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無音の夜












愛し方なんて……誰も教えてくれなかった――。











 紫苑の細い肩。そこから、真紅の鮮やかな外套が滑り落ちた。
 肩に置かれるように巻かれていた外套が、軽い音と共に床に落ちる。まるで滑り落ちるように。
 蝶のように軽く流れる。

 涙で濡れる紫苑を抱きすくめて、紅真は露わになったその白い首筋に唇を落とす。強く吸い上げてから離すと、花びらのように淡い――小さな痕が着いていた。

 紅真はぼんやりとした瞳でそれを見つめた。
 何の感懐(かんかい)も感じられ無い。
 彼の虚ろな瞳は、まるで人形のようで――。薄い膜が張られたように濁って見えた。

 紫苑の背にその腕を回し、紅真はその白く細い首筋をゆっくりと舐め上げて行く。一つ一つに足跡(そくせき)を残すように、唇を当てて行く。
 彼の服の裾から手を差し入れて、その素肌に触れる。
 掌に伝わる紫苑の肌の温もり。
 腰から背中へと。服を捲し上げながら、なぞるように、その手を滑らせ移動させて行った。

「紫苑……」

 紅真は呟いた。
 その瞳の虚ろさとは正反対な、切ないほどに熱の篭もった声音だった。眠ったままの、愛おしい恋人に呼びかけるような。そんな声音だった。

「紫苑……」

 紅真は再度呟いた。
 耳元で呟き、そこに目尻を押し付けるようにして、きつく紫苑を抱き締める。
 唇に。頬に。耳に。紫苑の耳が当たり、その後に、紅真の顔は紫苑の肩口に押し当てられる。
 泣きたいのを必死で堪(こら)えているような。――そんな声音だった。










 その人が愛しいと思ったのが何時(いつ)かなんて、そんな事は分からなかった。
 ただ、その人が自分にとってどうしようもないほど愛しい人物なのであると理解した時に。その一瞬に、その人が欲しくてどうしようもなくなった。
 その人の瞳に自分が写り、その人が自分だけに微笑んでくれる。自分だけを求めて、自分もその人だけしかいらない。

 独占欲。

 一言で言ってしまえば、愛とはそう云うことなのかもしれない。
 愛しい人の気持ちを無視して、自分の思いだけを告げる。自分の欲を満たす為に、その手段さえ問わず。一瞬の快楽に溺れる。

 紅真が紫苑を初めて抱いたのは、木の葉の擦(こす)れる音もしない夜の事だった。無音の夜。紫苑の悲痛な声だけが闇に響いては消えて行く。
 抑えきれない何かが溢れ出したように、自制の利かない状態だった。欲望のままに、逃れようともがく紫苑を犯した。

 紫苑の瞳に涙が浮かび、止めど無く溢れては流れ落ちる。
 苦しみに歪む顔と、それを訴える声。
 その時の紅真にとっては、その紫苑の痛みさえもが、己の欲望を満たし、さらには増長させ、湧き立たせるスパイスの一つと化していた。

 痛みを与えたかった訳ではない。
 苦しみに顔を歪ませたかったか訳でもない。
 嫌われたいなどとは、決して思っていはいない。

 むしろそれは逆。
 誰よりも好かれたかった。

 愛しい気持ちは揺るぎようの無い真実だ。
 その存在のすべてが欲しいと、心の一番奥深くから訴えてくる。
 愛しいと思い、愛しいと感じて欲しかった。
 自分が求めるように、自分を求めて欲しかった。

 傷つけたい訳ではない。
 それは疑いようも無い真実だ。

 けれど、どうすれば良いのかなんて知りようも無かった。
 誰も、そんな事、教えてくれなかった。

 愛しいと思い、そのすべてを欲し。相手にも同じ気持ちを求める。
 自分勝手なその気持ちをどうすれば良いのか。どうすれば望みは叶うのか。
 そんな事、誰も、教えてはくれなかった。

 自分がまだ幼すぎた制もあるのだろう。
 他人の気持ちを考えてやれないほど、自分の気持ちを抑えられないほど。幼く愚かだったせいもあるのだろう。

 もっと優しくすれば良かったのか?
 もっと優しく、ゆっくりと。
 少しずつ近付き、触れていけば…。
 相手も、少しづつでも。それでも、自分を確かに見てくれるようになったのだろうか?










 溢れる涙は止めど無く。けれど、紫苑の瞳には何も写ってはいなかった。
 閉じられているわけでは無い。
 彼はその意思で、なにも写しはしないのだ。
 その行為を受け入れようとしないのだ。

 紅真は紫苑を抱き締めた。
 優しく。まるで、決して自分の物いはならない誰かの――脆く儚いガラス細工に触れているような。そんな慎重さと優しさと、そして、切なさを合わせ持っていた。

 紫苑は何の感情も表しては無い表情で、ただ暗い虚空を見つめていた。
 見つめて――と云うのは、正しい表現ではないかもしれない。何故なら、その瞳には何も写ってはいないから。
 何も写ってはいないから、何も感じはしない。

 それでも紅真は紫苑を抱き締め続けていた。
 朝が来れば光を取り戻すその瞳。
 しかし、その瞳が紅真を写す事は無いだろう。

 もうどれほど続いたのか。
 夜は何も写さ無い瞳の彼を抱き締め。
 朝は自分だけを写さない彼を見つめ。

 心が押し潰されそうに痛む。
 そっと、その色づく唇に触れてみた。
 触れたかどうかも分からないほどに微かな。そして優しい口づけ。

 紫苑の瞳の焦点が合う。
 ゆっくりとその首を巡らし、紅真の赤い瞳に己の瞳を合わせる。

 見詰め合う。

 不意に紫苑は微笑った。
 柔らかな。華の蕾のような微笑だった。

 紅真は呆気に取られたような表情で。何も云えずに、ただ口と瞳を呆けたように開けたまま。
 それから、顔を歪ませていく。
 涙は流れなかった。流れても可笑しくない表情と、その通りの感情。

 紅真は紫苑をきつく抱き締めた。
 紫苑は柔らかく紅真の背に腕を回す。添えられるだけの手。

 紫苑はその瞳を閉じた。
 紅真に寄り添うようにして、その存在を感じていた。
 暖かな体温と。震える感情と。抱きしめてくる強い腕と。それによってもたらされる僅かな痛みと戒め。
 全身で、紅真を感じていた。










 恐怖しかなかった。
 彼を嫌いだと思った事はなかった。

「イヤだ…ッ!!」

 自分の声が、まるで他人の物のようだった。
 のしかかる様にしてくる紅真の胸を全力で押し返しながら、それでも体勢を立て直せない事に恐怖を感じていた。
 彼の力は、自分よりもこんなに上だったのだろうか?
 漠然とそんなことを思った。

 抵抗は単なる徒労で、衣服を脱がされ、身体が犯される。
 惨めさと恐怖と、嫌悪と。情けなさに涙が出た。

 犯されてゆくごとに、意思とは無関係に身体は彼を求めてゆく。
 気が付けば、自分が何に対して涙しているのかも分からなくなっていた。

 逃れようともがく身体。
 その内側は、まるで火が灯った様に熱く。与えられる刺激を更に更にと求め続けていた。
 漏れる否定の言葉。
 刺激に感じ、耐えきれずに洩れた声。
 求めて。

 どれが本当で、どれが嘘なのか。
 どれも本当で、どれも嘘なのか。

 もう、分からない。

 ただ、躯が熱かった。
 涙に濡れる瞳が痛かった。
 彼から与えられる刺激を嫌悪しながら…求めていた。

 忘れたいと思った。
 嘘であったと信じたかった。

 別に、彼を嫌いだと思ったことは無い。
 むしろ、彼を愛していたんだ。
 そう。
 愛していた。
 彼を。
 紅真を。
 愛していた。

 だから嫌じゃなかった。
 でも、怖かった。

 ただひたすらに怖くて。
 恐怖に嫌悪を感じ、何も出来ずに流される自分に嫌悪を感じ。彼を受け止めきれない自分に嫌悪を感じ。
 そして、そんな自分がどこまでも情けなかった。

 彼は温かった。
 優しくて、涙が出るほど暖かった。
 傍に寄り添うことが出来ると、とても心地が良くて…――。

 あんなことは知らなかった。
 あんな熱は知らなかった。
 あんな刺激は感じたことが無かった。

 だから、怖かった。

 どうして良いか分からなくて、ただ否定することしか出来なくて。
 気が付いたら、何も見ないで逃げていた。
 触れた唇の温もりに、漸く思い出した。

 ごめんね。
 もう、逃げないから。
 君のこと、きちんと全部受けとめるから。
 まだ少し怖いけれど、君が求めていること全部受けとめて、君の求める物みんな上げられるようになるから。
 だから、まだ、好きでいて。

 もう一度、愛して欲しいんだ。










 紅真は紫苑の瞳に、自分が写っている事を確かに見止めた。
 云い様の無い感情に、涙が溢れて止まらない。
 もう一度。
 きつく、きつく抱き締めた。

 紫苑は紅真の背に腕を回して、紅真はゆっくりと紫苑を床に倒していく。
 紫苑の瞳を見つめて、彼の気持ちを確認して。まるで了解を得るように、慎重に、ゆっくりと。紫苑を床の上へ寝かせる。

 紫苑の瞳は柔らかく微笑んだままだった。
 床に寝かされて、その瞳を閉じて。それでも、その表情は穏やかな微笑を容(かたち)作っていた。

 紅真は慎重に紫苑に触れていく。
 そっと。
 優しく。
 包み込むように。
 紫苑の肌にその手を滑らせていった。

「んっ・・・」

 紫苑が少し顔を歪ませて呻いた。
 紅真は反射的にその手を止める。
 不穏そうに紫苑を見つめ、紫苑がうっすらと瞳を開く。
 紫苑は微笑んだ。

 泣きそうな顔。

 二人は口づけた。
 紅真は貪るように紫苑に口づけた。
 もう二度と放せぬように、どこかへ行ってしまわぬ様に。恐怖を紛らわせるかのように。激しく口づけた。

 紫苑はそれを受け続けた。
 息苦しさに時々咳き込みながら、それでも、紅真からの抱擁を受け続けた。

 初めての時とはまるで違う。
 それは、優しさに満ちたものだった。

 優しさと、不安と、愛しさと。

 そのすべてを感じとって、紫苑は紅真を抱き締める。
 それに応える様に、紫苑を抱き締める紅真の力が幾分強められた。
 静かな夜だった。










 夢から覚めた心地だった。
 躯中に軽いだるさを覚え、紫苑は目覚める。
 閉じられた窓の隙間から、朝の陽光が滲み込む様に差し込んでいた。

 隣に目を向けると、そこには黒髪の彼。
 紅真が、いまだ自分の身体を包み込む様に抱き締めたまま眠っている。
 その様子はどこか必死で。
 まるで、迷子になっていた子供が、漸く逢えた親をもう決して離さぬ様に縋り付いているような。そんな、鬼気迫った様(さま)だった。

 もう少しこのままでいたい。
 そんな欲求が生まれる。
 包み込んでくる紅真の腕は、とても温かく、心地良かった。

「紫苑?」

 不意に頭上から声を掛けられて、驚き顔を向けた。
 顔を上に向けると、目の前には紅真の顔。
 不安そうな。何かに耐えているような。そんな辛そうな表情を、紫苑に向けている。

「どうしたんだ?」

 紫苑は問うた。
 優しい声音と微笑で。
 まるで包み込むような、暖かな様子で。

「ごめん」

 そう言って、紅真は紫苑をその胸に抱き込んだ。
 抱き込まれた紫苑からは、紅真の表情は窺がえない。
 泣きそうな――切なさに歪んだ表情だった。

 空気がそれを伝えた。
 触れる肌の温もりがそれを伝えた。

 紫苑は紅真は抱き締めた。
 紅真も紫苑を抱き締めた。

 もう少しだけ。
 あと、もう少しだけ。

 ――こうしていたい。

 目覚めの時間が迫っていた。
 鳥の囀りが大きくなっていくのが分かる。

 二人は視線を合わせた。
 どちらともなく口づける。
 暖かい空気が辺りを満たし。
 二人は起き上がった。










 愛してる。
 誰よりも君を。
 優しくするから――…嫌いに、ならないで…離れて行かないで。

 愛してる。
 誰よりも君を。
 受け入れられるように努力するから、嫌いにならないで…待っていて。
















愛し方なんて、誰も教えてくれなかった。
優しくする方法なんて、知らなかった。

相手を思う。
強く思う。

愛しさが込み上げて来て、切なくなって。
嫌われたくないと思ったら、自然と優しくできた。

怖くて。
不安で。
それでも触れたくて。
抱き締めたくて。

そうしたら。

自然と優しくできたんだ。






















愛してる

心から君を

だから

もう少しだけ

待っていて























愛し方なんて、誰も教えてくれなかった

でも

相手が大切で仕方が無くて

そう気付いたら

愛せてた

ゆっくりゆっくり

愛していこう

いつまでもいつまでも

愛していこう

きっと










大切にするから…――











END








■あとがき■

なんと云えば良いのか。もう私には分かりません。
紫苑さんがエライ乙女してますが…気にしないで下さいです。
読んでくださった方、ありがとうございます。
これからも見捨てないでやってください(泣)


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