破倫
〜HARIN〜
好きな気持ちが止まらない―――。
邪馬台学園。 そこは、幼稚園から大学までがエスカレーター式の、私立の名門校だった。 そこに通うほとんどの生徒は幼稚園ないし小学校からの幼馴染と言っても過言ではない。 生徒の自主性を重んじたその学校の運営は、生徒一人一人がこの学校を愛し、高めようとしていることが大前提として成り立っていた。 その邪馬台学園の中等部。 現在の生徒会長は、壱与という名の三年生の女子生徒である。 そのカリスマ性と、誰よりも邪馬台学園を愛している彼女を除いて、生徒会長は他にいない。 中等部全員一致の思いだった。 「「紅真く〜んvv」」 邪馬台学園中等部の武道場。 そこの入り口という入口を埋め尽くしている少女達の歓声が響いた。 邪馬台学園は文武両道の名門だ。 学園の敷地内にある武道場はかなり大きな物であり、そこでは様々な武道の修練が行なわれていた。 放課後である現在は、各武道系の部活動に使用されていた。 武道場は二階建てである。 一回が床張り。ニ階が畳である。 剣道。槍術。居合道。薙刀。柔道。空手。 一見しただけでもそれだけの種類の部活動が活動し得るくらいの広さがある。 少女達の歓声が送られている先は、剣道部だ。 剣道部所属の十数人の部員と剣道部以外の他の者達を含め、生徒たちはその歓声に呆れたような、憐れんだような気の毒そうな苦笑と、又は羨望の眼差しと。 様々な感情が入り乱れる中、その中でも一際不機嫌そうな表情が剣道部の中心に居た。 不機嫌過ぎるその表情をした少年の名は紅真。 この春から邪馬台学園中等部一年生で、剣道部所属。 目下少女達の人気と歓声を一人締め中の人物であった。 「紅真。また来てるぞ」 「お前も大変だな」 「何でお前ばっかり…」 紅真は先輩及び同級生達に、からかい混じりの労(ねぎら)いを受ける。 中にはやっかみも含まれていたが…。 「ふふふ。思いっきりストレス溜まってますって、顔してるわね〜」 急に紅真に声を掛けたのは、槍術同好会会長兼邪馬台学園現生徒会長の壱与であった。 どこか楽しむように笑っている彼女の顔を見て、紅真はますます不機嫌そうな顔をする。 疑うような。そんな目で壱与を見た。 「何のようだよ…」 「べっつに〜。ただ、あまりにもあんたが不機嫌そうな顔してたからね。声かけてみただけよ」 紅真の質問に、壱与はケラケラと笑ながら云った。 紅真は即座に、壱与の台詞が嘘であると直感した。 壱与は紅真の現状を楽しんでいるのだ。 紅真と壱与は共に邪馬台学園には幼等部の時から居る。 しかし、二人は二つ歳が離れている。 この頃の二つの歳の違いは大きい。しかも男女である。 この二人がここまで親しいのは、二人が幼等部以前の幼馴染。御近所さんだからであった。 「用がないならさっさと自分の部活に戻れっ」 「何よ〜、その言い方。あんたって昔っから口悪いわよねっ」 「てめぇに説教される憶えはねぇよ」 「あんたって…。そんなことばっかり言っていると、紫苑君にこのこと告げ口しちゃうわよ」 拗ねるようにそっぽを向いて言う紅真に、壱与は呆れ半分怒り半分といったお姉さん態度で接する。 たいていは何を言ってもただ不機嫌そうにあしらう紅真が、壱与が最後にからかうように言った言葉にだけは、どこか慌てたように反応した。 「なっ…おい!」 紅真は壱与を呼びとめようとしたが、壱与はそのまま自分の部活へと戻っていってしまった。 紅真に呼ばれた時に振り返った彼女は、明らかに目が笑っていたのだ。 まるで悪戯(いたずら)が成功した子供のように。 それは実に生意気で楽しそうなものだった。 「紅真ーー!!練習始めるぞーー!」 「あっ、はいっ」 壱与を追おうとした紅真であったが、同じ部活の上級生に呼ばれては仕方がない。 どれほど生意気な彼であっても、その辺の常識はわきまえているのだ。 紅真は素直に返事をして、他の部員の元へと戻っていった。 放課後。紫苑は図書室の窓から外を覗き込んでいた。 白い肌に銀色の髪。一見すると美少女のような少年である。 彼の手には通常より幾分か厚めの文庫本。 彼は邪馬台学園中等部文芸部に在学する一年生であり、紅真、壱与の幼馴染で御近所さんであった。 「紫苑?どうしたんだ?」 声を掛けて来たのは、同じ文芸部の一年生だった。 文芸部には専用の部室があるが、特に話し合いなどのない時は、各々が好きなところで活動することが多い。 もっとも、ほとんどが図書室で好きな本を読み耽(ふけ)っていたが…。 紫苑はゆっくりと窓の外に向けていた顔を、声を掛けてきた少年の方へと向き直る。 「いや、何でもない。少し外を見てただけだ」 「ふ〜ん。まぁいいかって…今日も凄い人だかりだなぁ」 少年は窓に貼り付くように外を見て言った。 少年の視線の先にある物は邪馬台学園中等部武道場。 周りにはたくさんの少女達が、取り囲むようにして群がっていた。 「紅真の奴もモテルよな〜。ったく、贅沢だよな。あんなにモテんのにさ」 「そうそう。迷惑だ〜なんていってさ。はっきり言って厭味だぜ。ありゃ」 いつのまにかもう一人少年が増えていた。 彼らは尚も、もはや中等部内で知らぬ者の居ない――。 一種名物となってしまった放課後の武道館の様子とその中心人物についての論を繰り広げている。 紫苑はそんな彼らの様子を苦笑して一瞥すると、読み途中であった本に視線を戻した。 実を言えば、紫苑自身小さい頃から武術を心得ている。 剣道の腕前では、紅真と並ぶほどだ。 中等部に上がった時も、紅真に散々剣道部に一緒に入ろうと誘われ続け――。 更には壱与からも槍術同好会に来いと勧誘されていたが、結局、彼は文芸部に入部したのだった。 身体を動かすことや武芸一般が嫌いというわけではない。 ただ彼は、疲れることが基本的に嫌いなだけだった。 何故文芸部を選んだかと訊かれれば、一人静かに過ごせるから。といったような理由ぐらいである。 もちろん本を読むのが好きなのもあるが…。 紫苑はにわかに騒がしくなってきた窓際を離れ、改めて読書に集中していった。 人気(ひとけ)のない所というところは、学校においてはけっこう在る物である。 逆を言えば、人が集まる場所。もしくは使用する場所と云う物は、決まってしまっているのだ。 部活動も終了した紅真は、いわば人気のない側の場所に呼び出されていた。 呼び出した相手は不明。 手紙に書かれていた文字から推測するに女の子であろうと思われる。 無視して帰ろうとした紅真に、手紙の場所に行くように進言したのは壱与だった。 紫苑と帰りの待ち合わせをしている。 紅真はそう言ったのだが、壱与は、そちらは任せて良いから手紙の場所へ行け。 と、紅真を押し切ったのである。 所詮、紅真も紫苑もお隣のお姉さんには勝てないのだ。 姉御肌の壱与は、生来の世話好きも相俟(あいま)って、もはや二人の監視役状態だ。 小さい頃から一緒であるこのお姉様は、二人の性格と弱点を、良く心得ていらっしゃるのである。 紅真はかなりイライラしていた。 紅真を呼び出した相手は、名前も語らず一方的に紅真を呼び出し、更には相手を待たせているのだ。 さっさと帰ってしまいたい紅真であったが、このまま帰ってしまうと壱与に何を言われるか分かった物ではない。 仕方なく、最低許せる範囲の時間(紅真にすると五分が限界)まで待つことにした。 これが別の相手(もしくは自分から呼び出した相手)ならいくらでも待てるのだろうが、いかんせん紅真は自分の意思を無視されるのが嫌いであった。 何時までにどこそこまで来い。 と、相手の予定を無視して一方的に指定してくるような自分勝手な相手を、いつまでも心穏やかに待てるほど彼の心は広くない。 あと一分で五分が過ぎる。 紅真が腕時計から目を上げた時。 「待たせてごめんなさい」 息せき切った少女の声が響き、紅真はあからさまに顔を顰めた。 俯いて息を整えている少女は、紅真の不機嫌さに気が付いていない。 もう少しで帰れたのに! 紅真は憎々しげに少女を見下ろしていた。 「何のようだ?」 紅真は不機嫌さを微塵も隠すことなく言い捨てた。 訊かずともそんなことは分かりきっていたが、訊かなければ何時までたっても少女が話しを切り出さないであろうことも分かっていたのだ。 少女は暫らくの間、恥ずかしそうに俯いたまま。 言おうか言うまいか迷うにしてたが、意を決したように顔を上げると。 「あ、あの…好きです!付き合って下さい!!」 「やだ」 頭を下げた少女に、紅真は即答した。 少女は頭を下げたまま身体を振るわせた。 どこまでも冷たい紅真の返答とその声音に、その理由を問うことすらできずにいるのだ。 そんな少女の状態を見越してか、紅真は畳み掛けるように冷たい台詞を吐き捨てる。 「名も名乗らずに一方的に人を呼びつけて待たせるような女に、興味はねぇんだよ。 しかもいきなり付き合ってくれだ?お前は一体何様のつもりだ」 紅真の言葉に、少女は耐えられないといった感じで、泣ながら去って行ってしまった。 走り去っていく少女を無感動に見送ってから、紅真はさっさと帰ろうと踵を返す。 するとそこに――。 「……紫苑…?」 何時からいたのか、紫苑が立っていた。 思いもかけないことに、紅真の目が驚愕に見開かれる。 紅真は思わず呟いていた。 「何でここに居るんだ?」 「校門で待ってたら、壱与が紅真がこっちにいるって教えてくれたんだよ」 「壱与が…?」 紅真は顔を顰めた。 壱与は何故、紫苑にこの場所を教えたのか。 紅真には壱与の考えがさっぱり分からなかった。 「ああっと…。見てたのか?」 「最後の方だけな。勝手に音が耳に入ってきた」 紫苑は肩を竦めた。 それから――。 「紅真。お前、もっと他に言いようがないのか?あれじゃきつすぎるぞ」 ――言った。 紅真の顔が苦々しく顰められていき、しかし紫苑はそれにはかまわずに溜め息を付いて続ける。 歩きながら話すつもりなのだろう。 来た道を戻ろうと、紫苑は紅真に背中を向けた。 「だいたいお前、好きな奴とかいないのか?話しくらい聞いてやれば――?!」 紫苑の言葉は途中で止まった。 止めざるをえなかったのだ。 紫苑は紅真に肩を掴まれ、壁に押し付けられた体勢になっている。 急に何をするのかという、疑問と驚愕の入り混じった瞳で、紫苑は紅真を見つめた。 「…てめぇは・…どうなんだよ」 「え…なんて言ったんだ?」 俯いた状態で目を合わせずに言った紅真の台詞が聴き取れずに、紫苑は訊ねた。 紅真はほんの少しの間を開けてから、バッと、勢い良く顔を上げる。 睨むように紫苑を正面から見据えて言った。 「紫苑はどうなんだよ!」 「…どうって?」 「付き合ってる奴…いるのか?……」 「いないけど…」 紅真の問いに、紫苑は小さく答えた。 紅真が何を訊きたいのか。何を言いたいのかが分からない。 「どうしたんだ?紅真?」 「…紫苑は、好きでもない奴と付き合えっていうのかよ」 「…そんなこと言ってないだろ」 紫苑は溜め息を付いた。 一体なんだというのか。 「俺は、話しくらい聞いてやったらどうだって言っただけだろ」 付き合っている子がいないのならば、話くらい聞いてあげても良いと思ったのだ。 ともすれば、それで好感が持てるかもしれない。 「ぜってぇありえねぇよ」 「…そんなの分からないだろう。時間に遅れたのだって、何か急用が出来たからかもしれないし」 何より、紅真自身時間を守ることが苦手であるのだから、人のことは言えないはずである。 些か怒りを込めたような口調で紫苑が言うと、紅真は嘲笑するように言った。 「関係ねぇよ。だって…俺、好きな奴いるもん」 「え?」 あまりの予想外な紅真の台詞に、紫苑はとっさに返事をすることが出来なかった。 紅真に好きな人がいると言うことを、紫苑は考えたことがなかったのだ。 何も言わずにいる紫苑に痺れを切らしたのか、先に次の言葉を発したのは紅真だった。 「…誰だか聞かねぇのか?」 「あ…ええっと。その、別にいいよ。お前、そう云うこと聞かれても、素直に答える奴じゃないだろ」 「……」 「…誰…なんだ?」 紅真が俯いて黙ってしまってから、紫苑は遠慮がちに尋ねた。 「聞かないんじゃなかったのか?」 「別に答えなくてもいい。気になっただけだから」 「…――だよ」 「え?聞こえなかった」 紅真は今だ俯いたままだったので、声が紫苑にまで上手く届かなかった。 ただでさえ届きにくい上に、紅真の声は先ほどから呟くように小さい物なのだ。 紅真は勢い良く顔を上げた。 真っ直ぐと紫苑を睨み付けながら、怒鳴りつけるような強い口調で言う。 「お前だよ!俺は、紫苑が好きなんだ!!」 沈黙が流れた。 とても短いはずなのに、それは今までのどんな時よりも長く感じ――。 紅真が居たたまれずに、俯いた時。 「…本当…に?」 紫苑が呆然としたように呟いた。 間だ状況が良く分からないとでも言うかのように、瞬きを繰り返している。 「こんなこと、冗談でなんて言わねぇよ」 紅真は吐き捨てるようにいい、そっぽを向いた。 その顔が珍しく朱い。 そんな紅真の様子をまじかで見て、紫苑は小さく微笑った。 「紅真」 「…なんだよ」 紅真の声は探るような、拗ねたような。 何とも言えない物だったが、その子供っぽい仕草に、紫苑は微笑を更に深くすると。 「俺もだよ」 やわらかな声で言った。 紅真が驚きに顔を歪めて紫苑を見る。 そのあまりの子供っぽい表情に、紫苑は声を立てて笑った。 紫苑の笑い声に、紅真が不機嫌そうな顔をする。 「なんだよ…紫苑……」 「いや…。なんでも」 「……」 笑いをこらえて言う紫苑に、紅真はますます不機嫌そうな顔で。 それでも、真っ直ぐと紫苑に向き直った。 その真剣な顔に、紫苑も笑いを止める。 紅真に抑えつけられたままの紫苑の肩に入れられた力が、ほんの僅か緩められた。 「紫苑。俺は―――」 次の日。 紅真は壱与に掴まった。 有無を言わせず尋問体勢に持っていかれる。 「で、昨日はどうなったの?」 「何がだよ」 紅真は相変わらずの不機嫌そうな声で対した。 付き合いの浅い人間にならば、紅真のその声に恐怖を覚え、すごすごと引き下がっていただろう。 しかし、そこは付き合いの長く深い――更には図太い――壱与である。 まったく気にすることなく、紅真を揺さぶって尋ね続ける。 「だから、紫苑君とよ。昨日紫苑君、紅真君のところに行ったでしょ?」 「ああ。てめぇの差し金でな」 「人聞きの悪いこといわないでよ。紅真君の為に、わざわざ二人っきりの場面を作ってあげたんだから」 感謝してよね。 そう言って胸を張る壱与を、紅真は半眼になって見つめた。 「それよりもどうなったの?まさか、二人っきりになったのに何も進展してないんじゃないでしょうね?」 「な?!進展って…」 「この私が気付いてないとでも思ってるの?」 壱与は追い詰めるように顔を近づけてきた。 絶対に見逃さないという気配が、形になって見えるようである。 「か…」 「関係ないなんて言わせないわよ」 「う…」 「壱与」 「?」 先手を打たれ言葉に詰まったところに、背後から声がした。 予測せずに呼ばれた壱与は、ハテナマークを浮かべて声のした方へと振り返る。 そこにいたのは―― 「「紫苑(君)?!」」 ――だった。 紫苑は壱与に向けて口を開く。 「壱与、ここにいたのか。探したぞ。」 「えっ?どうかしたの?紫苑君」 「いや、俺じゃなくて生徒会の奴が…」 「生徒会?…ああ!!今日これから会議だったんだ!」 壱与は叫ぶと、慌てて走り去っていった。 「紅真君!後できちんと聞くからね!!」 そんな捨て台詞めいた言葉を残して…。 後に残った紅真は、呆然とその様子を眺めていたが…。 ふと我に返ったようにして紫苑の方へと向き直った。 「紫苑――」 「――紅真」 紅真が何か言おうと口を開いたところに、紫苑がそれを遮るように言葉を発した。 柔らかな微笑を湛えたその表情に、紅真は思わず見とれていた。 「紅真」 「な、なんだ?紫苑?」 我を忘れて紫苑に見入っていたとはとても言えず、紅真は紫苑の呼びかけに慌てて答える。 紫苑は変わらぬ微笑のまま、紅真に言った。 「昨日のこと、絶対にばらすなよ」 そう言った紫苑の目は決して笑ってはいない。 その声には有無を言わせぬ強さがあり…。 紅真はただただ頷くしかなかった。 |
苦しくて。苦しくて。
それでも大好きな気持ち。
決して偽らない。
漸く届いたこの気持ち。
たとえそれが…。
間違っていたとしても―――。
何も構わないから。
あなたを好きな気持ち。
もう。
止められない―――。
あなたのことが大好き。
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