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裏切りの華 +










ここには、信じるべき者など何もない










 森は夜影に沈み、待ち人は今だ来ず。





 彼の名前は多岐(たき)。邪馬台国守備隊の下っ端兵の一人だった。
 いつもぐっすり寝入り、物音にも目を覚ませず、仲間や隊長たちからはよくからかわれている。
 そんな彼がこの夜、音もないのに、風も吹かないのに、目覚めたのは…なぜなのだろうか。

 なんの気配もしない。しないはずだ。
 気配などそうそう感じられるような腕前ではないが、それでも、わかる。
 集合兵舎の中で息づく、仲間たちの暢気な寝息。いつもとなんら変わりない、その気配。
 その中に、なにか、異質なものがある。
 気配は感じない。
 けれど、自分の心の奥底が、何かにざわめき、訴えかけている。

 ―――いったい何に?

 多岐は己が心に導かれるままに、外に足を踏み出した。



 薄く扉を開けたそこには、最近になってから邪馬台国女王壱与の護衛となった少年がいた。
 自分よりも五つ以上も年下のその少年は、彼が見たことのあるどの人種とも異なる、薄い色素をした、たいそう強い力を秘めていた。
 今、自分たちはその少年に「方術」という戦術を学んでいるが、いつもその強力さに驚愕させられていた。

(こんな時間に何をしてるんだ?)

 多岐はいぶかしんだ。
 彼が向かっているのは邪馬台国の外側を守るように囲んでいる兵舎の、さらに外側。

(今から外出?しかも国の外に?)

 もしかして、敵の気配でも感じたのだろうか?
 彼は一人で、なんでも解決しようとするきらいがある。声をかけるべきが否か…。
 多岐はしばらく考え込み、視線を上げればもうすでに外垣を越えて姿の見えなくなってしまった紫苑を慌てて追いかけることにした。





 辿り着いたのは国からもそれほど遠くなく、かといって決して近いとも云い難い森の外れだった。
 けっきょく紫苑に声を掛けるタイミングを得られぬままに、多岐はここまで紫苑の後を着いて来てしまったのだ。

「紅真、待たせたな」

 紫苑が声をかけた先には、ただ闇が広がるばかりだ。
 多岐はいぶかしんで首を傾げ、それからその首筋にあたる冷えた感触にぞっとした。
 明らかに刃物の感触だとわかる。
 確かめたくとも、首を動かすことすらもできない。

「紫苑。なんなんだよ、こいつは」
「俺に気配に気づいたツワモノ」

 紫苑は柔らかく微笑んで、けれど瞳の光には笑みなど欠片も湛えずに、云ってみせた。
 紅真と呼ばれた少年は、多岐に刃をあてたまま顔を歪めて返す。

「だからって後つけさせんなよ。面倒臭ぇ」
「いつものことだろう?俺はいつだって、楽しいことが大好きだ」
「お前だけが楽しいことが、だろうが」
「そうかな?」
「そうだよ」

 軽い話だと、多岐は思った。
 少なくとも、人の首筋に剣を当てながらする会話ではない。
 多岐は恐怖と緊張に冷汗を流し、体を硬直させていた。
 どうにか動かすことのできた視線だけが、自分よりもはるかに身長の低い少年の姿を捉えることに成功する。

「多岐。悪いけど、ちょっと付き合ってもらう」
「し、紫苑…これは…」

 どういうことなんだ。
 と、訊ねようとした台詞は、途中で遮られ、声になることはなかった。
 訊ねるよりも早く、紫苑が答えを話し出したから。

「俺はまだ陰陽連の一員で、お前の横で剣を構えてるのはその仲間で、ここへは作戦の途中報告に来て、お前はそれを目撃してしまったから」
「目撃させたんだろうが…」

 紅真が横槍を入れるが、紫苑はそれを黙殺した。
 多岐はそんなことに反応している余裕などない。

「な、そ、それじゃあ!!お前、壱与様を騙してるのか!!!今も、邪馬台国を崩そうっていうのか?!!!」

 思わず叫んでいた。
 恐怖よりも何よりも、邪馬台国を、その女王を害することだけは、許せない。
 あの国の誰もが、彼と同じ気持ちでいる。

「騙してるといえばそうかもな。嘘じゃない部分も多いけど、嘘も多い。でも、別に邪馬台国を崩すことは重要な目的ではないから、崩せなかったらそれでも構わない」
「っつーか面倒臭いからサボるとか云ってやがったじゃねぇか」
「紅真。それじゃあまるで、俺が不真面目みたいじゃないか」
「実際そうだろうが」

 なんなんだ。
 どういうことなんだ。

 多岐はわけが分からないまま、彼らに連行されていった。





「大変だったわね〜」

 格子の先から笑って声を掛けてきたのは、年齢の量りがたい女性だった。長い黒髪が艶やかに流れている。
 女は多岐に邂逅一番云った。

 「仲間にならないか」と。
 多岐はあっけにとられた。
 自分の身に何が起こってるのか理解できなかった。
 それから、女は延々たわいもないことを話し続けている。

「お、お前たち、いったい何をたくらんでるんだ。邪馬台国を、壱与様を、ど、どうする気、なんだっ」

 多岐は精一杯の虚勢で吼えた。
 掴んだ格子はぴくりとも震えない。
 女性は赤く色づく容(かたち)のいい唇の両端を引き上げ、おかしそうに笑った。

「邪馬台国ねぇ。私は別にどうもしないけど。他の奴らも似たようなものなんじゃないかしら。紫苑が邪馬台国崩しに任命されたとき、誰も自分がやりたいとも云わなかったし」
「し、紫苑は…やっぱり……」

 裏切り者?

 声を落とし、項垂れて云う多岐に、女は愉しげな、どこか嘲笑うかのような口調をそのままに語り続ける。

「心配しなくても、あなたの大切な国も、女王様も、どうにもならないわよ」
「そ、それはどういう…」
「あの子、そういう暑苦しいこと好きじゃないからね。」
「暑苦しい?」
「そう。あの子、「あか」が好きみたいなのよね。だから、血と炎を見るのが嫌いなの」

 女の言っていることが、多岐には理解できなかった。

「国を崩すと、美しいアカが舞いあがって心が高揚するんですって。激しい熱に浮かされて、体が情欲に震えて堪えられないってv」
「え?あの…」
「紅真はね、あの子のお気に入りなのよ。っていうか、あれは犬ね、犬」
「い、犬?」
「そう、紫苑の犬。紫苑の云うことしか聞かない狂犬だから、気をつけてねぇ」
「は、はあ」

 多岐は女の勢いについていけず、ただ曖昧に頷くことしかできない。
 そんな多岐に、女はにやりと笑ってみせた。

「驚いた?ここは裏切りの集落よ。誰もこの陰陽連に忠義なんて持ってないわ。何が目的かなんて、そんなのは誰も知らない。ただ、必要だからここにいるだけ。陰陽連には陰陽連の目的があり、そこに集うことになった者にはそれぞれの目的がある。その目的のために、誰もが何をも裏切るの。あの子も同じ。まだ陰陽連で働いてるのは、今がただ裏切りのそのときじゃないから。それだけなのよ。私も、誰もね」

 女は多岐の瞳を真っ直ぐに見つめて云った。
 多岐はただ女の瞳に視線を奪われる。
 女の黒い瞳が光ったような気がした、と…。

「おしゃべり」
 女の背後から声がかかる。

「あら、女はみんなそうなのよ。覚えておきなさいな、坊や」

 女の振り向いたそこには、彼のよく見知った少年が呆れたように佇んでいた。
 隣には、先ほど紫苑と軽口を叩き合っていた紅真と呼ばれた少年もいる。

「あんたたち二人、何を考えてるのかしらね」
「あんたこそ」
「それもそうね」
「そうだろう」

 紫苑と女は視線だけで笑った。

「それじゃあ、多岐くん。考えておいてね」
「だ、誰が陰陽連なんかに!!」
「はいはい」

 じゃね〜。
 女性は右手を軽く上げて、指を降りながら去って行った。
 それを視線だけで見送ってから、紫苑は視線だけを多岐に向けた。いつもと変わらない――少なくとも、多岐には陰陽連で自分たちのバカ騒ぎに付き合っているときとなんら変わらないように見える表情で、紫苑は素っ気無く多岐に語りかける。

「多岐。俺がお前に後をつけさせたのは、陰陽連に誘うためなんだけどな」
「誰が!!」
「津朱鷺(ツトキ)と麻季佐(マキサ)も陰陽連に入ってるぞ」
「なっ…!!!」

 津朱鷺と麻季佐は多岐と同じく邪馬台国守備隊の下っ端兵士だ。
 気さくな奴らで、よく多岐とも他愛のない話しをする。

「見所があったんでな。今日のお前と同じように、誘き寄せさせてもらった」
「な、なんであいつらが陰陽連なんかに…」

「倭国の…しいては邪馬台国のため、かな」
「邪馬台国の?」
「もうすぐ邪馬台国は沈む。―――勘違いするなよ、滅ぼされるとかそういうわけじゃない。ただ、邪馬台国のある場所が問題なだけだ。あそこはちょっと特別な場所なんだ。そこには…これは詳しく云えないけど、至高なるものの存在する土地だ。大陸はそれを狙ってる。山は崩れ、海に沈もうとしている。邪馬台国は、山の上に立っている」
「……」
「その山が崩れると、倭国が沈む。倭国が沈む前に、山と倭国を切り離す。山を海に返す」

 気がつけば、聞き入っていた。

「陰陽連で俺達が動く理由の一つだ」
「一つ?」
「それ以外はお前には関係がない。だから云わない」


 邪馬台国は沈む?
 あの、太陽の王国が?
 みんなの、帰るべき場所が?


 多岐は、格子の奥でぼんやりと、呆然と、考えていた。





「嘘吐き」
「あんたもな」

 独房棟からの出入り口で、黒髪の女が声を掛けてくれば、紫苑はその女の同じような口調で返した。
 愉しげに。

「っつーか、てめぇさっきから何がしてぇんだよ」

 紅真が紫苑の横から口を挟んだ。
 不機嫌に歪んだ顔に、女はまた笑う。

「いつか、裏切る日のために」

 答えたのは紫苑だった。

「いつか、裏切る日のために、その為だけに、ここにいる誰もが奔走してる」

 それ以上の、何が必要だというのか。
 ここにいる誰の、何が必要だというのか。

「ご主人様はそう云ってるけど?」
「てめぇの飼い主、だいぶ追い詰められてるみたいだぜ」
「…そうね。―――でも、関係ないわよ、そんなこと。だって、犬は飼い主に忠実に…でしょ」
「…当然」

 女は紅真から視線を外し、紫苑に振り返る。

「紫苑、あなた、最高の忠犬を持ったわね」
「……ああ」

 紫苑は、ただ、頷いた。



 その未来を祈っている。



 裏切りの者たちにとって、ただ、それだけが、贐。





 ここは裏切りの砦。
 いつかくるその日の為だけに、誰もが嘘を抱えて協力するところ。










ここでは、自分さえも嘘










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 あとがき +------------------------------------------------------

 あれ?紫苑の死にネタ書こうと思ったのに。まあ、いっか。---2003/04/27

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