+  秋に吹く氷嵐 +



子供っぽいとは理解していても
期待してしまうものがあるのです
譲れない思いが存在するのです





 9月24日、快晴。ちなみに平日である。
 今日も今日とて学生は学校へと足繁く通う。もちろん通わない不届きなものも稀に存在するが。
 夏から冬へと変わりゆくごく短い季節のちょうど真ん中にあたる今頃は、その年ごとに暑かったり寒かったりと幅を持つが、今年は残暑も終わり冬にはまだ遠く、明るい日差しと涼やかな風がバランスよく心地良かった。秋の長雨もこの日ばかりは雲隠れで、多少身にまとわりつく湿気が気になりはするが、それも外に出ればすぐに風に払われて、変わりに心地良い清涼感が身を包み込む。夏が暑く厳しかっただけに、それへの感慨もひとしおだ。
 時刻は朝の8時を幾分か過ぎた頃だろうか。紅真はいつものようにだらけきった様子で通学路を歩んでいた。

「おはよう、紅真」
 掛けられた声には聞き覚えがあった。ありすぎるほどだ。
 紅真が一番好きな声。紅真が一番愛しい人の声。
 急に気分が上昇したような気がして、紅真は首をめぐらせて振り返る。視線を向けた先には思った通りの人が、笑顔も優しく佇んでいた。

「はよ、紫苑」
 紅真はまだ覚め切っていない声音で返した。
 本人は軽く笑っているつもりだが、紫苑の目には寝ぼけているようにしか見えなくて、彼は声に出さずに小さく笑った。
 なぜ紫苑が笑ったかなどわかりようはずもないのに、紫苑が笑顔を見せれば紅真は喜ぶのだ。それが知れるたびに、紫苑は幸せになる。だから、なるべく笑顔でいたいと思うけれど、それは目の前の彼には絶対の秘密だ。自分だけが知っていればいいことで、他の誰にも打ち明けるつもりのないことだった。
 そんなわけで、紫苑は待ったのだ。いつものようにあくび交じりに、それでも嬉しいという気持ちを全身で訴えてくれる彼からの次に来るはずの言葉を、微笑を湛えて待っていた。
「……」
 しかし待てど暮らせど紅真からの次なる言葉は発せられない。
 否、言葉はある。いつも通りのくだらない、他愛もない会話。登校中の道のりを消費するときの手持ち無沙汰な状況に緩急をつけるためのそれは、確かに平和で貴重なものだ。いつもいつも朝練をさぼりまくって自分と登校時間を合わせる彼との一時(ひととき)を、紫苑はもちろん貴く感じている。
 だが、今日欲しいのはそれではない。もっと、直接的に幸せになれるたった一言。安直で使い古された、けれどだからこそストレートに気持ちを伝えてくれる言葉。

「紫苑?どうしたんだよ」
 何を振っても返してこない紫苑に、紅真は不振気に眉を顰めて声を掛けた。顔を覗き込むようにしてその表情を伺えば、あきらかに「機嫌が悪いです」と公言してはばからぬ様子。紅真はびくりと背筋が凍りつくのを感じた。
「し、紫苑…?」
 恐る恐る声を掛けてみれば、ぎろりと効果音でも付きそうな目つきで紫苑が視線だけを向けてくる。一応意識はこちらへと向いているらしいことを確認して、しかし紅真は素直に胸を撫で下ろしていいものかと迷うのだった。
「ど、どうしたんだ?」
 思い切って訊ねてみた。勇気フルパワーだ。
「……」
 しかし彼の勇気に答える声はない。ただぎろりと冷めた視線が突き刺さるのみだ。
 再び声を掛けようと紅真が口を開きかけたときだった。
「紫苑くん、紅真くん」
 突然割り込むように響いた声に、二人は虚をつかれて思わず顔を向けていた。そこには彼らよりも二つ年上の少女が、元気良く手を振って駆けてくる姿がある。
「壱与、おはよう」
 槍術同好会会長にてスポーツ万能少女の壱与は、息の一つも乱さずに二人のところまで駆けてきて立ち止まった。
 壱与が立ち止まるのにあわせて紫苑が挨拶をすれば、壱与もまた笑顔で返した。極自然に、あたりまえに。
「おはよ、紫苑くん。お誕生日おめでとう」
「ああ、ありがとう」
「!」
 紅真は瞠目した。自然な会話の中に、何気に爆弾発言が含まれていることに気がついたからだ。それは壱与にとってはその声音の通りに自然極まりないことで、紅真にとってのみ爆弾発言であったに過ぎないが、紅真にそれだけで充分だった。いや、充分すぎるほどにすぎたものだった。
 気がつけば壱与が片手を上げて遠ざかる姿が目に写る。どうやら別の友人もとへと走り去ったらしい。
 それはかなりどうでもいいことであったが、その視界の隅に立ち止まっていた紫苑もまた歩きだす姿が写ればそうは云っていられない。紅真は慌てて紫苑を呼び止めていた。
「し、紫苑!」
「なんだ?」
 返ってくる紫苑の声は冷たい。表情もまた然りだった。いつもは柔らかく輝く銀の髪も、こころなしか随分と鋭利に輝いて見える。
「あ、その…うう……」
 紅真は言葉を詰まらせた。何を云えばいいのかはわかっているが、何から口にすればいいのかがさっぱりわからない。心も頭も混乱の極みだった。
 顔を歪めて、口を戦慄かせて、必死に弁解しようとするその姿に、紫苑は怒りがさらりと溶けてしまうのを感じた。こんな泣きそうな表情の紅真は、ちょっとそうそう拝めるものではない。ふうっと一つため息をつけば、紅真の肩がびくりと一跳ねするのが視界に写り、胸中でひそかに笑んでみる。少し悔しい気もしたが、たまにはそれもいかもしれないと思うのは、けっきょく自分も彼のことが好きなのだとの再確認でどうにも呆れてしまうのだが、それ以上になんだか嬉しくなってしまうのはなぜだろうか。
「仕方ないな。今日は許してやるよ」
 いつもいつも、自分のために尽くしてくる彼だから。健気なほどに、自分を求めてくれる彼だから。
 たった一度の過ちを、今日くらいは許してあげる。
「でも、二度目はないからな」
 笑って云えば、紅真は首が痛くなるんじゃないかと思うほどに、一所懸命になって首を何度も縦に振るから、紫苑は今度こそ声を立てて笑った。
 くるりと踵を返して校舎に向かおうと歩き出せば、後ろから響いてくるのは慌てて駆け寄る彼の足音。
 腕を引かれて首をめぐらせば、目の前に彼の赤い瞳が写る。次いで耳に響いた心地良い声は、それ以上に嬉しい言葉を紡いでいた。

「紫苑、誕生日、おめでとう」

 本日もっとも期待していたその台詞を、ようやく彼は手に入れたのだった。





怒るのも我侭になるのも
こんなにもこだわってしまうのも
だって大好きなあなただから
だから、この我侭も理不尽な怒りもすべて
許して包み込んでください
私もあなたを許し続けているでしょう?




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 紫苑お誕生日おめでとうぎりぎり企画ということで、24日限定ですがにお持ち帰り可です(いらないでしょうが)。リンク、報告などの必要性はまったくありませんが著作権だけは放棄していないのでご注意下さい。背景画像は素材サイトさまからお借りしているものですのでここから持ち帰らないで下さいね。
 タイトル「氷嵐」は「ひょうらん」と呼んでます。ありえませんよね、わかってます。

 当初は24日限定ssとして作成したのでかなり短いです。しかも24日に(2時間くらいでがーっと勢いで)書いたという粗さ目立ちまくりです。なんかもういろいろ申し訳ないです。
 現在この小説のフリー期間は終了しています。持ち帰らないようにしてくださいね。
 ご意見ご感想お待ちしております_(c)ゆうひ_2004/09/24

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