月の影
心に影が落ち
今まで燃え盛っていた炎が消えたような気がした
静かというよりはただ落ちただけ
何も無くなったような
全て消えたような
空虚な世界
静かというよりは
ただそこにはもう何もないだけ
空虚な世界
世界に落ちた気がした
壱与を狙った紅真の剣を受けて紫苑は死んだ。 邪馬台国女王壱与。 彼女をかばってのことだった。 でも…。 本当にそれだけなのだろうか? 冷たくなった紫苑を、土に返して別れた。 まさか共同作業をするなどとは…その時の紅真はどこか不思議な気分で紫苑の固く閉じられた瞳を見ていた。 壱与という少女は終始無言だった。 泣き腫らした、焦点の合っていないような瞳で。 黙々と作業を進めていた。 ――紫苑を土へ返すための―― 紫苑は笑っていた。 哀しげで、切なくて。 けれど、確かに微笑んでいた。 壱与という少女は邪馬台国へ帰って行ったようだった。 自分はどうしようか。 紅真は考える。 空はどこかどんよりとした灰色の雲に覆われて。 行く先が見えない。 陰陽連。 今ある帰れる場所。 そこに帰っても良かったが、どうもそんな気にはなれなかった。 とりあえず歩き出そうと思った。 一歩を踏み出す。 空虚な心の中。 何も無い世界。 そんな世界に落ちた自分。 だからといって立ち止まっているわけにはいかなかった。 何も無くなった代わりに、今まで見えなかった何かが見えるようになる気がした。 強くなる。 その気持ちはますます強くなった。 けれど…だからと云った方が適切なのだろうか? ――今までとは少し、違う理由で強さを求める気持ちが湧いて来るようだと感じる。 求める強さの意味が変わったのか。 強さを求める意味が変わったのか。 それともただ単に自分が変わっただけなのか。 あては無かった。 どこへ行こうという目的などない。 けれど紅真は歩き出していた。 何が変わっても。 行くあてなど無くても。 捨てられない物があるから歩き続ける。 目指す物の為に。 今までと同じではいられない。 そう思った。 数ヶ月が経った。 紅真は邪馬台国を見下ろすことの出来る森にいた。 いろいろな所を回って、結局辿りついたのはここだった。 紫苑。 彼が譲れないと云い、命を掛けて守ろうとした物がどんな物なのか。 彼の守った物が何を為すのか。 見届けようと思った。 陰陽連と邪馬台国。 二つの存在が辿りつく先を見届けよう。 行きつく先を見極めよう。 そう思った。 なんとなく。 高天の都を開く鍵の一つである「月」の刻印が消えた。 ならばどうするのか。 それも見届けたい。 「ミャオ」 不意に聞こえた猫の鳴き声に、紅真は顔を向け――それから目を驚愕に見開いた。 そこにいたのは小さな山猫。 ちいさなちいさな。 生まれたばかりと思える子猫。 白銀色の艶やかな毛に…藤色の瞳の。 「紫苑…」 紅真は思わず呟いた。 「ミャオ」 猫は一声鳴いただけだった。 バカバカしい。 紅真は自分の呟きに顔を顰めた。 山猫の特徴が、あまりにも彼と重なっていたから。 ついそんな考えが脳裏を過ってしまっただけ。 そんな事があるわけないと…自分はちゃんと理解している。 夢を見ようなんて思ってもいない。 でも…。 自分の足元に擦り寄ってくる子猫を、紅真は見つめていた。 いつもならすぐに追い払ってるのに。 なぜだろう。 そうする気になれない。 「お前…こんな所で何してるんだよ」 親からはぐれて。 親からはぐれた子供が、たった一人で生きて行けるほど。 この世は容易くは無い。 死ぬか…良くて拾われて。 「何したって…普通ではいられねぇぜ」 ただ嬉しいから笑って。 ただ哀しいから泣いて。 怒ったり、喜んだり…。 普通が出来なくなる。 「ミャオ」 子猫はまた一声鳴いた。 大きな藤色の瞳が真っ直ぐに見つめる先にあるものは、活気に溢れた人の群れ。 笑顔泣顔笑い声。 子供が親に甘えて。 親が子供に一喜一憂して。 人が人と触れ合って。 そんな場所を守る為に、死んだのはいったい何者なのか。 夜。 獣は息を殺し、木々の影が静かにざわめく。 ゆらゆらと揺れる仄(ほの)かな明かり。 月の影。 「ミャオ」 子猫が一声鳴いた。 「……紫苑………」 どうして? だって、君は確かに死んだんだ。 確認した。 紅真は呟いた。 呆然と。 ただ、声が零れた。 「月の刻印のせいだ。無理矢理転生させられた」 猫が一声鳴いて、人の姿を現した。 白銀の髪は月の光に淡く発光して見え、その藤色の瞳は相変わらず強く真っ直ぐだった。 白い肌は、どこかぼんやりと霞んで見える。 「猫に…か?」 紅真は口の端を片方だけ上げながら云った。 皮肉るように。 「月読の剣が俺の魂を抱えて一番近くにいた受精卵に入り込んだんだ。月の刻印は高天の都が開封されない限り消えない」 ――今は俺自身が月の刻印だ。 紫苑は云った。 どこか遠くを見るような瞳で。 けれど相変わらず。 強く真っ直ぐな――綺麗な瞳。 「それで?」 何で今まで云わなかった。 子猫の姿のままでいて、今はもう夜だ。 出会った時はもっと明るかった。 「……月と夜。二つが揃わなければ、俺は俺に戻れない」 月の神は夜と大海原を治める者。 月の刻印は夜の闇に属する力の象徴。 「月の刻印となった俺は、月と夜。この二つが揃っていないと自我が保てない」 普段はただの猫。 ほんの少し…普通の猫より多くの知恵を持った。 ただの猫。 人の言葉が解かっても、人の言葉は話せない。 「だったら俺じゃなくてあの女のところに行けよ」 紅真はけだるそうに云った。 今なら訳を話せる。 「駄目なんだ…」 紫苑は俯いた。 目が僅かに伏せられる。 「何が?」 「……」 「なんで俺の前に姿を現した?勝負でもするか?」 「……お前じゃ俺と闘えないよ」 紫苑は自嘲めいた風に云った。 紫苑のその言葉に、紅真が声音を落とす。 怒気を含ませた声。 「どういう意味だよ…それ……」 月の刻印であるお前には俺は勝てないというのか? 役不足? 剣を交える資格すらないと? 「…俺は死んだんだ。生きてない。 生きてるお前には……俺と闘う意味がない」 死は生者との絶対の別離。 生きている人間にとって、死者の影は思い出だけでいい。 死者との未来などあってはならない。 「……」 紅真は黙った。 沈黙が響く。 決して苦ではない沈黙。 心地良いざわめきに彩られた静寂の中。 どれほど経ったのだろうか。 口を開いたのは、紅真だった。 「どうすんだよ、お前」 これから。 死者に向けるにはあまりに無意味な言葉だった。 「見てようと思う」 これから何が起きていくのか。 世界がどうなるのか。 人々が何を求め、何をし、そして失い。 最終的に何を得るのか。 「いいのかよ、それで。 …女王様のところに行って、月の刻印として高天の都開けばいいじゃねぇか」 そうすれば理想が叶う。 平和な世界。 「俺はもう刻印なんだ、ただの」 意志や理想や力があっても。 死者はこの世に関わってはいけない。 未来は今を生きている者のためにある。 世界はこれから生きてゆく全てのものの為にある。 命はあっても生きてない。 「なんで俺のところに来たんだよ?」 紅真の台詞に、紫苑は小さく笑った。 「お前…似たようなこと考えてただろ?」 紅真の顔が拗ねたように顰められた。 紫苑は声を立てて笑った。 紅真も笑った。 声を発てて。 夜に響く、 再開の喜び。 友との出会い。 今はもう生きてはいないけど、 心から 笑えるようになった。 今はもう生きてはいないかわり。 いつまでも見ているよ。 君たちの生きる意志と、その強さを。 見守る。 見届ける。 月や地球が回り続けるように。 朝と夜が繰り返されるように。 それしか出来ないけれど。 それしかしてはいけないと思うから。 だから。 感じて欲しい。 君は決して一人ではないこと。 見届ける為に、今、ここにいる。 朝陽が昇り、 一人と一匹は森の中で――。 静寂は通りすぎ、 また人々は動き始める。 活気に満ちたところ。 平和な――。 そんなところを護るように見下ろしながら、 彼らは穏やかな空間に身を置いていた。 |
何も無い世界に燈(ひ)が灯る。
夜を照らしながら
世界を見届ける
何も無い世界の胎動
初めて朝を迎えた世界に
これから何が生まれ
何が起こり
どうなっていくのか
強くなろう
悲しみに負けないくらい
強くなろう
全てありのままに受けとめられる
そんな心の強さ
強い心を
何にも負けない意志を
君と共に――
あとがき
「だから涙を」の続編? 別物として読んで頂いても一向に構いません。 紅真くんサイド。 紫苑いなくなって紅真はどうするのかなぁ? と、幾つか考えが浮かんだ内の一つを今回書いてみました。 これを書いたゆうひ自身にもこの他に様々な彼の運命が浮かんでいますので、これは絶対じゃないです。 「だから涙を」の完全な続編で無いのはこういう理由から。 読んで下さった方それぞれにいろんなパターンの未来があると思うので。 書きながら、紫苑が死んじゃったら月の刻印無くなっちゃう?! 高天の都の鍵はどうするんだ?? とかいろいろ浮かんできて、当初の予定(←でもけっこうアバウトな)からかなりずれた気がします。 今回紫苑を中途半端に生きかえらせたのは月の刻印がどうなるのか考えてのことです。考えてみたら、あれって魂に根付いた呪いみたい…とか思いません?(←私だけ?) 壱与に会わせず、死ぬ前の願いだった平和な倭国を目指して行動させなかったのは、死んだ人間がそうそう簡単に現世に作用してしまってはいけないと思ったからです。 簡単に死を選んではいけないというのは、死が決して軽々しいものではないからだと思うのです。 紫苑を生き返らせながらも、彼の死を強調したのはその為です。 紫苑が立って歩いて、それでも生まれたばかりの子猫の姿なのは、彼にはもう未来がないからです(←絶望的な云い方で申し訳ありません…) 死んで生まれ変わったとしても、それはもう別人ですから、死んだ時点で必ず絶対の終わりを迎えるのだと…。そう思いました。 なんかまたあとがき長いです。 そしてまとまっていない(汗) では、この長い駄文を読んで下さった方、心よりお礼申し上げます。 感想とか頂けたらすっごい嬉しいです。 |