白い子犬



 戦乱の世にだって、心落ち着く時もある。


 その日、紫苑は一人で昼食をとっていた。
 場所はいつも昼寝をしに来る丘。
 メニューはおにぎり。
 しかも手作り。
 作ったのは…食べる当の本人だったりするのだが……。
 いつもは邪馬台国内で食事を取るのだが、今日は一人ここへやって来た。
 理由はいくつかある。
 今日は、何故かいきなり壱与が、手作り昼食を皆に振舞うと言いだしたこととか。
 どうしても調べておきたい事があったからとか。
 はっきり言ってしまえばどうでも良いものばかりだ。
 せっかくだからみんなでピクニックに行こう!
 壱与のそんな提案(簡単に言えば我侭だったりする)をなだめすかして、漸く静かな一時(ひととき)を手に入れた。
 護衛の連中と昼食を取るのは嫌ではないが、壱与の手作り昼食は、なんとしてでも避けたかったのだ。
 午後の穏やかな風をその肌に感じながら、紫苑はおにぎりをほおばった。
 すると。
 なだらかな丘の斜面に、白い物体が見え隠れしているのを見つける。
 それはだんだんと大きくなっていき…。
「……」
 紫苑は目を瞬(またた)かせた。
 彼の目の前にいるものを、きょとんと見つめる。
 彼の目の前にいるのも、彼をきょとんと見つめてくる。
 彼の目の前に現れたもの。それは―――。
「わん」
 犬だった。
 ふわふわとした柔らかい毛の、真っ白な子犬だ。
 舌を出し、尻尾を大きく振り、紫苑を何かを期待しているような瞳で見つめている。
 白いそれが近寄ってきて、大きくなった様に見え。
 それの正体が分かった時には、それは何時の間にか目の前にまで来ていた。
 それから、ずっとおりこうそうに鎮座して、彼を見つめているのである。
 紫苑は暫く唖然としたような表情でその子犬を見つめていた。
 片手にはおにぎり。
 目の前には愛らしく鎮座する白い子犬。
 実にのどかな風景だった。
「……食べたいのか?」
 たっぷりとした沈黙の後、紫苑は子犬に向かって言った。
 おにぎりを子犬の口元に差し出してやる。
「わん!」
 子犬は嬉しそうに一声鳴くと、先程よりも大きく尻尾を振って、紫苑のその手からおにぎりを食べた始めた。
 はぐはぐと一生懸命な様子でおにぎりを食べる子犬。
 自分の手から直接食べているのだから、はっきりいってくすぐったい。
 それでも、それは決して嫌なことではなくて。
 紫苑は我知らず顔を綻ばせていた。



 紫苑が邪馬台国に帰ったのは、それから小一時間してからだった。
 邪馬台国の入口に向かう紫苑の隣には、先ほどの子犬がいる。
 ちょこちょこした足取りで、弾むように。紫苑にぴったりと付いて歩いていた。
 見張りの者に「付いて来た」と、一言言うと、彼らはあっさりとその子犬を通した。
 紫苑がこの邪馬台国内で信用されている証拠であろう。
「紫苑ーー!!」
 邪馬台国内に入ると、いきなり自分の名を呼ぶ大声に眉を顰める。
 その声には聞き覚えがあった。
「てめぇ!一人で今までどこ行ってやがったんだ?!てめぇ一人だけ逃げ出しやがって!!卑怯だぞ!!」
 いきなりそう言って胸倉を掴んできた人物は、案の定――レンザであった。
 彼が言っているのは十中八九、壱与の手作り昼食のことだろう。
 そんなに嫌だったのなら、自分も断れば良かったのだ。
 逆恨みされても困る。
 紫苑は半眼になり、こっそりと溜息をついた。
「おいこら!なんだその態度は―――」
 レンザが再び何かを罵ろうとした時だった。
「あら?紫苑くん帰ってきたの?―――わぁ、この子犬何々?かっわいい〜」
 壱与がぴょこんと顔を出したのだ。
 彼女はすぐさま紫苑の足元にいる子犬に気が付き、その手を伸ばした。
 抱き上げて頬に擦り寄せると、とても暖かくて気持ち良かった。
「ああ、そいつか。付いてきた」
 紫苑はそれだけを言った。
 はっきり言ってそれだけしか言っていない。
 にもかかわらず。
「なっ?!紫苑!見損なったぞ!!子犬なんかで壱与さんをたぶらかそうとするなんて!!」
 思い込み激しい猪突猛進男レンザ。
 人の話なんてまったく聞かずに、かってにそう決めつけてきた。
(まったく…。飯に関しての壱与といい勝負だな)
 紫苑は頭を抱えて胸中で呟いた。
 少しは人の話を聞け。
 連れて来たんじゃなくて、勝手に付いて来たって言っただろうが!
 たとえ彼が今まさにそう怒なったとしても、誰にも責められないだろう。
「壱与さま〜」
 と。遠くの方から声が近づいてきた。
 とても聞き覚えのあるその声に顔を向けると、声の持ち主はもういっそ哀れなほど一生懸命に、こちらに向かって走って来ていた。
 走ってきた人物。それは―――。
「ナシメ。どうしたんだ?」
 紫苑が訊いた。
 もっとも。訊かなくとも、冷汗を垂らして目を逸らせている誰かさんの様子を見れば、一目瞭然なのだが…。
 ナシメは暫く息を整えてから、口を開く。
「紫苑殿。お帰りでしたか。いや、お休みのところ申し訳ありません。
 さてと。壱与さま。まだ政務は全て終わっていないのですよ!
一国の女王がそんなめったやたらに出歩いては行けないと何度も申しておりますでしょう!!」
 それは思った通りの応えだった。
 ナシメの怒鳴り声に、壱与は顔を顰めて耳を塞ぐ。
「だってぇ…。やっぱり女王として、国の様子を見るのも大切なはずでしょ〜」
「確かにそれは大切でしょう。それは私も認めます。
しかし、壱与さまはそれが頻繁過ぎるのです!しかも仕事はまだ終わっていません!
さらに言えば、壱与さまのそれは言い訳でしかないでしょう。本当はただ体を動かしたいだけ。違いますか?」
「うっ…」
 ナシメの言及に、壱与は汗を垂らして言葉に詰まった。
 はっきり言って図星だ。
 だからといって、別に理由がそれだけではない事は、ここにいる誰もが知っている。
 彼女がこの国と。それを越えたこの島全てを誰より思っていることは、何にも変え難い事実なのだ。
「さァ。帰って仕事の続きを始めて下さい」
「ええっ??もう?!―――もう少し位良いじゃない〜」
「ダメです!!」
「壱与さ〜ん」
 そう言いながら、ナシメは壱与の首根っこを捕まえ、引きずるようにして連れて帰った。
 女王にその態度は……良いのですか?
 連れていかれる壱与を追うレンザの声が、後を追うように残る中、一瞬そんな事が頭をよぎったが、まぁどうでも良いかとも思う。
 それが彼らのスタイルなのだから。
 そのまま暫く、彼らの去っていた方を呆然と見つめていると。
「あの…紫苑さま…―――」
 自分を呼ぶ声が聞こえ、振り返った。
 そこに居たのは、紫苑と同じかもう少し位年上の少女達が3人だった。
 手にはそれぞれ何か皿のようなものを持っている。
「?なんだ?」
 紫苑が聞くと、少女達は頬を朱らめて、恥ずかしそうにお互いに目配せした。
(またか…――)
 そんな少女達の様子を見て、紫苑は胸中で呟いた。
 邪馬台国に来て暫く経ってからのある日、紫苑は今回の様に何人かの少女達に呼びとめられた。
 「紫苑さま」と、恥ずかしそうに、躊躇うように話しかけてきた彼女達に紫苑は、「自分はただの一兵士――護衛に過ぎないから、「さま」付けで呼ぶ必要はない」と告げたが、何故か邪馬台国の人々――特に今話し掛けて来たような少女達――はそれを拒み、そろって彼を「紫苑さま」と呼んだ。
 少女達挙げた理由の一つに、「紫苑さまは元とは言っても王族なんですから、そんな畏れ多いことできません!!」というものがあったが、何か言い訳のような気がしなくもない。
 とわ言っても、兵士達はそうでもないし、別にどうという事もなかったので、今では紫苑はそれを放っておいている。
 相当に変な呼び方ではないのだから、それぞれが呼びやすいように呼んでくれれば良いと思ったのだ。
「あ、あの…。これ、私達で作ったんです。よかったら、兵士の皆さんと一緒に食べて下さい!」
 少女達は一斉に言って、手に持っていた皿を差し出した。
 頬を真っ赤に染めて、恥ずかしさに俯いたまま、真っ直ぐに腕だけを紫苑に伸ばしていた。
(やっぱり…)
 始めて話しかけれてからほぼ毎日。
 さすがに人は違うものの、紫苑は決まってこのような頼まれ事を受けていた。
 内容は今回のものとほとんど同じだ。
 「兵士の皆さんと一緒に――」そう言って、彼女らは紫苑に様々な差し入れ品を頼む。
「ありがとう。みんなにも伝えておくよ」
 紫苑はそう言って、少女達からそれらを受け取った。
 少女達の差し出している品々は、どれもまだ、ほんのり湯気が立っていて―――。
 どれも実に美味しそうである。
 壱与が作ったようなものだったらいざ知らず、せっかくの美味しそうな差し入れを断る理由はまったくない。
 紫苑は微かに微笑んで、少女達に礼を述べた。
 その声に顔を上げた少女達は、紫苑のその微笑みにたちまち顔を真っ赤に染め。
 実に嬉しそうに、恥ずかしそうに。足早になって去っていった。
「くぅ〜」
 足元に居た例の白い子犬が、その匂いに鼻を鳴らした。
 紫苑はそれに顔を向けると。
「分けてもらえる様に頼んで、了承が得られたら食わせてやるよ」
 微笑んで言った。
「わんっ」
 子犬は紫苑の言葉が分かったらしい。
 嬉しそうに尻尾を振りながら、明るく鳴いた。
 もしかしたら、紫苑にかまって貰えたのが嬉しかっただけなのかもしれなかったが――どちらでも良かった。


 紫苑は兵士達の元へ足を運んだ。
 先ほどの少女達からの差し入れを届けるためだ。
「おっ!紫苑じゃねぇか。どうしたんだ?」
 紫苑に気が付き声を掛けて来たのは、ヤマジだった。
 何人かの兵士と共に、紫苑の元にやって来る。
「ああ。さっき、また差し入れを届けてくれる様に頼まれたんだ」
 紫苑が告げると、ヤマジを含めた兵士達は、揃って顔を顰めた。
 憐れみと呆れが入り混じったような苦笑だ。
「?なんだ?」
 紫苑はそんな彼らの表情の変化を疑問に思い、問うた。
 食事は実に美味しそうである。
 まだここに来て日が浅い自分よりも、彼らの方が余ほど差し入れを喜んでも良いはずであるのに。
 紫苑には彼らの表情の意味が理解できなかった。
「おいおい、紫苑。お前、その差し入れの意味、本当に分かってるのか?」
「?どういうことだ?」
 素でハテナマークを飛ばしている紫苑に、ヤマジは呆れたように溜息を一つ付いた。
 疑問に首を傾げていた紫苑が、そんなヤマジの様子に顔を顰める。
 バカにされていると取ったのだ―――実際それは、はずれてはいないのだが。
「お前、どうして自分がそれを頼まれたと思ってやがんだ?」
「どうしてって…そんなの、偶然だろ?たまたま俺が近くを通ったからじゃないのか?
そうじゃなかったら、年下の俺の方が、頼み事をしやすいからだからだろ」
 紫苑は答えた。
 兵士の一日の活動は、ある程度決められている。
 見張りや訓練の時間はもちろんの事、食事の時間もだ。
 もちろん睡眠時間もある程度決められていた。
 いざという時に、寝不足で闘えないなどという事が起きたなら、それこそ目も当てられない。
 よって、各々の休憩時間というのも決まってくるのである。
 あまり見張りなどの仕事が回ってこない―――基本は壱与の護衛なので、いつでも壱与の傍に居られるように―――紫苑は、差し入れなどのしやすい夕食時は自由になる事がほとんどなのであった。
 しかも自分は兵士職に就いている者の中では一番若い。
 このような中でに限れば、むしろ幼いと言っても良いかもしれないような歳だ。
 しかも体格的にはかなり頼りなく見える事も自覚している。背も低いし…。
 少女達にしてみれば、屈強な年配の男に、小間使いのような仕事を頼むのはかなり気が引けることだろう。
 はっきりいって、紫苑がマジでそう思っているのは明確である。
 紫苑のその答えを聞いて、兵士達は唖然とした。
 呆れを通り越して、もはや驚きに目が点になる。
 暫く続いた重い沈黙を破るように口を開いたのは、ヤマジだった。
「……。ああっと…質問を変えるか。じゃぁ、なんでこんなにも毎日差し入れなんてされるんだと思う?」
「なんでって…それこそ決まりきった事だろ」
「ほう…なんだ?言ってみろよ」
 ヤマジのその物の言い方に、紫苑は僅かに顔を顰めた。
 はっきり言って、命令されるのは嫌いである。そのような口調も。
「ふぅ…。自分達も、何らかの形で、邪馬台国を守るのに役に立ちたいからだろ…。
他に何があるっていうんだ?」
 紫苑は疲れたように言った。
 そんな分かりきった事を、何故今更聞くのだと言わんばかりの態度だ。
「……」
「?何黙ってるんだ?前からそうだったんだろ?」
 何も言わないヤマジ達に、紫苑は首を傾げた。
 そんな紫苑を見て、彼らはたいそう同情した。
 紫苑にではない。紫苑に差し入れを頼んだ少女達にだ。
 紫苑が邪馬台国に来る前も、もちろんそのような差し入れはあった。
 だが、それはこんな―――ほぼ毎日というほど―――に頻繁なものではなく。
 至極時々、紫苑が先に言ったような理由―――兵士達へのねぎらいなどから、国の「年配」の女性が、本当に時々、食事などを作ってくれる程度だったのだ。
 少女達の目的は一目瞭然である。
 が、しかし。
「…まぁ、そうだな。とりあえず、これはありがたく貰っておくぜ」
 何が悲しくて、もてる男にその事を気付かせなければならないのか。
 気づきたいなら自分で気付け。って言うか、むしろ気付くな。
 彼らは言葉を濁し、紫苑から皿を受け取った。
 そう。
 少女達の目的は紫苑である。
 紫苑に手作りの食べ物を贈るための言い訳―――というか、紫苑に話しかけるための言い訳として、食事を作っているに過ぎないのだ。
 あわよくば、紫苑にそれを食べてもらえるかもという期待を込めて。
 邪馬台国中の少女達が、紫苑に夢中であった。
「あっ、そうだ」
「どうした?」
 皿を持って去ろうとした彼らの耳に、紫苑の声が届き、彼らは紫苑を振り返った。
 紫苑は立ち止まって訪ねる彼らに言う。
「その差し入れなんだけど…少し、この犬に貰ってもいいか?」
 紫苑はそう言って、足元にいる白い子犬を指し示した。
 兵士達が再び少女達に同情したのは言うまでもないだろう。
 紫苑が食べないどころか、犬に―――。
 そう思うなら彼女らの気持ちを言ってやれ!と思うが、それはそれ。
 彼らにはそんな気持ち毛頭なかった。
「ああ?別にかまわねぇが…どうしたんだ?その犬」
「着いて来たんだ。まだ子犬だし…ほおって置くことも出来ないだろ」
 紫苑が言うと、彼らは「以外だなぁ」「らしくないな」などと言って、からかうように笑って見せた。
 居心地が良いとは言えないが、別に怒ることもでない。
 これら彼らなりのコミュニケーションの取り方なのだと理解してしまえば、どうという事もないのである。
 紫苑は苦笑をするだけで、それらを流したのだった。


 紫苑は与えられた寝所にいた。
 子犬も一緒である。
 
外はもう暗く、寝ようかと戻ってきたのだった。
 はじめ、紫苑は子犬を外においておくつもりだった。
 だが、子犬は紫苑の傍から決して離れようとはせず――。
 仕方がないので、部屋の中に入れたのだ。
「白苑(はくえん)」
 紫苑は子犬を呼んだ。
 ここへ戻っている道の途中、紫苑が連れている白い子犬を見に、子供達が集まって来た。
 嬉しそうに、ふわふわとした毛並みの子犬にじゃれつく彼らを、穏やかな心地で。微笑って見ていた。
 すると、子供の一人が、紫苑に子犬の名前を尋ねてきた。
 そこで漸く紫苑は、子犬に名前がない事に気が付いた。
 そもそも、連れて来たつもりもなかったのだから、当然と言えば当然かもしれない。
 子供達にその事を告げると、皆一様に「それじゃ可哀想だよ」と言って、名前を考え出した。
――白苑――
 どうということもない。
 ふと浮かんだだけだった。
 真っ白な―――皆の集まるところ。
 子供達に囲まれる子犬を見ていて、浮かんだものだった。
 結局、子供達の強い推薦もあって、子犬の名前はそれに決まった。
 見れば、子犬も嬉しそうに紫苑を見上げ―――。
 それを見た紫苑は、別に良いか…と、子犬の名前を決めたのであった。
 紫苑に呼ばれた子犬――白苑は、嬉しそうに紫苑の元に駆けて来る。
 とことことした、まだおぼつかない足取りが、いっそう可愛い。
 紫苑は顔を綻ばせ、白苑を抱き上げた。
「白苑。お前は、どうして俺に着いて来たんだ?
餌に釣られたか?」
 そう言いながらも思い出していたのは、白苑に名前を着けた時の事。
 紫苑は子供達にも好かれていた。
 子供達にとって、紫苑は英雄のような存在なのかもしれない。
 強い。強い英雄。
 はじめの内は恐がって寄ってこなかったが、暫らくして紫苑が微笑うようになるに連れ、子供達も紫苑になついてきた。
 結局のところ、子供という者は、根の優しい人間を本能で感じ取れるのだ。
 子供達はいつも、紫苑に遊んで欲しいとせがむ。
 紫苑は困った。
 そうしてやりたいのはさまさまだが、なにぶん遊び方を知らないのだ。
 月代国が健在だった頃から、彼は外で大勢と遊ぶという事があまりなかった。
 父の蒼志や、母の緋蓮が禁止したというのではない。
 ただ、他にやる事がたくさんあって、その時間が取れなかっただけだ。
 一応一国の皇子。
 ナシメのような教育係が存在していて、彼が止めたというのは、間違ってはいなかった。
 しかし、紫苑のそれは無駄な危惧に終わった。
 子供達にとって、そんな事は関係ないのである。
 ただかまってもらえればそれで良いのだ。
 そんなある日。
 子供達の一人が紫苑言った。
「方術を教えてよ」
 紫苑はその言葉に、どこか悲しい気持ちになった。
 子供達が方術を習いたいという気持ちは分かる。
 兵士達と同じようなものだろう。
 邪馬台国を守りたい。そのために強くなりたい。
 子供達にしてみれば、ただの憧れだけかもしれなかったが。
「それは…出来ないんだ。ゴメンな」
「ええ〜。どうして〜」
 悲しそうに言う紫苑には気付かず、子供達は不満の声を漏らした。
 当然だろう。
 だが、紫苑には子供達にどんなにせがまれようとも、方術を教える気はなかった。
 理由の一つは、兵士達に方術を教えるのを拒んだものと同じだ。
 強力な力は時に危険を招く。
 それは諸刃の刃なのだ。
 時に強さは人を狂わす。
 それが精神の未熟な者なら特に。
 まだ幼い彼らには、あまりに危険だった。
 自分とて、彼らよりも幼い頃から方術に触れている。
 しかし、自分に方術を教えたのは、それを極めた。
 精神的になんの未熟さもない――少なくとも紫苑はそう思っている――大人達だった。
 紫苑はうぬぼれてなどいない。
 自分が精神的に十二分であるなどとは、かけらも思っていないのだ。
 そしてもう一つ。
 それは、彼の個人的な思いだった。
 自分は、戦のない世界を築くために生きている。
 にもかかわらず、戦術である方術を、戦がなくなっていて欲しい時代に生きる子供達に教えるというのは、どこか矛盾しているような気がしてならない。
 そしてその事は、後々に激しい戦を作り出す火種になりはしないのか。
 そんな危惧が頭をよぎるのである。
 だから彼は言った。
「必要ないからだ。もし必要な事があれば…その時は、教えてやる」
 もし。
 未だこの世界が戦乱に蠢いていたのなら。
 彼らが自分達の意志を引き継ぎ、闘うための牙がどうしようもなく必要であるのならば。
 そのときは―――。

「くぅ〜」
 悲しげなその鳴き声に、紫苑は現実に引き戻された。
 見ると、心配げな表情でこちらを見つめている、白苑の姿が目に映った。
「寝るか」
 紫苑は微笑んで言った。
 何故この子犬が自分に付いて来たのかは分からなかった。
 けれど、紫苑は何となく感じていた。
 この子犬が、自分にとってとても頼れる存在になるであろうことを。
「あれ…お前、こんな所に傷なんてあったのか?」
 紫苑はふと気づき呟いた。
 白苑の左耳の裏側に、小さな傷がある。
 よくよく見ると、それは月読の剣にも刻まれた刻印のような―――。
「まぁ…いいか」
 傍に居てくれるのなら。
 それだけで安心できるのなら。
 そうして、紫苑と白苑は眠りに就いた。
 長く。そして短い一日の終わり。
 また、すぐに次の日が来るけれど。
 また、今日のように生きていく。



 その後も、子犬は紫苑の傍を離れる事はなく。
 彼と共に歩む、もう一つのパートナーとして―――。



おわり



■ネタバレあとがき(しかも長い。そしてくだらない)■

真闇さまに捧げました700HITリク小説です。
リク内容は「邪馬台幻想記小説。邪馬台国の一日(ほのぼの&明るい系)」でした。
いかがでしたでしょう?…って、ちっともリクに応えられてないですね。これ(汗)。

はじめ、壱与たちと釣りにでも行く話しにしようかなぁ…とか思ったのです。
でも、邪馬台国の一日。
という事でしたので、紫苑を取り巻く邪馬台国の人々とか、本当に日常的な事を書いてみようと挑戦しました。
で、結果。自滅しました。
書いてる間中ず〜っと、紫苑には犬より猫の方が合うわ(ゆうひの勝手なイメージです)!
しかも白い子犬って…それじゃぁハルのところのあれと一緒(滝汗)。
とか思いながら書いてました(笑)。
でも、犬の方が人についてきそうだし…。白がいいし・…。とね。
そして思ったどうでも良いこと。
蒼志の「蒼」と緋蓮の「緋」を混ぜたら紫苑の「紫」になるなぁ…とか(気付くの遅い)。
ちなみに。
「苑」という字には「物事の集まるところ」という意味があるそうなので。
名前つけてみました。


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