だから涙を


















だから云っただろう?
君を守ると

確かに云っただろう?
俺には譲れないものがあるのだと

別に悲しんで欲しいとか思ってないんだ
君の心に影や暗闇を作るくらいなら、いっそ忘れて欲しいと思う

確かに云っただろう?
だから云っただろう?

まったく
なんだって人の話を聞かないかな

別に、それが君ならそれで良いのだけれどね






















「残念だったな!俺の狙いはこっちの女王様なんだよ!!」

 そう叫んで、黒髪の彼はその剣を振り上げた。
 彼の名は紅真。陰陽連心武衆の一人。
 彼の掲げる剣の名は紅星の剣。彼の心具。
 紅星の剣は真っ直ぐに壱与に向かって延びている。

 壱与――茶の髪に緑の瞳の少女。邪馬台国の女王。槍を携える勇ましいその姿は、しかしやはり少女に変わりなく。普段は力強く輝くその瞳は、自分に真っ直ぐに向かってくる剣に釘付けとなり、体が動きそうも無かった。
 身が…竦んでいた。

 ザッ!

 剣を伝い、紅真は肉を貫く感触を得た。今の今まで体内を駆け巡っていた朱く鮮やかな血液が、ポタリポタリと地に落ちていく。
 静かだった。
 誰も声を発っしはしなかった。
 紅真でさえも――。

「バカ……」

 暫らく経って漸く響いた声は、赤い血の流れる口元から漏れたものだった。苦しそうな声で、けれど強い意識が込められていた。
 銀紫(ぎんし)色の髪が揺れる。

「だから…云っただろう?譲れないって……」

 声を発しているのは少年だった。
 壱与の前に立ち、紅真の剣をその身に受けていた。
 彼の顔は蒼白で、額には脂汗が滲み。息が荒く、己の血にその身を染めている。けれど、その藤色の瞳には、強い意志を感じさせる光が灯っていた。
 彼の瞳は決して半死の者のそれではない。

「何、言ってるんだよ…」

 紅真は震える声で呟いた。震えるのは声だけに止まらず、その全身に伝染していく。精神までも震えたのか。その動揺が心具を消した。
 紅真の心具に支えられていた紫苑の身体が地に崩れ、壱与は慌てて走りよる。彼女もまた身体が震えていた。眼は微妙に焦点が合っていないようにも見える。

「紫苑くん…わ、私…」

 震える声で必死に言葉を紡ごうとする壱与に、紫苑は青ざめた顔で――それでも綺麗に微笑んで見せた。
 そんな紫苑の微笑に、壱与の言葉が詰まる。
 ゆっくりと、紫苑は口を開き、言葉を発した。

「気にするなよ…俺が、勝手に…やったん、だし…」

 君は、責任感が強すぎるから。
 そして、他人に対してばかり、優しすぎるから。
 心配だよ。
 君が、この事に傷つかないか。

 紫苑は途切れ途切れに…それでも言葉を紡ぐ為に口を開く。声と一緒に、ひゅうひゅうという掠れた空気音が漏れては響いた。

「でも……壱与…あんまり、無茶…するなよ…」

 君は自分の傷に無頓着な所があるから。
 その命は、決して君一人だけの物ではないのだから。
 その存在は、数え切れぬ者の希望なのだから。
 君のその行動力は――。

「ア、アア……ゥア……」

 何も言えない壱与。漏れるのは意味の無い嗚咽にも似た呟きばかり。
 声が言葉になってくれなかった。

「紅真」
「……」

 言葉の発せずにいる壱与を暫らく見つめてから、紫苑は今度は紅真にその顔を向ける。その顔は壱与に見せた微笑ではなかった。悲しげな…切なげな表情だった。
 紅真は何も答えなかった。ただ呆然と、壱与の傍らで血を流してぐったりとしている紫苑を見つめているだけ。

「言った…だろう?譲れないんだ…」

 ここに希望がある。
 希望と平和を刈り取ってしまった者達への償い。その為に、ここにある希望を守ると決めた。希望を実らせると決めた。―――命を賭してでも。
 それを奪われる事が自分にとって負けることになるのなら、たとえ命を賭けてでも守るだろう?

 紫苑は一度瞳を閉じ、そして開いた。哀しく切なげだった表情が優しげな微笑に変わる。
 紅真は何も言わなかった。

「…だから、狙ったんだよ」

 静寂が場を満たし、漸く紅真が口を開いた。ポツリと。呟くように。
 紫苑はもう何も返さない。瞳も開かない。
 壱与の掠れた嗚咽がただ響く。

「お前…いつも俺を見ないから……」

 追いかけるのも、見つめるのも。いつも自分ばかり。
 自分の追いかける人は、いつも自分とは違う所に思いを馳せていた。何をしても、振り向かせる事が出来ない。追いつく事も出来ない。

「お前のこと…すっげえ殺してやりたかったんだ」

 勝ちたかった。強くなるために。
 己の目指す「最強」の称号を得るために。
 けれど――。

「こんなの…望んでなかった……!」

 こんな形で勝負が着いても嬉しくなかった。
 こんな形で目的が達せられても意味がなかった。
 こんな形では、目標は達せられた事にならなかった。

 対等になりたかったのか。
 自分を見て欲しかったのか。
 願望と欲と嫉妬と――そして、求める気持ちと。幾つもの感情が合わさって、昇華できなくて…憎悪に変わった。

 紅真の双眸から涙が溢れ、そして頬を伝って流れる。雫は大地に落ち、乾いた地面に僅かな染みを作って消えた。
 何故今ごろになって涙など流れたのだろうと――そんな事が脳裏を過(よぎ)る。結局はどうでも良いことだった。

 辺りは静かだった。ただ抑え切れずに漏れる嗚咽と、流れる涙が零(こぼ)れる音と…。そして後はただ、静かな静かな時間の流れ。



 そこは、どこまでも静かだった――。























君はいつも自分の力で動いていた
決して誰かにその責任を押し付けたりはしなかった
いつも、逃げすに自分の目で確かめていた
いつも、自分で動いていた
その責任を果たしていた
自分の言葉を、行動する事で責任をとろうとしてた

でもね
君は君が思うよりもずっと大切な存在なんだ
ずっとずっと大切で掛け替えのない
尊い存在なんだよ

君は強いけれど
確かにとても強いけれど
汚れた僕はそれと同時に誰よりもよく知っている


人は、けっこう簡単に死んでしまうんだ


強くないんだよ
君は、君が思っているほど強くは無い
そして、君は君が思っているほど容易い存在ではない
君が無茶をする度に、君を愛する何者かが死を覚悟する
君は、それを知らなければならない

君のその責任感の強い行動力は
同時に君の愛する者達を死に導く事もあるのだと
君は確かに知っていなければならない
自覚しなければならない





















 紫苑は微笑っていた。
 静かに。静かに微笑っていた。
 その表情に、悔いや苦痛はカケラも見られない。
 どこまでも、穏やかだった――。

 痛みが無いわけが無かっただろうに。
 悔いが無かったわけが無いはずなのに。


 どうして、君はそんなにも穏やかなのか――。


 最後の最後まで苦しみを見せず、死のその瞬間でさえも涙を流さないというのか。
 いったい、君はいつ泣くというのか。
 君の涙は、いつ枯れてしまったのか。
 それとも――。

「涙なんて…初めからなかったのかよ…――」

 紅真は呟いた。絞り出すような…吐き出すような呟きだった。叫び出したいのを必死で抑えた呟きだった。
 何かを呟かずにはいられなかった。
 どうにかして、胸に溜まる何かを吐き出そうとしていたのかもしれない。
 言葉に…意味なんてなかったのかもしれない。

「ゴメ…ナサイ……。私…私のせいで…私の無茶のせいで……」

 壱与は呟き続けていた。決して止まぬ自責の言葉だった。
 ただ狂ったように繰り返した。――まるで、その言葉しか知らぬ機会人形のように…。

 もう泣かないと決めたのに。
 どうして溢れる涙が止められないのだろう。
 どうして止まってくれないのだろう。
 分かってるの。
 彼が最後に何を言おうとしたのか。
 私が泣いてたら、いつまでも引き摺ってたら、悲しむのは彼だと…ちゃんと分かってる。

 でも…でもね。
 止まらないよ。
 止まらないよぉ…。
 涙、止まらないよ…・………紫苑くん……―――。





















君を見ていたよ
負けたくないって思ってた
君は強くて…僕には余裕なんてどこにも無かった

君と戦ってみたいと
そう純粋に思えた
武術を心得る者として純粋にそう思っていたよ

けれど
それよりも、もっと優先させる事があったんだ


それはもう…盲目的に


求めて止まないモノだった
けっこう欲深なのかもしれないな
単純で熱くなりやすくて
執着心がけっこう強いんだ

ああ…
そう考えると、君と僕はとても良く似ているかもしれない
もっとも
実はけっこう逆だったりするのかもしれないけれど

そうだ
僕はね、多分、君が思っているほど、君を嫌いではないと思うんだよ
案外、好きなのかもしれない

うん
僕は、けっこう君が好きだった





















 彼をそこに残して、生き残った者達は歩き始めた。
 止まる事を、彼は望んでいなかったと知っているから。震える身体を無理矢理立たせて歩き出した。

 やらなければならない事はたくさんあって…大勢の待っている人達がいる。
 帰るべき場所へ――。
 壱与は重い足を引き摺るようにして歩き出した。

 目標の一つ。
 成し遂げたいとあれほど躍起になっていた物が、どうもあっさりと消えてしまった気がする。
 求める物ほど、執着する物ほど、案外手に入らないものなのだろうか。

 帰るところは…ある。一応……。
 けれど、そこに帰る気にはなれなかった。
 彼方を見つめ、あてもなく歩き始める。

 目的はある。
 目指すものは変わらない。捨てるつもりもない。
 諦めようだなんて思えない。
 結局は、自分にはもうそれしか残っていないだけなのかもしれないが…。

 あてもなく歩き始める。
 目指すものは変わらない。
 必ず手にいれる。
 そんなふうにして、紅真は足を踏み出した。

 心がどこか空虚さに支配され、今までとは違う何かが見える気がした。
 今までとは違う何かを求める気持ちが湧いた。
 否。
 今までと同じでいるわけにはいかないと思った。





 彼はそこに残った。
 穏やかな表情で。

 悔いはあったはずだった。
 痛みは想像を絶する物だったはずだ。


 けれど、彼が涙を流す事は、結局ただの一度もなかった。


 それは、ただの強がりとかそう云うのではなくて…。
 彼が、彼自身の意志で決めた死に様だったからなのだと――そう思う。
 彼は、たとえ迷いながらでも。戸惑いながらでも…いつも、自分の信じた道を進んでいたから。

 自分の信念は、決して曲げなかった――。

 だから、彼は死の瞬間。どこまでも穏やかでいたのだと――そう思う。
 本当は、いつだってそれを受け入れる覚悟をしていたのだろう。否、もしかしたら、彼の心の奥底には、そうなる事の願望が在ったのかもしれない。

 たった一人。
 泣くことさえも出来ぬ痛みと悲しみに絶望した子供の…自らも気付かぬほどに小さな願い。

 彼は、きっと、思うが侭に生きた――。





















譲れないんだ
譲れない物がたくさんあるんだ
それはたとえ命を無くしたとしても譲れないモノだから…
何も、悔いはないんだよ


本当は悔いだらけだ
やりたいこと
見たいこと
そう云うことはいっぱいあった

云っただろう
案外欲張りなんだよ
けっこう頑固でさ

痛かったけど…
なんか、泣くなんて格好悪いし
意地でも泣かないさ


格好悪い姿なんか見せない


それが、最後に譲れないこと
痛くて痛くて
それでも言った言葉は
やっぱりどうしても譲れないこと

どうしても、伝えたかったこと





















 「オレには、ぜったいに負けられない理由がある」

 どうしても譲れない物があるんだ。
 その為に戦い続ける。
 勝ち続ける。

 「オレはお前を倒して、「最強」を目指す!!」

 譲れないものがあるんだ。
 その為に、立ち塞がる全ての物をツブしていく。

 「ツブしてやるよ」

 負けられない理由が、お前の譲れないものなら。
 それをツブした時が、オレがお前に勝った時で。
 それがツブされた時が、お前が俺に負けた時。





















だから云っただろう?
気にするな
譲れないんだ
どうしても

悲しまなくて良いんだ
これは、俺が決めて、俺が勝手にやったことだから

君の心の闇になるくらいなら
いっそ忘れて欲しい

本当は――
ずっと憶えていて欲しいけれど
この存在がどこにも残らないのは辛いけど
哀しいけれど

悲しまなくても良いよ
俺は、自分の思う通りに動いただけだから
ずっと、そうやって生きてきたから


ああ…痛いな


でも、別にどうでもいい気もするよ
俺の心は、始めからどこか空(から)だった所があったのかもしれない

だから涙を…――








































流さなくてもいい
流せないのかもしれない
流すのもいいだろう

ただ、最後は――








































自分のモノにして
君の力にかえて
君の為に――

だから涙を…






























僕の為ではなく
君が君の為に…
どうするのかを選んで






























ぼくがさいごにつたえたいこと





























きみの闇にはなりたくないよ
べつにむりをしてほしいわけじゃないよ
ただ諦めないでほしいだけ
ながれるなみだがとまらないときはそれをじぶんのちからにかえて
ふかいぜつぼうになみださえながれでぬときはそれでもいきぬいて
かなしみとあわれみのためになみだをながすひつようはどこにもない
あいとうのなみだなんてぜったいにながさなければならいことじゃない
どんななみだだってぜんぶぜんぶきみじしんのためのもなんだから
流れる涙も
流れぬ涙も
全部全部
だからぼくの伝えたいことは
いたくてしかないけどそれでもぼくがくちをひらいたのは
譲れないおもいがあったから
ながれるなみだも
ながれぬなみだも
それがいったいどんな涙だったとしても






































すべては君自身の為に


















































だから涙を無駄にしないで

たとえそれが

乾いてしまっていたとしても――

だから涙を

……――――――














































おわり














■あとがき■



 随分前から一度は書こうと思っていた物です。
 壱与はとても責任感と行動力のある子だと思います。有言実行とでも云うのでしょうか。自分に課したことは決して人任せにせず、自ら赴き戦い、見極める強さと責任感を持っていると思います。ただ守られるのではなく守る力を持っているのだと――。
 しかし、彼女が無茶をし危険にさらされる度に、彼女を守ることを誓った人達は命がけで彼女の盾になろうとするはずだと思うのです。それはそうしなければならない時のみで、決してそれらの人々は初めから死のうと考えてはいないはずです。しかしどうしても命を捨てなければ彼女を守れない時。それらの人々は迷わず己の命を犠牲にする覚悟は持っているでしょう。紫苑もその一人だと思います。
 彼女はそう云うことを常に自覚していなければならないのです。
 紫苑が壱与の立場を尊重するように、壱与もまた自分の力の程を自覚しなければなりません。自分を過信しすぎる事があっては決してならないのです。
 壱与の願いの通り、人々は決して己の命を粗末にはしないでしょう。しかし、彼等はいつだって死ぬ覚悟を持っている。壱与が自身の力を過信しすぎて危険にさらされた時は、壱与以外の誰かが死ぬ時なのだと、彼女は知っていなければ成らないのです。
 連載の最後、紅真は紫苑の負けられない理由――つまりは決して譲れないモノをツブしてやると言っていました(←多少言葉に差異はありますが…)。と云うことは、こうなる可能性も捨てきれないのです。壱与一人の力では紅真には到底適わないし、紫苑と紅真の力はとても拮抗しているのですから。
 壱与は強く、そして優しい女の子です。大切な誰かが――自分の知らない誰かが自分の知らない所で死にゆくとしても、ただそれだけにでも心を痛めると思います。それでも彼女は強く立ちあがるでしょう。決して誰かの死を無駄にはしない子だと信じています。
 紅真はもし紫苑が死んでしまったらどうするでしょう?ただ喜ぶだけでしょうか?紫苑の死ぬ間際の悲しみと微笑の表情から、彼がただ無心に強さだけを求めるのではなく、その先にある何かを見出してくれたら…そう思います。彼の強さを求める理由も、彼の生い立ちも何も分かりませんが、どこか盲目的に強さだけを求めているのではないと信じたいのです。
 紫苑は悲しい子だと思います。とても強く優しくて、それでいて真っ直ぐな子だと思います。その純粋過ぎる真っ直ぐさが、時に真実を見極める事に支障をきたす事があるのだと思います。彼は祖国が滅ぼされた時、戦で多くの掛け替えのない者を失った時、たった一人で生き残るという苦境を味わっています。それはある種、死ぬより辛かった事でしょう。それでも、彼は自分からその命を絶って苦しみから逃れようとはしませんでした。どうしていいか分からず、ただ死を待つ事しか出来なかったとしても、それでも自分からは死を選ばなかったのです。そして、彼は差し伸べられた生きると云う選択肢を選び取ります。
 己の行動に矛盾を感じながらも、それでも立ち止まらず。どんなに辛くとも流されるだけでなく常に考えていた紫苑は、大海原のように静けさと激しさをあわせ持っていたのでしょう。
 壱与は泣かないと決め、紫苑は泣けませんでした。涙を流さない事が、彼等に共通する強さと哀しさの一つなのだと思います。決心の現われと、己を支える最後の砦的な意地にも思えます。彼らが泣けるようになる時は、きっとこれまで以上の苦しみが襲った時か、もしくは己を救う一条の光にも似た希望を見出した時…そんな時だと思います。
 今回は前者でしたが、後者によって彼等が再び涙を取り戻す事を祈りたいと思うのです。
 随分長く書き連ねましたが最後に。
 今回は詰め込みたい事が余りにもありながら、上手く文章がまとめられなかったという自分の力量の無さが悔しくて仕方がありません。文中の中で上手く言葉に出来なかった事をこうしてあとがきで書かなければならないというのもまた、己の非力さゆえなのですが…それもまた上手くまとめられず、こう云う長い文になってしまいました。
 ここまで長く読んで下さった方には、深くお礼申し上げます。
 これはあくまでゆうひの考えの内の一つに過ぎない事ではありますが、こうしてそれを伝えられる機会がある事に感謝をしつつ、これからも精進していきたいと思います。
 ご意見ご感想頂けると嬉しいです。



モドル