと写す。幼い少女たちの夢が、確実に花開いている。そのことを、たしかに感じていた。





「あ、そういえば」
「ん?」
「けっきょく、子供の名前、なんていう字を当てるの?」
「あ〜…最終的には紅真との話し合いになるだろうけど…」
「紫苑君が提案して紅真君が反対するわけないでしょっ。ほら、早く教えた、教えた」
「(…紅真だって、いちおう自分の意見は云うが……)ああ。俺は『暁(ぎょう)』の字を考えてる」
「う〜ん。たしかに、意味はその字であってるけど…。それじゃあ、『暁(ぎょう)』の字は『あかつき』と同じ意味だから、『暁』を『あかつき』って読ませるってこと?」
「そういうことになるな」
「漢字で一字なの?」
「ああ。べつに、それでいいと思ってる。逆に、漢字二字を当てて王族だって、へんに知らしめるのもどうかと思うしな」
「ふ〜ん。なんか、いいね」
「何がだ?」
「うん。これまで、あんまり考えたことなかったんだけど」
「?」
「あのね、名前って、大切なんだな〜って」
「なんだ?いまさら…」
「まあ、そうなんだけどね。なんていうか、『暁』君は、この倭国の夜明けを背負って生まれてくるんだな〜って」
「そんなたいそうな…」
「あら、たいへんよ。だって、紫苑君がこの子に『暁』っていう意味を持たせたんだから」
「そう…なるのか?」
「そうなるわよ。だって『アカツキ』って読める字はいくらでもあるのに、紫苑君はあえて『暁』の意味を選んだんだもの。ただの『音』に、特定の『意味』を持たせたのよ。その時点で、その子はそれと同じ『意味』を背負って生まれてきて――そして、生きていくことが定められたんだと思うわ」
「…やっぱり、紅真に決めてもらうかな」
「くすくす。なに消極的なこと云ってるの?紫苑君らしくないぞぉ〜(笑)」
「いいんだ///。母親なんてそんなものだ(たぶん)」
「はいはい。でも、子供が生まれると『母は強し』って云うみたいだし。紫苑君はこれ以上に強くなるのね〜。頼もしい限りだわ」
「なにを一人で納得して頷いてるんだ」
「あ〜、なんでそんな呆れた目で見るの〜!」
「別に」
「ああ、肩まで竦めて。なんか悔しい〜」
「あはは。……太陽が眩しいな」
「……ええ。きっと、これからも日は昇り続けるのよ。それでもその子が生まれてきた日の夜明けは特別だわ。だって、倭国が倭国として一人で立って歩いていく、その第一歩を名づけらた子が生まれるた日だもの」
「……」
「きっと、それが倭国の夜明け――本当の意味での、始まりになるのよ」










あなたの大きな夢が花開くこと。
あなたが大きな夢を花開かせようと歩き出すこと。
あなたが生れ落ちたその瞬間から。
私のすべてをそれに奉げてもかまわないほどに。
私たちたちはあなたが愛しくてたまらない。










こめんと
 人気作品調査の方で子供の話も読みたいというありがたいお言葉をいただくことができまして、思い出したら妄想がばんばん花開く…。約2年振りくらいに書きました記憶シリーズ。初めの頃から比べると随分といろいろなものが変化していますが、良くも悪くも成長できてるといいなと思います。タイトルは本当に迷いました。本当は「冒険」だったのですが、内容の変更により「子供」へ。そして最終的に「花夢(はなゆめ)」という造語。花開く夢とか、花のような夢とか?
 前後の紫苑と壱与の会話は五、六行ずつくらいかな〜と思って書き始めたのに…。だからあえて仕草や背景の描写なんて入れない方向でやってたのに…。ぜんぜんそんなものでは収まりませんでしたよ!(泣)。それでも初志貫徹で描写は入れませんでしたが…何度描写を入れようかと悶えたことか…。そして台詞だけで充分一話分の長さになってしまったことに、どれほど『名前』というタイトルで独立させようとしたことか…!――だって本文入れる余裕がなくなったんですよ!マジで!!本当は暁くんの視点で邪馬台国の世界を見て回ろうと思ったのですが…。まぁ、それは次の機会でリベンジかましたいと思います!!(いつになるかはわかりませんが)。
 ちなみに言葉の意味とか名前の漢字の読みとか由来についてはあくまでもこの作品独自の設定ということでお願いします!深くは考えないで!!さらっと流してください。さらっと!(時代とかきちんと確認しちゃダメですよ)。
 最後の「幼い少女(幼い少女たちのゆめ〜のくだりの部分参照)」は女王(壱与)のこと。
 ご意見ご感想ありましたらぜひお寄せ下さいです...(c)2005/10/14・16〜18 ゆうひ