雛祭 












貴女(あなた)のために、私が生まれた。










「紫苑様に近寄るな!!」

 甲高い声で叫んだのは短い黒髪を月代国独特の方法で結い上げた少女だった。
 ひらひらと裾の揺れる衣装も彼女の生まれた国独自のものである。揺れて波打つその様子は、まるで彼女の心情に感化されてのものであるかのようだった。
 少女の名前は『ヒナ』。月代国第一王女にして時期国王紫苑の乳兄弟だ。ヒナの方が紫苑よりも三日だけ早く生まれ、それ以来すでに七年もの月日を紫苑とつかず離れず行動を共にしてる。幼いながらに護衛としての役職も与えられているが、もちろんそれは肩書きだけのことだ。
 もっとも、ヒナ本人はそうは思っていない。紫苑を守るのは自分のお役目であると固く信じて疑っていないし、今もそのお役目を果たそうと肩を怒らせていた。

「なんだよ、この男女!」
「なんですって?! 紫苑様はこの国の王女なのよ。あなたたちみたな『そや』な人たちとはお付き合いしません!!」
「そや?」
「そやってなんだ?」

 紫苑の身を守り隠すかのように、その前にはヒナが胸を張って立っている。それと向き合う形で立つ五、六人の少年たちが互いに顔を見合わせて首を傾げた。
 月代国の平民の少年たちである。年頃は紫苑やヒナと代わらないだろう。
 紫苑は幼馴染で遊び友達でもある――紫苑にとってヒナは護衛ではなく、むしろ本当の姉妹のような存在であった――ヒナと散歩に出歩いていた折に出くわし、今に到っている。

「あなたたちみたいに『らんぼう』で『げひん』な方々をいうのよ」

 ヒナはつんっと顎をそらして言い放つ。紫苑はそれを首を傾げて見守っていた。
 紫苑はいつもヒナから『紫苑様は王女であらせられるんですから、誰とでも気軽に話してはダメなんですよ! 気安く男性とお話しするなんてもってのほかです!』と、人差し指を立ててきつく言い聞かされていた。
 紫苑にはヒナのいうことの根本的な部分が理解できていない。なぜなら彼女の父親は国王でありながら平民と気安く野山へ遊び回りに行き、畑仕事まで手伝う。

 ヒナと紫苑の後ろに更に控える護衛たち――こちらはもちろん大人で、専属の兵士の中から選ばれた――は、ヒナの精一杯大人ぶろうとしている態度にこっそり苦笑し合っていた。少年たちと対峙するヒナのその姿が『おませな女の子』として写り微笑ましかった。

 ヒナの中には上に立つものはこうあるべきだ、高貴な人間とはどうあるべきかという明確なビジョンが確立されているようであった。そしてそれに仕えるべき人間についても。
 ヒナは自分が持つそれを紫苑に押し付けようとしたし、ヒナ自身もそうあるべく自身を戒めていた。
 紫苑にはヒナの考え方について理解のできない部分はあったが、彼女が悪い人間でないことはもちろん明らかであるし、何より彼女の言うことにも一理があるので不快を感じることはなかった。時にその理解できなさ過ぎるものに困惑することはあったが。

 少年たちはヒナの物言いに当然怒りを顕にした。ヒナはそれに負けるような少女ではないから、けっきょく取っ組み合いの喧嘩になってしまうのは、すでに慣れたことだった。
 紫苑は基本的にそれに参戦することはない。ヒナがものすごい剣幕で拒否するからだ。
 しかし時に巻き込まれて応戦することがある。そんなときでも後ろに控える護衛は特に手を出したりはしなかった。
 子供の喧嘩に手を出さぬようにと、主に王妃から言い付かっていたからだ。
 この日の少年たちとヒナの喧嘩は紫苑にまで波及し、結果的に紫苑は応戦せざるを得なくなった。誰かと積極的に喧嘩をするような性格ではなかったが、紫苑は方術と呼ばれる戦術を叩き込まれていたのでそれでケガをするようなことはなかった。
 むしろケガをしたのはヒナの方だ。腕や頬に負った擦り傷に紫苑が眉を顰めて心配すると、ヒナは笑って大丈夫だと返した。
 そこにヒナの母親が来れば『紫苑様を危険な目にあわせて」と怒りの鉄拳を受けて、ヒナはさらに頭頂部にたんこぶをこさえることになる。
 日々はそのようにして、穏やかに過ぎていった。










 それは春の終わりの月に行われる行事。
 平民の間では簡略し、草や木で作った人形が用いられる。貴族の中にも簡略しなければ行えないものもいるが、そういう場合は草ではなくて貴重品である紙が用いられることが多かった。王族については当然正式な方法が用いられる。










「ヒナ!!」

 紫苑は叫んでいた。夜空には月明かり。ヒナが膝まで身を浸らせる海の揺らめきにもまた同じ色の煌めきが揺れていた。
 紫苑の声にヒナが振り返る。
 色の抜かれた白髪の上から銀粉がふられ、空からと波の上からとの両方から反射する月明かりと星明りに照らされて、まるで紫苑の蒼銀髪のようだった。
 白と朱(あか)を基調にした衣装が水に濡れている。胸元には月代国の旗印。

「紫苑様」

 ヒナが微笑む。そこには恐怖も怒りもない。いつも見せる生真面目ささえない。
 そこにあるのはただの幸福のみだ。
 大切なものの役に立つことができるという幸せ。自分が役に立つことができるという喜び。
 けれど紫苑は叫んだ。顔を歪めて必死で叫んだ。

「ダメだ! ヒナ!!」

 こんなことは必要ないのだ。するべきではないのだ。
 ヒナの海に沈んでいくことを止めたくて、紫苑は叫んだ。いつだって、彼女が紫苑の声を聞き逃したことなどなかったから。
 けれどヒナは穏やかな表情は変えずにただ首を横に振った。下ろされた目蓋が余計に彼女の心の落ち着いているのを感じさせて、紫苑は思わず黙り込んでしまう。
 夜の闇にヒナの声が澄んで響き、僅かな明かりのすべてが彼女を照らしているかのように。あるいは彼女こそがこの闇の中で最大の輝きを発しているかのように淡く浮かび上がって見えた。

「紫苑様、わたし、ずっと知ってました。こうなること。紫苑様に危険が及ぶことがあるなんて、わたし、絶対に嫌です。だから、わたしが紫苑様に代わって、紫苑様にこれから訪れるだろうすべての厄災を受けることができるなら、とても幸せなんです」

 ヒナは相変わらず微笑んでいた。喜びに笑っていた。
 紫苑の胸にはヒナのその笑顔が何より痛みを与えた。
 泣き出す寸前に顔の震える紫苑と、晴れ渡る青空のようなヒナの笑顔。その対極の中で、ヒナはそれに気づかずにいた。
 彼女は悪い人間でないことは明らかであったが、自分の考え方が他人に受け入れられないことをあまり自覚できていなかった。人にはそれぞれに異なる考え方があることを知っていても、それを実感として捉えることができない人間だったからだ。
 だから彼女は紫苑もまた彼女と同じように喜んでくれると考えてそれを疑っていなかったし、そのために紫苑の苦悩が目に写らなかった。

「わたし、幸せです。紫苑様の厄災を祓うための『形代(かたしろ)』になれて」

 すべての穢れと厄災を写し取って、清らかな水の流れで洗い落とす。形代は流され、最後には沈んでゆく存在。
 そうと知っていて――否、そうと知っているからこそ、ヒナは心底から微笑んで、海の深遠へと旅立って行った。
 その一年後、彼女の故郷が彼女の主(あるじ)を独(ひと)り残して崩壊することなど、露ほども知らぬまま。










貴女の身の上に、幸福だけが訪れますように…。















こめんと
 背景は桃(邪気を祓うと考えられており、五節句の一つの雛祭の季節とも重なるので桃の節句とも呼ばれていますよね)の花を持ってきたかったのですが、見つからなかったので桜で代用です。むしろ黒背景がなかった…。
 この話は拍手連載用に考えていたもの(紫苑が同年代の平均と付き合うのを阻止しようとする同年代の付人の空回り奮闘と、その視点から見た紫苑や月代国とその崩壊)を、ふと気がついた桃の節句に合わせて構成し直したものです。『ヒナ(雛)』の名前には『ツバキ(椿)』と『モモ(桃)』といくつか候補がありました。もしこの先拍手の方などでヒナのようなキャラ(紫苑の乳兄弟で護衛)を使おうと思ったときにはそちらを使うかもしれません。
 ちなみに雛祭りの原型と考えられている、人形(ひとがた)と呼ばれる形代に穢れを移して海や川に流し、男女問わず子供の健やかな成長を願った節供は室町時代頃には確立しており、江戸時代に上巳の節句が「五節句」に制定されたことで現在の雛祭りの形(形代が豪華になっていき、水に流さずに飾っておく女の子の成長を願う行事)へと成立されていったようです。雛人形は厄払い用の「天児(あまがつ)」や「這子(ほうこ)」と、上巳の節句とはなんの関係もなく、源氏物語や枕草子にも出てくる「ひひな遊び」と呼ばれる女の子の遊び道具としてのお人形が一緒になったもののようです。延喜式には自分の罪や不浄を人形に託して水に流して厄災を祓うという風習も記述されており、古代中国の上巳(じょうし、じょうみ)の節句は元々は巳の日に行われいましたが魏の時代に三日となり、日本では日本書紀に『三月三日が上巳の節句』であると記述が残っているようです。邪馬台幻想記はそれらのさらに以前のお話。人形(ひとがた)が人形(にんぎょう)ではなく人間だった可能性も…と考えた結果に生まれたお話でした。
 ご意見ご感想ありましたらぜひお寄せ下さいです...(c)2006/03/02 ゆうひ