+ 
金飾 +










 強大な力を持っている。だからこそ、彼らは選ばれた。そして期待に応えることが出来たのだ。
 自分を犠牲にしてでも成し遂げたいことがあったというのなら、その気持ちは分からなくもない。
 否、分かりすぎるほどに、理解できる。
 だが、その決断を許すことはできない。認めることはできない。
 なぜなら、自分を犠牲にしてでも、私はあなたが私以外のなにものにも縛られることを阻止したいのだから。


 あなたの力を解放させてはいけない。
 それは呪の完成。
 あなたの魂は、永遠に、縛られる。





 それは初夏の良く晴れ渡った日のことだった。
 長く続く梅雨の終わり、湿気交じりのひんやりとした風が軽やかに吹き登るのを横目にして、黒髪の少年はいつもと変わらぬ声音を意識して、やや緊張して呼びかけた。

「紫苑」

 呼ばれて振り向いたのは、黒髪の少年と同じ年頃の少年だった。黒髪の少年とその少年は、すべてが対照的に見えた。
 黒く艶やかな髪を持つ少年に比べ、その少年の髪は抜けるような蒼銀だ。やや硬質な印象のある黒髪の少年のそれとも対照的に、細く軽く目に写る。

 黒髪の少年は、突然右手を差し出した。





 二人の少年が初めて出会ってから二つの年を越えた。
 紅真は常に烈しく、紫苑は常に虚無だった。

 対象的な二人は、しかしよく顔を見合わせた。同じ時を過ごした。
 そして、よく言葉を交わした。淡々と。
 静かに。

 和やかなとき、穏やかなとき。
 そんなものを共有したことはなかった。ただ一度を除いて。

 どうかしていたのだ。
 二人とも。

 二人とも、そう思った。



 それは、初夏の…太陽の下でのこと。





「紫苑…それ、持ってろよ。お前の魂を守ってくれる」
 差し出されたは、金に光るカフス。

「どういう風の吹き回しだ?」

 相変わらずの、感情のない表情で、紫苑は問う。
 紅真は淡々と答えた。

「…俺が倒す前に、死なれちゃ困るからな」

 呆れを含む苦笑と共に、紫苑はそれを受け取った。





 どうかしていたのだ。
 二人とも。

 二人とも、そう思った。

 金のカフスを受け取り、彼のトレードマークともなっている緋色の外套を翻して去ろうとするその手を掴む気など、黒髪の少年には毛頭なかった。
 だがそうしてしまったのは、ただ、初めて向けられた「笑顔」だったから。
 自分は、結局ずっとその表情が欲しかったのだだと…黒髪の少年は蒼銀の髪の少年の手を掴んだままの姿で、漠然と思っていた。

 両親に囲まれ、嬉しそうにはにかむあの表情。
 体を動かし、汗だくになって見せた、あの真夏の太陽の如き笑顔。
 優しく吹く風に撫でられ、心地良さそうに瞳を眇めたときの、やわらかな微笑。
 華や木や草。鳥と兎と栗鼠と。嬉しそうに微笑んで駆けるその姿。

 すべて、いつか自分に向けて欲しいと思いながらも、叶わぬと、叶えようとも思わぬと、心深くに沈めたものたち。
 その願いの一端が、今、落とされた。

「紅真?」

 蒼銀の髪の少年は、自分の手を掴んだまま放そうともしない黒髪の少年を、訝しげに見やり、呟いた。
 その声にハッとして我に返り、黒髪の少年は蒼銀の髪の少年の顔をまじまじと見つめる。
 蒼銀の髪の少年は些か落ちつかなげに身じろいだが、見た目に反して意外に強く掴まれたその手を振りほどくことはできなかった。

「微笑って…」
「何…?」

 暫く時がたち、やがて黒髪の少年は呟いた。
 あまりよく聴き取れなかったのもある。だが、それ以上に聴き取れただろう内容の意味を理解できなかくて、蒼銀の髪の少年は咄嗟に疑問を口にした。
 口にしようとして、驚愕に台詞を詰まらせた。

 突然、やわらかな衝撃に襲われた。
 気がついたときには、自分が抱きとめられている状況に目を見開いた。

 黒髪の少年は蒼銀の髪の少年を柔らかくその腕の中に包み込んだまま、耳元で囁く。

「微笑って…」

 肩口にその額が押しつけられるのを感じ、蒼銀の髪の少年は僅かに頭を巡らせようと試み、すぐにそれを諦めた。
 背中に触れるその手のぬくもりは、決して嫌なものではない。

「変な奴…」

 蒼銀の髪の少年は呟いた。


 きっと、今日はどうかしていたのだ。
 二人とも。

 二人とも、そう思った。





 濃い緑。

 常世の森に足を踏み入れて、まず思ったことは、そんなことだった。
 一面の緑。
 苔と土と太陽の匂いが鼻につく。

 連れてきたら喜びそうだと思った。
 一緒に来たかったなと思った。

 いったい、いつ、誰を?

 胸中で苦笑した。

 幼い頃、森で陽が暮れるまで遊んでいた彼のことを思い出す。楽しそうに笑っているのを見て、自分がその隣りに居られないことに酷い痛みを覚えることが多々あった。
 姿を表せば、彼はすぐにでも自分を受け入れてくれるだろうことを確信しながら、姿を表さなかったのは自分だ。

 辛い修行の途中で、深く生い茂った森の木々を眺めて、遠い目で哀しげな微笑を湛えていた彼の姿を思い出す。
 こんなにも近くにいるのに、慰めの言葉すら掛けてやれないことに胸の痛みを覚える。
 声をかければ、彼は結局、振り向いてくれるのに。……そうしなかったは、自分だ。

 自分は、いつだって、ただ、見てただけ。

 結局、自分は何がしたかったのか。
 高天の都が開封されず、神威力は封印されたまま。
 そうすれば、彼は死なずにすむ。
 それは目的。

 死ななければいいと思っていた?
 自分たちの存在を否定されるのが恐かった?

 彼の幸せを願っているなどと、よくもいえたものだ。

 ただ、その傍で眺めていただけ。
 ただ、ずっとその姿を捕らえていたかっただけ。

 ずっと受身でいた。
 けれど、これからは積極的に動こうと思う。

 あの日、あの初夏の日に。
 初めて向けられたあの「笑顔」。
 それを見たときから、ずっと、心に決めてきたんだ。


 いい加減に、終わらせよう。





 少し勢いをつけて、むりやりにその腕を振り解いた。
 蒼銀の髪の少年は、正面から真っ直ぐと黒髪の少年を見据える。
 黒髪の少年の、鮮やかな真紅の瞳が揺れた。

「アリガトウ」

 音も無く呟かれたその言葉。
 彼のトレードマークとなっている緋色の外套が、目の前を埋め尽くし、それは鮮烈な印象となって黒神の少年に記憶された。

 蒼銀の髪の少年は、そのまま歩き去って行った。





 紅真は紅星の剣を振り下ろした。
 砕け散る月読の剣に、砕け散り解(ほど)けていく彼の心を見る。

 絡まり、複雑に編み混まれていた呪の刻印が解けていく。彼の魂と、呪とが分離していく。
 砕けた彼の魂だけを、あの金のカフスは保護し、回復させ、そして再び輪廻の中に彼を戻してくれるだろう。
 そのための、守護装飾なのだから。

 金のカフスがその力を発動させる。
 発動させる…その前に、彼の強いその心は己の力で再び立ち上がった。
 紅真は目を見開き、その様子を眺めていた。

 ゆっくりと体を起こし、以前よりも尚強く、静かに。
 紫苑は佇み。

 その剣(つるぎ)の力は、彼の心の強さ。







 ああ、呪の刻印が完成した。







 それは初めて見た笑顔だった。

 両親に囲まれ、嬉しそうにはにかむあの表情。
 体を動かし、汗だくになって見せた、あの真夏の太陽の如き笑顔。
 優しく吹く風に撫でられ、心地良さそうに瞳を眇めたときの、やわらかな微笑。
 華や木や草。鳥と兎と栗鼠と。嬉しそうに微笑んで駆けるその姿。

 そのどれとも違う、甘くやわらかな微笑。
 緋色の中に、それは鮮やかに映り。

 黒髪の少年は、言葉もなく、ただ、立ち尽くすことしか出来なかった。










----+
 あとがき +------------------------------------------------------

 シリーズなのに各話ごとに書き方(語り方)が違うという、なんとも読み手に不親切なものとなっています。もはやこれを邪馬台幻想記と呼んでもいいのか分かりませんが、パロディなんてそんなものよと開き直ることで切り抜けたいと思います。
 今回の話、実は橙をベースにレイアウトするつもりだったのですが、どうしても「森」の画像の背景にしたくて、それに会わせてレイアウト緑にしました。これも一枚だけ絵を貼るか、画面全体に並べて貼るかでレイアウト迷ったです。むじゅかしい…(−−)
 ところで。供給しといてなんですが、需要はあるのでしょうか?この話し。
 最近かなり不安です。どなたか読まれた方がいましたらなんでもいいのでなんか反応下さい。---2003/03/11

-------------------------------------------------------+ もどる +----