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それは、裏切りなのだろうか?





















 深い深い森の中に、人々は生きていた。
 いつの頃からだろうか?開けた世界に足を踏み出したのは。
 森に分け入り、動物を追う。木の実を採る。自然の厳しさの中で生きながら、ほんの少しだけそこから抜け出したのは…いつだったのだろうか?
 どんなに工夫を凝らしても、知恵を絞っても。彼らは決して自分達を甘やかしてなどくれず。決して自分達を越えさせてなどくれない。

 それは裏切りだったのだろうか?
 自分は裏切ったのだろうか?
 自分が裏切ったのだろうか?

 広い広い世界。
 悠久の時間が作り上げてきたこの世界。


 私達は、裏切ったのだろうか?
 だから、見捨てられた?





「紫苑様、ご覧下さい。また、酷く酷く豊富に稲が実をつけました」

 自分の世話を焼いてくれる女の一人が、外の景色を指し示しながら云った。
 民家とは違い地面からは高く造られた彼の邸からは、彼のこれから護るべきことになるはずの国が一望できる。
 目も眩むような透き通る空の隣。日の光に照らされてきらきらと輝く黄金色が見える。

「ああ…。これなら、今年はきっと大丈夫だよ」

 白銀色の髪の少年は、微笑みながらも冷めた声で云った。
 女はそんな少年の様子に傷ついたように顔を顰める。当惑しているだけかもしれない。自分の子供の反応と…村の子供の反応と、あまりにもその少年の反応が違っていたから。

 この季節、人々は皆が収穫の喜びに顔を綻ばす。
 子供達などは大声を上げ、その黄金色の景色に喜び走り回り。そして顔を輝かせるというのに。

「今は未だ大丈夫。これからしばらく先も大丈夫。しばらく先といっても、人から見れば随分かなりになるかもしれないくらいにけっこう大丈夫。ちょっとは大変な時があるかもしれないけれど、それは一部だけ。全部見れば全然大丈夫。協力すれば大丈夫。きっとそんな事するわけないだろうけど。希望を持つことは悪くない」

 少年はゆっくりとしたのんびりとした口調で一気に云った。紫翠色の瞳は優しく相変わらずに黄金色を写し続けている。
 その表情も、その言葉も。あまりにも歳からかけ離れているように女には思えた。そして女には、少年の言葉の半分も理解することが出来なかった。

「紫苑様?それは一体…」

「うん。人間は随分と賢くて、愚かだから。ほんとにほんとに先はどうなるかなんてわからないけれどね。…あまりにもあまりにも僕にとっては遠い未来過ぎて、そんな先は見る事ができないけれどね。僕は怖いんだよ。いつか見捨てられはしないかと」

「見捨てるなど…この国の皆が紫苑様を愛しておりますよ」

「うん。人じゃなくてね。人じゃ…なくてね」

「紫苑様?」

 女は困惑に染まり紫苑の名を呼んだ。紫苑はどこか自嘲気味に微笑っていた。
 これが未だ6歳の子供の見せる表情なのだろうか?
 女はただその名を呼ぶ事しかできずにどうしたものかとその少年の横顔を見つめていると、助け舟は少年から出された。

「ごめんね。何でもないんだ、忘れて」

 漸く少年は笑った。
 歳相応に。





「久しぶりだな、紅真」

「ああ。それにしても…お前、国では本当に猫かぶりまくってるよな…。見てて鳥肌が立ったぞ」

 そう云って顔を顰めて見せたのは、紫苑と同じほどの歳の少年だった。黒い髪に、鮮やかな赤い瞳が印象的だった。

「皇子様だしな。裏切り者は猫かぶりが多いんだ」

「俺は猫なんてかぶらねぇぞ」

「紅真が不器用なんだよ」

「…お前には云われたくない」

 どちらも不器用だ。
 紅真は半眼で云った。
 嘘ばかり上手くなっていく自分達。心から無心に甘えていたのは、一体いつの頃にあったのだろうか?本当にそんな頃があったのだろうか?
 疑ってしまうほど、今の自分達は嘘がたいそう上手かった。

 ここは森の中だった。
 とある国と国の間にある森の奥だった。
 木々の間から漏れる木洩れ日が無ければ、夜と云われても疑うことすらできないほどに薄暗い、森の奥だった。

「不器用だよな、本当に」

 紫苑は寂しそうに云った。
 事実、淋しかった。
 どこにいても、誰といても一人でいるかのような錯覚に襲われて、いつも淋しくて虚しくて仕方がなかった。

「オレもそうだった」

 紅真はぎゅっと、紫苑を抱き締めた。
 慰めるようで、慰められてた。

 一人でいろいろ抱え込まないで。
 同じ事を知っているから。
 話して。
 君の見た怖い怖い夢を。

「オレは裏切るんだ。俺のこと愛してくれてる人みんな裏切るんだ。世界のことも裏切るんだ。俺は…血だらけになって…」

「オレも一緒だって、紫苑。それに、裏切ったのはオレ達じゃない」

 だって、自分達はどうにかしようとしてる。
 綺麗な世界に僕達は生まれた。
 綺麗な世界の上で、僕達は走りまわる。血を流しながら走りまわる。――自分の血と、自分じゃない何者かの血。その血の種類を問わずに、僕らは血を流して走る。

 僕らは綺麗な世界に生まれた。
 綺麗な世界は甘やかすだけじゃないから、僕達はどうにか強くなろうと頑張って。頑張って。頑張った結果、ほんの少し盲目になってしまう。
 だって精一杯だから。

 ぎゅう。
 きつくきつく。強く強く抱こう。
 君の身体、痛くなるほどに抱こう。
 僕の腕で。

「寒いんだ。寒くてしょうがなんだ。この森が消えてしまうんだ。山が崩れていくんだ。川がどろどろになって、海が黒くなって…」

 紅真の腕の中で。紫苑は叫ぶように吐き出した。
 紅真は紫苑の言葉を恐怖に震えるのを必死で耐えながら聞いていた。強く強く彼を抱き、自分の身が震えるのを必死に耐えながら、それでも漏らさず聞いていた。

 怖いんだ。
 怖くて仕方がないんだ。

 だって、世界がどろどろに溶けていく。

 人がどろどろに溶けるように、世界がどろどろに溶けていく。
 ぐちゃぐちゃになっていく。
 そんな風にするのは、自分達なんだ。

 怖いんだ。
 怖くて仕方がないんだ。

 だって、ぐちゃぐちゃになった世界が僕を追いかけてくる。
 笑っているんだ。
 ぐちゃぐちゃに溶けた身体を引き摺って、僕を追いかけてくる。僕を引きずっていく。
 暗い暗いところに、一緒に行こうって、追い掛けてくる。

 逃げさせてなんかくれない。
 そうなりたくなければ、どうにかしろって。
 どうにかしてそれを止めろって。

 毎晩毎晩ぼくに云ってくる。

 いつもいつも同じ夢を見るんだ。
 僕らはこんなにも笑っていて、泣いたり怒ったり飢えたりしながら。それでもやっぱり生きていて。
 いつか僕らは世界をどろどろに溶かしながら、溶けた世界の代わりを探し始めるんだ。

「うん。俺もいつも見てる」

 紅真はまた紫苑を抱き締めた。
 ぎゅっと抱き締めた。

 赤い瞳には、恐怖に飲まれぬ何か強い光が宿っていた。





 僕は裏切ったのだろうか?
 だって、それをするのは僕ではないのに。
 僕はただ知っているだけなのに。
 何もしないから、それは僕がしたことになるの?
 だって、僕に何ができるの?

 この森で僕らは出会った。
 ここだけが僕の心やすらぐ場所。

 僕だって嫌なのに。
 ここが消えてしまうのはとても嫌なのに。

 それでも、世界は僕を責め立てる。

 どろどろになった體を引き摺りながらやって来て、笑いながら云うんだ。「痛いよ、痛いよ。どうにかしてよ。お前のせいでこうなった。痛いよ、痛いよ。どうにかしてよ」って。
 僕を責め立てるんだ。酷くくすんだ恨みに満ちた瞳で僕を見つめながら。笑ながら。
 うじの沸いたその身体を僕に押しつけて、僕を同じところに引き摺り込もうとするんだ。

 僕はその視線から逃れることもできず、その手を振り払うこともできず。溶けた世界の気味の悪い匂いに吐きそうになりながら。





「紫苑。大丈夫だよ。今は未だ、この世界は黄金色に輝いている」





















波打つ稲穂が、実は鋭い刃を突き立てる前兆だとは

いったい誰が思えるのだろう

だって、僕らはほんの少しだけ、飢えから脱出した





















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 あとがき +-----------------------------------------------------


 あれ?紅真×紫苑になってない?
 ごめんなさい。二人の話し方がメチャクチャです。性格もメチャクチャです。もう随分と「歴史」とは遠ざかってしまい、時代背景もメチャクチャです。少しだけ「夏夜の気配」の設定引き摺ってます。
 世界がゾンビになって紫苑達を追い駆け回しているらしいです。意味わかんなくて申しわかりません(汗)
 ご意見ご感想など頂けたら嬉しいです。

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