金糸雀




















あなたの声を聞かせて。



その姿を見せて―――。





















その時、彼の怒りは最高点に達しようとしていた。
原因はわかっている。
が、しかし。だからといってどうする事もできない。
こればかりは待つしかないのである。

紫苑は溜息をついた。
水滴の滴るグラスを手に取り、その中身を飲もうと、ストローに口をつける。
カランという氷のぶつかり合う涼やかな音が響いた。
グラスの中身のレモンティーは、もうなくなりかけている。

紫苑がいるのは、とあるオープンカフェ。
空は薄水色に晴れ渡り、暑くもなく寒くもなく。
心地良い安定した気候の日だった。

「遅すぎる…」

紫苑は呟いた。同時に、再び溜息を吐く。
その声には、苛立ちから来る怒りの様がはっきりと込められている。
彼は腕時計に目を下ろした。
刻一刻と刻まれる秒針の音が響く。
待ち合わせの時間は、もうとうの昔に過ぎていた。

「何やってんだ。あのバカ…」

紫苑は呟くと、伝票を手に取り、立ち上がった。
揺れる白銀の髪が、移動する彼の影を残し、彼はカフェを後にした。
白銀の残像に、周囲にいた人々が目を回したのを、彼は知るよしもなく。


















その時、彼は焦っていた。
理由は明らか。その原因もわかっている。
が、しかし。それを回避するのは、想像以上に難しく。
彼の苛立ちは頂点に達しようとしてた。

「だーー!!お前ら、どけ!!」

紅真は叫んだ。
彼の周りは、彼と同じ年頃の少女達によって取り囲まれている。
紅真の叫び声に、少女達は嬌声をあげた。嬉しいらしい…。
耳に劈くような、十代の少女特有の高い声が響き渡る。
紅真は顔を顰める。泣きたいような気分だった。

彼がいるのは、彼の通う高校の校門前。
現在の時刻は、土曜の正午を一時間も過ぎた頃。
私服登校であるこの学校は、自由な校風が売りでありながら、その学力は国内トップクラスを誇る名門校だ。
紅真はその高校の一年生であり、今彼を取り巻いている少女達もまた、そこの生徒であった。

この日、紅真は選択科目の必修の為に学校に来ていた。
選択科目を取っていない生徒は、土曜は自宅学習――つまりは休みである。
土曜の授業は午前中に一時間だけで終了であるから、午後は丸々自由である。
選択科目を必修していない生徒と、午後から待ち合わせて出かけるという行為は、良くある光景であった。

その光景の中には、紅真も例外なく含まれ――。
つまり、彼はこの日、知人と待ち合わせをしているのである。
待ち合わせ時刻は正午丁度。
本来ならば十時には終わる土曜の授業であるのだが
授業終了後、紅真は運悪く教師につかまり、細々とした雑務を手伝わされたのだった。

それらが終わったのは、つい先程。
すでに待ち合わせ時刻は過ぎており、
紅真は大急ぎで待ち合わせ場所に向かうべく、廊下を全力疾走していた。
危険極まりない行為である。

その行為の酬いなのかどうかは定かではなかったが。
校舎を出て直ぐの現在地点で、彼は自分のファンを公言する少女達に囲まれたのであった。
それから彼は進退きわまっているのである。

(早くしないと…)

紅真は胸中で呟いた。
彼の待たせている人物は、とにかく時間にうるさい。
しかもかなり頑固なところがあり、一度機嫌を損ねさせてしまった場合、
それを回復させるのはかなり困難な事であるのだ。

「ああもう。頼むからどいてくれよ…」

紅真は意気消沈したような声を出した。
少女達は紅真が何か言葉を発するたびに、歓喜の声をあげた。
少女達にとって、彼の台詞と意志はどうでも良いらしい。
ただ好きの人の声を聞きたいのだ。
滅多に声を発しない彼が自分達に何かを語りかけている。
その現実に、少女達は心躍らせていた。

「紅真くん。これから私達と一緒に出かけましょうよ」
「賛成!!どうせもう授業も終わって、何にも用がないんだし!」
「うん。それいい!」

とある少女の台詞に、他も少女達も賛成の声を上げる。
紅真はそんな彼女達の様子にキレそうになった。

お前達に用がなくても俺にはあるんだよ!!
勝手に話を進めるんじゃねェ!!

そう叫びたかったが、彼に残る理性がそれを、ぎりぎり抑えた。
怒鳴るのは簡単だが、怒鳴ったところで彼女達に効き目があるとは思えない。
はっきり言って疲れるだけになる事が目に見えている。
それだけならまだしも、あるは逆効果にもなりかねないのだ。
紅真は拳を握り締めてそれに耐えた。

「ねぇ紅真くん。紅真くんはどこが良いと思う」

少女達が振り向いて言ってきた。
紅真が必死で怒りを抑えている間に、話しが勝ってに進んでいたらしい。
少女達の話題は、もうすでに紅真と共にどこへ行くかという所に移っている。
紅真は「一緒に行く」とは一言も言っていない。

紅真は身勝手なそんな少女達に、抑えた怒りが再び蘇って来るのを感じたが。
ふと考えを改めた。

(これって…チャンスなんじゃねぇのか?)

紅真は心中でにやりとほくそえんだ。
ここで待ち合わせ場所の名前を出せば、そこへ向かえるではないか。
確かに人数が多くて鬱陶しいが、これ以上無駄に時間を過ごすよりはマシである。
待ち合わせ場所に着いた時点で、少女等をまいてしまえば良い。
膳は急げと、紅真は口を開いた。

「そうだなぁ…。俺は…――」
「――どこがいいんだ?」
「?!」

紅真はいきなり響いてきた声に、慌てて振り返った。
少女達も声のしたほうに顔を向ける。
そこには。

「楽しそうだな。紅真」

にっこりと微笑む、世にも恐ろしい紫苑の姿があった。
口元は笑っているが、その全身から溢れるオーラは怒りに満ちてる。
紫苑の言葉に、紅真は口元を引きつらせながら片手を挙げて見せた。

「ま、待て。紫苑。これには訳が――」
「黙れ紅真。俺は帰る。お前は女の子達とどこへでも行け」

慌てて弁解しようとする紅真の言葉を遮ると、紫苑は微笑を浮かべたまま、
有無を言わせぬ様子で口早に捲くし立てる。
口を挟む隙も与えずに捲くし立てた後は、くるりと紅真に背を向けて、
そのまますたすたと歩き出してしまった。
紫苑のその後姿には、立ち止まる気配などまったくない。
紅真はそんな紫苑を引き止めるように、その腕を彼の背中に向けて伸ばすが…。
それは少女達に阻まれ、虚しく虚空を掴むばかりだった。

「なんだったのかしら?」
「さぁ?」
「どうでもいいじゃない。それよりも紅真くん。さっきなんて言おうとしたの?」

とある少女のその言葉に、紅真はとうとうブチぎれた。
実際、紅真にはどこかで何かが切れるような音が聞こえた気がしたのだ。
紅真は怒りの表情露わに少女達を睨みつけると、

「うるせえぇぇ!!」

一喝した。
さすがの少女達も、紅真のこれほどまでも怒りに身体をびくりと竦ませた。
こんなに紅真が怒っているのを見るのは始めてだ。
少女達は皆一様に、何も言えずに呆然となった。

「あっ…、どこ行くの?紅真くん!」

紅真が少女達を掻き分けて紫苑を追おうと走り出すと、一人の少女が慌てて声をかけた。
それに触発されてか、他の少女達も我に返り、紅真に問いかける。
紅真が無視して走り去ろうとするのを、少女達は引き止めようとしてかれの前に廻りこむ。
紅真は戸惑ったような瞳で自分を見上げてくる少女達を見、更なる苛立ちが湧き上がってくるのを感じた。

「どけ!!てめぇらのせいで紫苑を怒らしちまったじゃねぇか!
俺が紫苑に振られたら、女だろうがてめぇら全員、容赦しねぇからな!!」

紅真は我知らずの内に怒鳴りつけると、紫苑の去って行った方向めがけて一目散に駆けて行った。
後に残された少女達は呆然とそれを見送る。

「紫苑くんに振られるって…どういうことなんだろ…?」
「さぁ…」

奇妙な沈黙が、辺りを支配した。



















(まだそんなに遠くに行ってるなよな、紫苑)

紅真は焦れたように胸中で呟いた。
走りながら辺りに視線を走らせ、目的の人物を見落とすなどという
まぬけなマネだけはしないようにと、意識を集中する。
暫らく走った頃。
紅真の目に見慣れたその姿が写った。

「紫苑!!」

紅真は探し人の背を捕らえて声を上げた。
辺りの人々が驚きに紅真を振り返るが、呼ばれた紫苑はその素振りさえ見せない。
紅真は舌打ちすると、走る速度を上げて紫苑の背に追いついた。
紫苑の肩に手を添え、注意を自分に向かえさせようとする。

「おい、紫苑!話し聞いてくれよ。あれは誤解なんだって!」
「誤解?俺が何を誤解していると言うんだ?」

紫苑は紅真を見ようとはせず、真っ直ぐに歩きながら淡々と言う。
聞く耳持たないと言う態度が明らかだ。
その怒りが並みではないということも…。

紅真はどうした物かと頭を抱えたい気分に陥った。
心中で思いっきり溜息をつく。
どう言えば紫苑の誤解を解き、彼の機嫌を直すことが出きるのか。
紅真が黙って考えを巡らせていると。

「…いつも」

紫苑が急に呟いた。
紅真は何かと紫苑を見つめる。
紫苑は相変わらず前を向いたまま、紅真には決して顔を向けずに話しかけてくる。
歩みを止めることなく小さな声で話すその様は、ともすれば独り言かと思ってしまう。
しかし、紅真は、はっきりとそれが自分に向けられている言葉であると確信していた。
黙って紫苑について歩きながら、その声に耳を傾ける。
先程の少女達との声とは違い、美しく、心に暖かい声だと紅真には感じられた。

「いつも不安になる。時間が過ぎても誰も来ないで…たった一人で待っていると…」
「紫苑…」

紫苑の泣き出してしまいそうな声に、紅真はいつもの待ち合わせパターンを思い返した。
紫苑はいつも、待ち合わせ時間の十分前から五分前には着くようにしている。
相手を待たせないようにだ。
紅真は、そんな彼とは正反対に――いつも遅れてくる。

「時間が過ぎても誰も来ないと…
すべてが自分一人の勘違いと思い込みだったんじゃないかと不安になる」

心細くなる。
泣きそうになる。

「俺一人だけが…思っているんじゃないかって…」

会いたい気持ちも。
一緒にいたい願いも。
好きだと思う心さえも…。

「自分だけなんじゃないかと思うんだ」

分かるか?

そう言い、紫苑はようやく紅真へ顔を向けた。
悲しそうな微笑を浮かべ、紅真を真っ直ぐに見つめてくる。
そんな紫苑の表情に、紅真は胸が締め付けられる思いがした。
胸が苦しい。言いようのない思いが心を支配し、締めつける。

何を言って良いか分からず、紅真は紫苑の肩を後ろから抱きしめた。
二人の歩みが止まる。
いつのまにか、二人は小さな公園の前まで来ていた。
人の姿は見えない。小さな美しい鳥だけが、その公園を使用していた。

「紫苑だけじゃねぇよ…絶対に」

紅真は言った。
紫苑の耳元に口を近づけ、小さくささやくようにする。

「どうしてそう言える?」
「…聞きたいから」

紫苑の言葉に、紅真は言った。
紫苑に顔を擦り寄せる様にする彼のその姿は、まるで甘る子供のように見える。
紅真の髪が紫苑の目にかかり、紫苑は片目を閉じ、いぶかしむように訊いた。

「聞きたいって…何がだ?」
「紫苑の声」

紅真は即答する。

「紫苑の声が聞きたくて、その姿を捉えていたくて、こうやって…紫苑に触れていたい」

その心を自分だけで埋めてしまいたくて。
自分の心はそれだけで埋めつくされれていて。
そのすべてを、一人締めしたくなる。

「愛してるよ。紫苑…」

紅真は優しい声音で、そう呟いた。
その後の二人の行動は、本人達のみ知るところである。




















次の日。
彼らが登校すると、昨日紅真を取り囲んでいた少女達が紫苑の前に立ち並んだ。
きょとんとして目を見開いている紫苑をよそに、少女達は一斉に頭を下げた。

「ごめんなさい」
「私達、お二人のこと何にも知らなかったんです」
「邪魔しようなんて全然考えてません!」
「私達みんな、お二人のこと応援してします!!」

思い思いにそう言うと、少女達は来た時と同じく一斉に去って行った。
少女達が去ってから暫らく呆然としていた紫苑は、突然気が付いたように隣に立つ紅真を睨みつけた。
紅真はそんな紫苑から目を逸らしている。
額にうっすらと冷汗のようなものを掻いているのは、決して気のせいではない。

「紅真…。お前、昨日、彼女達に何を言ったんだ…――」

紫苑の声からは静かな怒りが感じ取れる。
紅真は今すぐ逃げ出したい気分にかられていた。
結局、良い言い訳も思いつかないまま、
紅真は紫苑に真実を包み隠さず伝えるはめとなり…彼の機嫌を再び損ねる事となる。
今度のそれは簡単には解けることはなく、紅真は紫苑に一週間は口を利いて貰えなかったらしい。

追尾として。
彼らの通う高校の男子生徒の多くが、
彼ら二人の関係を聞き、密かに涙を流した事を、ここに記しておこう。























あなたの美しい声を聞かせて。


その姿を見せて。


触れさせて。


そして、その傍にいさせて―――。
























おわり





■あとがき■

タイトルの「金糸雀」とは「カナリア」のことです。
「カナリヤ」って、書いた方が良いのかな?
まぁそれはそれとして、初の現代版邪馬台幻想記小説。
いかがでしたでしょうか?
紅真と紫苑のイチャイチャ(爆)なだけになってしまいました…。
感想いただけると嬉しいです。



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