◇ クリスマス前夜 ◇
君のための時間は何でも幸せ
かつてクリスマスの醍醐味は「贈り物」にあった。 今年は何がもらえるのかと、心を弾ませて、期待に胸を膨らませてこの日を待ち、向かえ、過ごしたものだ。 やがて、その醍醐味はほんの少しだけ…けれどまったく正反対に変化する。 クリスマスの醍醐味。 きみに、何を贈ろうか。 僕はいつも頭を悩ませている。 クリスマスが近づくということは、冬休みが近づくということでもあり、それはつまり学期末テストがやってくるという意味でもある。 彼らの通う邪馬台学園では国内でも指折りの名門校。当然学期末テストは部活動も停止され、学生たちは学業に力を注ぐ。別に力を注がなくとも良いが、力不足で赤点(邪馬台学園では50点以下はすべて赤点)などというものをとればクリスマスはおろか冬休みがすべて丸々潰れて、補習の日々を過ごすはめになるので、お勧めはできない。 毎年、努力の結果が出ずにそのような悲嘆に襲われる生徒もいれば、どうにかぎりぎりそういった悲劇から免れる生徒もいる。そんなものなどあることすら知らないのではないかと疑いたくなるほど、余裕で冬休みを手に入れる生徒も然りだ。 中等部において前生徒会長を務めた壱与は、その余裕で冬休みを手にする生徒の代表といってもいいだろう。学年トップの成績を修め、次は彼女が学業よりも力を注いでいる槍術同好会の活動へ向けて意気揚々と冬休みの部活計画を思い浮かべていた。 「紅真君も冬休みは剣道部の方で活動あるんだよね。紫苑君は?」 「文芸部は休み中の活動はないな」 「そっか〜。三人ともあるんだったら、一緒に通ってもいいと思ったんだけどな〜」 「活動があっても、それぞれ部活が違うんだから、日時も違うだろう」 「そう?活動できる時間って限られてるから、そんなに変わらないと思うけど」 帰宅路を辿りながら、偶然居合わせた壱与と紫苑の話は弾む。紫苑の隣を歩く紅真はどことなく上の空で歩いていた。ちなみに、壱与の二つ下の学年に在籍する紫苑と紅真の二人も、余裕で冬休みをゲットしている。 「今年は槍術同好会のみんなとクリスマス会を企画してるんだ。紫苑くんも参加しない?みんな喜ぶと思うよ」 「なんの関係もない俺が参加するわけにはいかないだろ」 「そんなことないと思うけど」 「俺が気まずい」 「ふ〜ん。ま、気が向いたら声掛けてよね。飛び入り大歓迎だから」 「ああ」 「ところで…紫苑くん」 「?なんだ」 「紅真くん…どうかしたの?」 話が一区切りついたところで、壱与は紫苑を挟んで反対側を歩く紅真を紫苑を壁に覗くようにして尋ねた。その表情は露骨なまでにいぶかしんでいるのがありありと伺えるものだった。 紫苑は横目に紅真のぼーっとした表情を見やってから、壱与に苦笑しつつ返す。 「さあ…テスト前からずっとこんな調子なんだよ。どうもずっと徹夜してるみたいでさ」 「徹夜?紅真君が?」 「ああ」 テスト前からということはテスト勉強のための徹夜と考えるのが普通だが、紅真の性格を知っている壱与にはどうしてもそうとは結び付けられない。 紫苑も壱与と同じく、あるいはそれ以上に紅真の性格を知り尽くしているのであるから、どうにも不思議で仕方がない。顔色の悪そうな紅真を心配して理由を訊ねれば、訊ねられた当の本人である紅真の返答はどうにも歯切れが悪く、紫苑はようやく紅真が徹夜をしているらしいということだけを聞き出したのだ。 そのために、壱与と同じ疑念を抱きながらも、彼女に返す答えが見つからず、苦笑することしかできなかった。 やがて壱与とも別れ、紫苑と紅真二人きりになっても、紅真がぼんやりと心ここにあらずの状態で歩いていることに変化は見られなかった。もともと積極的に会話を楽しむような二人ではないが、ともに帰路についていながら、その一方が心ここにあらずというは、ともに帰るもう一方の人物にとってはたいそう居心地の悪いものだ。 「紅真」 「……」 「紅真っ」 「……」 「おい、紅真!!」 紫苑が声を掛けるも、紅真の反応はまったくない。いつもなら煩いくらいに紫苑を見つめてくる視線が、ここ最近はまったく向けられない。 紫苑は立ち止まり、右腕を挙げた。 紅真はそれにさえ気づかずに歩き続ける。ぼんやりと。 紫苑は拳を握り締めた。 ゴンッ。 鈍い衝撃音と、何が起きたかわからずに目を瞬く紅真。後頭部の痛みに耐えてどうにか顔を上げた紅真の赤い瞳には、怒りを撒き散らして立ち去りゆく紫苑の後姿が映った。 慌てて追いかけて話しかけるが、紫苑は紅真の呼び声を無視し続けた。肩を怒らせて歩き続け、何度目になるかわからないほど紅真が呼び続けてようやく、紫苑はいったん足を止めた。 ぐるんと首を紅真に巡らせて、そのまま人が殺せそうなほどの鋭さで、真紅の瞳をまっすぐと睨みつける。口を開いた。 「死ね!!」 あまりといえばあまりな言葉を吐き出し、紫苑は今度こそ本当に紅真を完全無視して置き去りにして歩き去った。 「紅真君…。今度はいったい何したの?」 呆れからくるため息とともに、壱与は紅真に視線を向けた。紫苑に無視され続け、あまりのショックにぼんやりから呆然となった紅真をどこか憐れに感じながらも、おそらくは紅真の自業自得なんだろうなとは、それが二人の喧嘩のパターンであると知る壱与の思うところだ。 なんど経験しても進歩のない弟分に、壱与はただ呆れの瞳を向けることしかしなかった。 紫苑の紅真の無視っぷりは徹底していた。先日の「死ね」の一言を体現したかのように、紅真という人物そのものがいないように振る舞うのだ。 これがいじめにならないのは、あくまでもこれは紫苑と紅真、二人の「喧嘩」であるからもでもあるし、紅真自身が紫苑以外の誰に何を云われても(あるいは紫苑に関することで痛烈な図星をつかれない限り)へこたれないしぶとさと図太さをもっているからだろう。そしてまた、それが学園中の生徒に知れ渡っていることも関係しているかもしれない。その要因は彼らの年上の幼馴染であるが、それはともかくとして、紅真は友人からも同情されるほどに精神的に追い詰められていた。 それはもう授業中に突然いっちゃてるふうに笑い出さないのが不思議なほどに。 改善策もないままに時間は無常にも過ぎ去り、多くの生徒が待ちに待った冬休みに入る。たいていの学校で冬休みはクリスマスからであるように、邪馬台学園もクリスマスから冬休みに入る。 イブの朝に終業式を終え、翌日クリスマスの朝は学校もなくのんびりと寝過ごして起きるのが、大方の生徒のクリスマスの迎え方で、その例に洩れず、紫苑ものんびりと惰眠をむさぼってからようやく起き出した。 日が昇りきるよりも幾分か早い、しかし早朝の寒さから比べれば日の陽射しに大気が暖められた頃に起き出した彼が、部屋に陽の光を入れようと窓にかけられたカーテンを引くと、その向こうに見慣れた姿を見つけた。 黒髪に赤い瞳の幼馴染。紅真だ。 彼の両腕にはきれいに包装された大きな長方形の箱が抱かれていた。 「何のようだ?」 紫苑は窓を開けて声を掛けた。冬の寒風が暖かな室内に張り込み、紫苑は僅かに身を振るわせる。彼の部屋は一戸建ての二階で、彼は滅多に叫んだりはしない。まして今彼らは喧嘩中であり、紫苑は紅真に対して怒りの感情を持っている。わざわざ大声を出すという労力を惜しんでまで、紅真の用件を尋ねてやる気は紫苑にはまったくなく、いつもと変わらない声量での問いかけであったのだが、紅真はすぐに返答を返した。 もしかすれば、それは紫苑の問いかけが聞こえてのことではなく、場の状況から判断してのことだったのかもしれない。どちらにしても、このときの紅真の判断は正しかった。 「クリスマス…だろ。渡したいものがあるんだ…」 どことなく切なさを含んだ、懇願に近い呼びかけだったからだろう。紫苑はその声をたしかに聞き届け、ほんの少し感じた胸の痛みに眉根を寄せた。 「…公園で待ってろ。すぐに行く」 けれど怒りが消えたわけでもなく、たとえ怒りが消えていてもまだ許す気にはなれずに、紫苑は紅真に素っ気なく要点だけを伝えて、窓を閉め背を向けた。 無視する気にならなかったのは、今日がクリスマスで、彼が例年以上に大きな箱を抱えていたからかもしれない。毎年、紅真が紫苑のためにどれほど真剣に悩んでプレゼントを用意しているのかをしていたからかもしれない。そして、紫苑自身、紅真を無視し続けることに限界を迎えていたからかもしれなかった。 吐く息は白く、紫苑は彼自身が待ち合わせに指定した公園にやってきた。 入り口についたところですぐに目的の人物を見つければ、相手も紫苑が来たのを見つけて駆け寄ってくる。 お互いの姿が表情の細部までわかるほどに近づいてから、紫苑は紅真の瞳が常の覇気のあるものとは比べようもないほどに、切実なまでに悲嘆にくれているのに初めて気がついた。また少し胸が痛み眉根を寄せるが、それでも紫苑は自分から仲直りの言葉を言い出そうとはしなかった。 紫苑が黙ったままでいると、紅真も黙ったままで、彼は抱えていた箱を紫苑に差し出した。 箱を紅真から受け取り、紫苑は視線だけで紅真にその箱を開けても良いかを問えば、紅真もまた無言で、首を小さく縦に振った。 箱の包装をできるだけ丁寧に取り外していき、蓋を開けて見えたものに紫苑は目を見開いた。何か云いたいのに咄嗟に言葉が出てこずに、口も僅かに開いたままの状態でしばらくが過ぎ、ようやく紫苑が口にできたのは、真っ白になった頭で紅真の思考回路と最近の彼の行動を必死に分析した――というよりも、むしろ漠然と浮かんだ直感――だった。 「……これを作るのに、徹夜してたのか?」 箱の中身を指して半眼で問う紫苑に、紅真は照れたように視線を逸らして肯定してみせた。 次の瞬間、紅真の顔面には紫苑が投げつけた紅真からの「クリスマスプレゼント」が、それを入れた箱ごとクリーンヒットしていた。 「死ね!!」 つい最近にも投げつけられた手痛いというにはあまりにも痛すぎる台詞を情け容赦なく投げつけられた紅真が、尻餅をつきつつも慌てて顔をあげれば、やはりあの悪夢の日の始まりと同じ。 怒りに肩を震わせて去って行く紫苑の後姿が見て取れた。 彼の頭に被った純白のウエディングドレス(紅真手作り)が、無常にも風に吹かれてはためいていたのは、また別の話。 彼らが本当の意味で仲直りできるのは、いつになるのか。 それは誰も知らないが、冬の雪の光りに良く似た銀の髪の人の心次第であることは、誰もが知っていた。 |
かつてクリスマスの醍醐味は「贈りもの」にあった。
やがてクリスマスの醍醐味は「贈るもの」になった。
今年もあなたとこの日を迎えたいと願って悩む日々。
君が喜ぶ笑顔がみたいから、いつだって手は抜けない。
ハッピー メリー クリスマス
今年もよい夜を
----+ あとがき +------------------------------------------------------
ここでの「前夜」は「近日(クリスマスが目前に迫ってきたこの頃)」という意味で用いているのであって、「前日の夜」のみを指しているわけではないです。ありもしない使い方をしてごめんなさい〜。 邪馬台学園…。学院の方が適切かもしれないと(なんとなく)思う今日この頃。思ったよりも随分と文が長くなったことにかなりびっくりしています。 ご意見ご感想い頂けたらすっごい嬉しいです---2003/12/20 |
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