立花
美しい羽で彩(いろど)られた世界。 |
まるで大陸の『硝子玉』のように美しい瞳だと思った。両親の持つあらゆるすべてが集約されたようなその赤児を見て、暁(あかつき)は嬉しそうに笑った。 待望の『弟』が生まれたのだ。漸く七つになったばかりの彼は、今日から『兄』になったのだ。 「おーい、たちばな(橘)!」 「おう」 「はは、相変わらず派手だよな〜」 片手を掲げて呼び掛けた黒髪黒目の少年が笑った。橘はそんな友人の言(げん)に苦笑を返すしかできず、いつもの通りに曖昧な笑みで答えた。 派手だと評された少年の見目はなるほど。新雪のように輝く銀の髪はもちろんだが、その左右で色違いの瞳が何よりも見る人の目を惹く。紅玉のように蠱惑的な右目と、青玉のように清廉な左の瞳。白く決め細やかな肌と整った容姿が、その色の鮮やかさをより華やかなものへと引き立てていた。 橘。 彼につけられたこの名は、その見目から名づけられたものだ。 彼が生まれたときに、その姿を見て名付け親は云った。『まるで花が立つように華やかだ』と。 よって、彼の名は『橘』となった。そしてその名にふさわしく、少年は蜜柑のようにさっぱりとした性格をしていた。何より常緑樹のように明るい。 「でも見た目以上に派手なのは生まれだよな。両親は揃って五刻印家の当主で、名付け親は前国王だろう。兄君は現国王だ」 橘の友人は両手を広げて示して見せた。 この国は十五年ほど前に現在の形になった。ちょうど橘やその友人である少年たちが生まれた頃のことだ。それまで数多の同盟国の連合国であったそれが、王の直轄地と五つに分けられた地域にそれぞれ領主を頂く一国家として落ち着いたのだ。それぞれの地域を治める『領主』に置かれた家を『五刻印家』と呼んだ。 なんでも、かつて建国の祖とも呼ばれるべき女王にを神々の元へと導いた五人だそうだ。あるいは古代に失われた大国の王の末裔たち。今再び蘇ったのか。 橘はそのいずれにも触れることなくただ事実だけを返した。 「兄貴が国王になったのは半年前じゃないか」 「何云ってるんだよ。親父から聞いたけど、暁様は生まれる前から先の女王、壱与様に期待されていたって云うじゃないか」 「それは母さんの信任が厚かったから…。まあ、兄貴も散々逃げてたけど…ようやく観念したかって感じだったけどな」 この国で次代の王を決定するのは王だ。先の女王――壱与は橘の兄である『暁』を王に推した。 どうやら女王は暁が生まれる前から時期国王にと推していたらしいが、当の暁はそれを嫌がり何かと理由をつけては散々逃げ回っていたのだ。 そのことを称して橘は笑った。肩を竦めて。 橘の友人はそこで首を傾げた。 「そういえば、暁様が国王になったってことは、五刻印家はどうなるんだ? お前が両方継ぐのか?」 「まさか。オレが継ぐことになるのはお袋の方だけだよ」 「それでいいのか? 紅真様はなんて云ってるんだよ」 「あはは。親父は家にはなんの未練もない。母さんはその逆だけどね。だからオレが継ぐことになるのは母さんの方さ」 「ふ〜ん。前から思ってたけどさ、紅真様は本当に無欲だよな。暁様が国王にってなったときも、特に何を云うでもなかったって聞くし。あ〜…、でもなんかもったいないよな。あ、暁様が王職を退いたらさ、その後で五刻印家を継げばいいんじゃないのかな」 「それは無理」 橘は即答した。友人の言った紅真――橘にとっては父親だ――が『無欲』であるという巷の評価に疑問を抱きながら。 「? なんでだよ。壱与様は王職を退(しりぞ)いて日がな一日釣りを楽しんでおられるぞ。自分は農業を盛んにするってはじめは仰ってたとか、親父は笑うけど。あ、でも槍術も教えてくださるんだ。オレも習ってんだぜ。けっこう筋がいいってさ」 嬉しそうに笑う友人を、橘はぼんやりと横目にした。それからにやりと笑う。 「なんだ、兵士にでもなりたいのか?」 「う〜ん。それもいいかなぁって思ったけどさ、兵士の仕事って、九割方、土木作業じゃん」 「平和な証拠さ。洪水や津波の氾濫に備えるのは国家が背負うべき重要な仕事だぜ」 「そりゃそうだろうけどさ。どうせならやっぱりお前の両親――紅真様や紫苑様みたいな直属護衛とか、ヤマジ隊みたいな王宮警護とかに携わりたいじゃないか」 「親父も母さんも、今はもう護衛じゃないよ。今は地方領主として地味に忙しいみたいだけどね」 「人事だなぁ。いづれお前がそうなるんじゃないか」 おかしそうに笑う友人に、橘はやはりただ薄く笑っただけだった。 五つの領地を束ねる当主は、少々特殊ではあったが一応は血族制だった。だから当然、その当主の息子である『橘』が時期当主となるものだと友人は笑うのだ。 「どうかな。必ずしもそうなるとは、まだ決まったわけじゃないさ」 「そうか? あ、暁様が早々に王位を退かれてって可能性があるのか? でも、それにしたって二人領主が必要になるわけだし…。まさか、弟妹でもできる予定があるのか?」 「そうじゃない」 友人が腕を組みながら、うんうんと唸って考え出すすべてを否定して、橘はやはり笑った。 何がおかしいということではなく、ただそのときに作る表情が『笑い』しかなかっただけだった。 「兄貴には権利がないだけさ」 「権利?」 いったいなんの権利がないというのか。友人が首を傾げるのに、橘は瞳を薄く細め、と口角を持ち上げて俯いた。 「五刻印家の後継者は血統によって守られる。でも、だれでもいいわけじゃないんだ。必要なのは『印(しるし』だ。その血筋の長となるべきに相応しい人間である証(あかし)…」 橘は友人が無言で首を傾げるのを見た。 それはそうだろう。 橘の兄は国王となるべき器の人物だ。その彼が、身分的には王の下に置かれる『領主』になるべき人間として劣っているとは考えられない。 そんな友人を見て、橘はくすくすと声を立てて笑った。 「知らないだろう。オレは母親似なんだ。兄貴は親父似だよ。性格は逆だって言われるけど」 嘘だった。むしろ橘の性格は両親のどちらにも似ていないと、彼の両親をよく知る人間からは評される。見た目については――今では橘が両親の本当の子供であるのかさえ疑う声を、時に陰で囁くものがいるほどだ。逆に、彼の両親の古くからの友人、知人は橘がどのような性格を形成するに到ろうとも、彼の両親が間違いなくあの二人であることを疑うものはいない。 逆に彼の兄は生まれた当初、それを誰もに疑われたそうだ。女王だけが嬉々として喜んだそうだが。 橘はいつだって笑っている。豪快で、繊細で、得体が知れなかった。 彼ら家族を知る誰が橘の性格に疑問を抱いても、彼の両親は疑問を抱かなかった。 つまり、橘は『母親似』なのだ。より正確に言えば、橘は『母方の祖母』によく似ているとのことだった。 「オレの両親の髪の色。真っ黒だろう。目の色も。兄貴と同じだ。オレだけがこんなだ。でもな、オレが生まれる前は違ったんだってさ」 「そうなのか?」 「ああ。オレのこの髪色と蒼い瞳は母さんから。赤い瞳は親父から。この色がないと、家督は継げないんだってさ」 他の領主の家も似たり寄ったりだ。 それを知り、暁は生まれ変わったかのように『自由』になったという。それまで何かを考え込み、抑え込んでいたものを解放させたのではないかと母親は語っていた。 それは逆に『橘』を縛るものになったのか。 結果だけを言えば、そうなり、そしてそうはならなかった。 母親は橘に何も言わず、父親は橘にただ『母』を害さないことだけを教えた。 「皮肉だよな。王の子は王になれないのに、そうでなければ誰もが王になる可能性を秘めている。それなのに、領主になれるのは領主の子だけなんて」 現代の国家形態を作り上げたのは先の女王壱与だった。彼女が建国の祖と呼ばれる所以(ゆえん)の一つだ。王の子、または現王の血筋の人間は王になれない。それもまた彼女が作り上げた。これから生まれてくるもっとも優秀な人材が王位につけるようにと。 けれど優秀な人材がそれによって王位につけないのであれば、それもまた弊害だ。故に現王の子が王位につくためには、五刻印家の当主全員の了承を得られれば可能であるとした。 五人全員――。 その程度の人間の賛同を得られないのであれば、その程度の器であると断じた。 橘はまた呟いた。『皮肉』であると。 「壱与おばさんが今の国の形を作るために動き出したのは、ちょうど兄貴が生まれた頃だっていってた。それから七年。俺が生まれるまで掛かった。なのにたった十数年で壊れようとしてる」 五つの領主の領地は、その力の均衡を保つために細かく計算されて決定されたものだということだった。 それは代々『刻印』という形で表象される神の領域の力によって選ばれた人格によって統治されるはずであり、その監視の下に、国王は善政をひくはずであったのに。 「この国は、すぐに崩れるかもしれない」 橘のその言葉は友人には届かなかった。むろん、届かせるつもりのない微かな呟きだったから。 母親は滅亡した祖国の復活を心のどこかで願っていたから、それが再び滅びるのを見るのは心が引き裂かれるよりもつらいだろう。 二度も故郷が滅び、奪われる。 それは彼女にとってなんという残酷だろう。 それでも、彼女は何も言わない。橘にも、暁にも。 あるいはもう覚悟を決めているのかもしれない。覚悟を決めることができなくとも、常にその可能性を念頭に置いて、来たるべき衝撃に備えているのかもしれない。 父親はどうだろう。妻のために自ら祖国を滅ぼした男は。 母が国を滅ぼされたのは七、八歳の頃だという。母の国が滅び、父は母との婚約関係をそれを取り決めた父親自らの手で奪われそうになったという。政略結婚なのだから、その当時の王の判断は珍しくはないだろう。間違っているとも云い難い。 そして当時、まだ拙いばかりの子供は愛するものを追うために強硬に出た。 国が、国民が自らに制約を科すのであれば、それを壊してしまえばいい。彼は困難な壁を壊して進むことを本能としていたのか。 親を殺し、王を殺し、国民を皆殺しにして。故郷を血みどろの焦土へ変えてただ一人を追いかけたその凄まじいまでの思いに触れたとき、橘ははじめて『父』を畏れ、尊敬したのかもしれない。 彼にとって、国の興亡など取るに足らない些細なことなのだ。そのことで彼の妻が心を痛めることで、彼はそのことに僅かながらの関心を向けるに過ぎない。 最近、橘は思う。 そんなふうに何もかもを捨て、何もかもを奉げるほどの『愛』を、自分も得ることができるのだろうかと。 かつて、誰もが母の持つ稀有な銀髪と青玉の瞳を褒め称えたという。それが失われても尚、父の母への愛は変わらなかった。 そんな『愛』を、自らもまた得られることができるのだろうかと。 橘の容姿を褒め称える人間は多い。その容姿に惹かれて集まる異性も多い。 ではその姿の失われたときに、いったい何が残るのだろうか。 この国が滅びても尚、彼の両親の愛は在り続け、それはさらに深まるばかりだというのに。 この国が滅びても尚、彼の兄にはやりたいことも、行きたい場所もあるというのに。いや、この国がなくなれば、彼の兄はそれこそ『自由』になれる。 では、この美しい国と色彩が消えうせて、橘には何が残るというのか。 彼は母に良く似ていると云われる。正確には母方の祖母によく似ていると云われる。彼は見たこともないその人に。 彼の母は国を失い、今はその色彩を失い。 それでもその美しさは増すばかりだ。 彼の父は昔も今も変わらない。回りがどれほど変わろうと、彼は唯一つだけを求め、そのためだけに生きている。 昔も今も変わらずに。 変わるとすれば、その思いの深さだ。一瞬ごとに、それはより強く、より深く、より大きくなていく。 橘は思う。 兄、暁は『国の夜明け』の意味を持つという。何を失っても、彼はいつでも『始まりの灯り』を見出すのだろう。 それでは自分は何なのか。 その名は『花が立ったように美しい』という。 では、その姿が失われたときに、自分はいったいなにものになるというのか。 隣では彼の友人がただ笑っていた。相変わらず、お前の姿は派手だなと、嬉しそうに話しかけながら。 太陽は輝きを失えば意味をなくす。 友人の声を意識の外で聞きながら、橘はぼんやりとそんなことを考えた。 真夏の太陽は、彼らの頭上で五月蝿いほどに輝いていた。 |
輝く羽を失っても、その人は相変わらず美しいままだった。 |
こめんと |
サイト開設5周年記念企画の作品投票期間内において見事第2位になりました記憶シリーズ。はっきりいってまったく筆の進まなかった超駄作。けっきょく何のために書いたかといえば、紅真はとにかく紫苑一筋。紫苑馬鹿であるということが書きたかっただけ。 当初のタイトルはいろいろな鳥の羽を貼り付けて自らを飾り立てた鳥の神話と、紫苑や紅真、壱与の色鮮やかな瞳はきっと硝子玉のように見えるだろうとの想像から『彩鴉(色硝子)』としていました。次男坊の名前を色鮮やかな様子にちなんだものにしようと考えていたのです。結局その方向性は変わりませんでしたが、極彩色で派手な様=百花繚乱ということで『立花』。でも長男と揃えて一文字で訓読みで『橘』といたしました。ところで『橘』は平安時代に勢力の強かった『源平藤橘』の一つですね。うちの五家の二つが統合されて、このままいけば四家になってしまうので、なんという偶然。彼の名前はそのうち名字になりそうです。 後任者が生まれた=刻印が次世代に受け継がれた時点で特異な髪色などは黒に戻ってしまうという設定を勝手に加えました。絶対にそんなことはありませんので使うかどうしようかかなり迷いましたが(だって原作で蒼志の髪色は紫苑と同じ…)。でもどうしても、彼らの印象的な見た目の特異さは『刻印』を未のうちに宿しているためであり、それは代々血筋によって受け継がれていくとしたかったのです。そしてまた受け継がれた時点でそれは受け継がれた『子』だけが持つものになっているはずだと考えたのです。 前後の文は紅真から見た紫苑のこと。でも別に橘の未来の姿を予見したものでもいいかもしれないとも思っている書き上げ後。 ご意見ご感想ありましたらぜひお寄せ下さいです...(c)2006/04/09・12・15・29 ゆうひ |
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