夏夜の気配









 偽り続ける。

 どこまでも。

 最後まで。

 たった一人。

 最愛のあなたを除いて―――。











「お帰り」

 任務を終えた後の、幾分かだるい身体を引きずっていた紫苑に掛けられたのは、そんな言葉だった。
 暗い廊下の先から聞こえたその声の主を探すように、紫苑は前方へ目を凝らす。
 声の主の正体は、その姿を探さずとも分かってはいたが、姿を見たかった。

「ただいま」

 紫苑が穏やかな声で返すと、声の主がゆっくりとその姿を現した。
 暗い廊下の先から、腕組みをして歩いてきたのは、黒髪に赤い瞳の少年。紅真だった。

「お疲れ。どうだった?今回は」

 紅真は紫苑に尋ねた。
 紅真の問いかけに、紫苑は軽く肩を竦めて見せるだけで答える。
 たいしたことはない。
 そんな素振りだった。

 ここは陰陽連支部の一つ。
 紫苑は、たった今、任務から戻って来たばかりだった。

 紫苑と紅真。
 この二人が陰陽連に来てから三年が経っていた。
 二人は同じ人物の元で腕を高めあう、兄弟のような存在だ。
 互いに抜きつ抜かれつを繰り返して、その実力を伸ばしてきた。

「待ってるのは辛いな。もう何ヶ月も経ったような気がする」

 そう言って、紅真は紫苑の身体を優しく抱きしめた。
 紫苑は黙って紅真に抱かれる。

「相変わらず大げさだな。まだ数日しか経っていない」

 紫苑は軽く笑ながら言った。
 紫苑のその言葉に、紅真は僅かばかり拗ねた様に――それでも紫苑は抱きしめたまま、反論した。

「なんだよ、紫苑は俺と離れてても平気なのか?」

 紅真がそう言うと、紫苑は今まで紅真に抑えつけられるような形になっていた頭を僅かに動かし、
 紅真の顔を覗けるようにしてから返した。
 自然と浮かんでくる暖かな微笑を紅真に向け、やわらかな口調で話す。

「そんなことないさ。俺だって、紅真と一緒にいたい」
「じゃぁ、離れてたら嫌じゃないか?」
「ああ。嫌だな」
「それなら―――」

 待っているのが辛いのも分かるだろう?

 そう言おうとした紅真の言葉は、紫苑が人差し指を口元に当てる行為で止められた。
 相変わらずの微笑のままでそうする紫苑に、紅真は思わず言葉を止める。
 ふわりとした、暖かな空気が辺りに広がっていく気がした。

「会えないのは辛いさ。離れているのも嫌だ。だから、考えないようにしてる」

 時間がゆっくり過ぎるのではなく、あっという間に過ぎ去ってしまうように。
 長く会えないと感じないように。
 まだ大して時間が過ぎ去っていないのだということを、はっきりと感じるようにしている。

「その方が、ずっと一緒にいられてる気がする」

 紫苑はそう言って、今度は自分から、その額を紅真の胸元に押し付けた。
 紅真の体温を感じるように、その瞳を閉じる。
 身体の。心の疲れが和らいでいくのを感じた。

 どれほどそうしていただろうか。
 心地良い静寂を破り、紅真が口を開いた。

「なぁ…紫苑」
「なんだ?」
「…いつまで、こうしてられるんだろうな」
「…さあな」

 紫苑は紅真から身を離した。
 紅真は名残惜しそうに紫苑の身体から腕を離す。
 ゆっくりと、二人の距離が開いていった。
 紫苑が口を開く。

「シュラしだいさ。あいつが、俺たちのどちらかにその任務を与えれば、
それが始まりだ。一斉一代の、大芝居」
「今も芝居だけどな」
「そうだな…」

 紅真の台詞に紫苑が頷き、また沈黙が訪れた。
 どこかで鳴き騒ぐ虫の音だけが、辺りの空気を揺らす。

「なぁ紫苑。本当に、どちらかがここに残らないといけないのか?」

 紅真が追い詰められた様に言った。
 顔を歪め、最後の砦に縋るように。

「…そうだ。両方が邪馬台国へ行くことは出来ない。
どちらかが陰陽連に残って、監視しないといけない」
「監視されてるのは俺達の方じゃないのか?」
「…そうだな。あいつがいる前では、こうやって話すことも出来ない」

 紫苑は軽く笑った。
 それにつられるようにして、紅真も軽く笑う。

「どっかにいるかもしれないぜ?暗闇に隠れて、あの鳥がな」
「いないよ。いくらなんでも、式神の気配ぐらい察知できる」
「いたらまた芝居か?」
「当然だろ」

 紫苑は素っ気無く言った。
 二人が言っているのは、シュラの監視用式神のことだった。
 いつも二人の周りを飛び回っている、黒いカラスのような鳥だ。

「高天の都のことはなにも知らない。俺も、お前も、それで通す」
「わざわざ自分で探させるのか?何も知らないふりをして?」

 面倒くさい。
 紅真はそんな様子で言った。

「教えたら意味がないんだよ。こういうことはな」
「俺達が離れてまで?」
「全部終わったら、また一緒になれるだろう?今もそうだ」
「…」

 紫苑の意味ありげな微笑みに、紅真は黙り込んだ。
 上目遣いに見上げる紫苑の瞳が、どこまでも魅惑的で。
 彼は身動きが取れなかった。

「さてと。そろそろ戻るか」

 言うと、紫苑は踵を返した。

「紫苑」

 暗闇の中へと歩いていく紫苑の背中に、紅真が声を掛ける。
 紫苑は立ち止まって振り返った。

「なんだ?紅真」
「…刻印の心具は、始めから使えるようにしておくのか?」
「前にも言った通り。そんなに簡単に夢を手にしたら、ありがたみがないだろう?」
「ヘイヘイ…。忠誠を誓ったふりをして、その実力ためしですか」
「お前が言ったことだろう?高天の都の末裔には任せられないって」

 紅真は紫苑のその言葉に、ただ黙って微笑った。
 紫苑もそれに返すような微笑を最後に、今度こそ自室に戻るために歩き出した。




















 気配がする。
 新しい芝居の幕開けの気配。
 夏の夜の湿った空気のような。そんな気配。

「もうすぐだろうな」

 紫苑は言った。

「ああ。邪馬台国は、もうかなりでかくなった」
「そろそろ潰しにかかるだろ。シュラなら」

 無視することができないほどに、その身に纏わりつくような。
 そんな気配をはっきりと感じる。

「一斉一代の…大芝居…か」
「もう直ぐ幕開けだぜ。…どっちになるだろうな」

 それは確信だった。
 紅真と紫苑。
 二人のうちのどちらかが、確実にその任務を任される。

 騙し、騙され。
 互いに監視しあう関係。

「シュラも気付いてるだろ。俺達が何かを隠していることに」

 互いに。

「でも…俺達の真意には気付いてないはずだぜ」
「当然だ」

 本当の目的。
 すべてをなくして。
 すべてを偽って。
 すべてをかけて。

 そうしてでも手にしたい目的。

「俺達の真意は、誰も気づけない――」

 それは確信。
 誰にも変えられない真実。













 偽り続ける。

 いつまでも。

 誰にも真実を見せずに。

 ただ一人。

 最愛のあなたを除いて―――。

















 誰も、本当の姿を見つけられない。















おわり




■あとがき■

…紫苑を迎える紅真が書きたかっただけです。
二人の仲の悪さは周囲を欺く罠なのです(笑)。
はじめは裏行きにしようかな?
と考えていたのですが、その必要なくなりました。
さて、二人は何を企んでいるんでしょう。
これが明かされるかどうかは…管理人の気まぐれ次第(爆)。





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