その国王は、僕の家族を殺した。 母さんは一生懸命働いた。 僕も一生懸命手伝った。 兄弟たちも一生懸命手伝った。 でも、納税分には足りなかった。 父さんはいない。 戦(いくさ)で死んだ。 でも、父さんは戦になんか行きたくなかった。 むりやり出兵させられた。 姉はむりやり連れて行かれた。 兄もむりやり連れて行かれた。 弟は捨て置かれた。 僕も捨て置かれた。 姉は王の玩具(おもちゃ)だ。 兄は王の奴隷だ。 弟たちは屍(しかばね)だ。 僕はかろうじて生きていた。 殺してやると、泥を啜りながら決意して、このまま自分は死んでしまうと悟った。 霞む目の前に写ったのは、緑に明るく、けれど誰にも見向きもされない雑草を踏みしめる足だった。 視線を持ち上げて、見れば、そこには自分を見下ろす何者かの姿。 逆光のために見えないその表情は、しかし自分には何より美しく写った。 「死ぬのか?」 降り注いできた声は、自分とそんなに違わないだろう年齢のものに聞こえた。 高い、少年の声。 けれど、それは子供の声と呼ぶにはあまりにも重く、深く、空っぽだった。 「殺、し…て、やる」 咽が焼け付くようだと思った。 逆光に顔を隠した何者は、どうやらかがみ込んだらしい。僕の上に影ができる。 それを、ぼんやりと眺めやった。 「誰を?」 「…お、う」 たったそれだけを云うのが、ひどく苦しかった。 心の痛みではなく、肉体がその限界に悲鳴を上げていた。 「国口に注がれた水となっても?」 「?」 「王が死ねば、国も死ぬ。そして、誰もが死ぬ」 彼が何を云いたいのかが、なんとなく分かったような気がした。 答えるべきことは一つだった。 「…いらな、い」 あんな国はいらない。 帰り着く場所がそこしかないというのであれば、そこを崩して新しく築き上げる。 「水は飲めるか?」 訊ねてくるから、ただうなずいた。 頬に当たる土にこすられ皮が剥けたような気がしたが、それはきっとどこか別の――自分とは遠くかけ離れたどこかで起きた痛みなのだと思った。 自分が、土にこすれて皮がむけるほど大きくうなずけたとは思っていない。 水の大半が、顎を伝って乾いた赤茶の土に吸い込まれていった。それでも零れ落ちなかったそれを咽に流し込み、その量を確実に増やしていった。 霞む視界が次第にはっきりとしてくる。 見上げれば、そこには美しいまでに無機質な二対の紫水晶。晴れた夏の雲に、氷をしみ込ませたような髪が、その透明な瞳に、色を与えているようだった。 「誰…」 「紫苑」 咽の痛みは僅かだが確実に引いていた。 訊ねられたままに簡潔に名乗ると、その人は流れるような動作で立ち上がり、僕が立ち上がるのを待つこともなくここから立ち去っていくように歩き出す。実際、立ち去っている以外のなにものでもないのだが。 僕は慌てて、まだうまく動かない自分の体を無理矢理に起き上がらせて、その後ろ姿を追った。 「それは、お前だけの身勝手。苦しくても、惨めでも、たとえそこがこの世の地獄であると知っていたとして、そこを愛して、そこで生きていたい者達もきっといる」 その人は僕が追いかけてきていようと、そうでなく、そのまま地面に這いつくばって眠ったまま、最後に水を飲めた幸福にたゆたって死んでいったとしても、どちらでも良かったのだろうと思う。 たとえ僕がどちらの道を選んだとしても、きっと、その言葉をただひとり言のように、僕に投げ掛けたのだろうと。 振り返ることもなく、ただ自分のペースで黙々と歩き続ける彼に、身勝手だと言われてしまったその事実が、ぼろぼろの僕に、微笑をもたらした。 それは苦笑にも、自嘲にも似ていたのかもしれなかった。 目に映る赤い外套が、僕に歩むべき道を示しているように見えた。 それから僕が辿り着いたのは、邪馬台国とよばれる、その当時ではたいそう巨大な国だった。 美しい稲穂と、さわやかな風と、明るい空と、冷たい水。潤いに満ちた大地。 この世の不公平は、こうやって、溢れていくのだろう。 僕は今、たいそう幸せだ。 この世の不幸をすべてあわせたくらい、幸福だ。 姉や、兄や、その他のたくさんの人々を捨てて、今、僕はここに立っている。 僕がそう云うと、その人はいつも同じことを云う。 「忘れていないうちは、捨ててない」 哀しそうな表情で、淋しそうな表情で、時には皮肉気に、あるいは無感動に、云う。 どんな表情であっても、どんな感情の下(もと)であっても、台詞は同じ。 変わらない。 これから、僕らは高天の都へと旅立つ。 僕は、この人の背中につき従っていく。 この人は、女王と、誰かの「夢」のために。 僕は、忘れえぬ思い出のために。 この人の背中を追い駆けて。 神々の世界へ、殴り込みをかけるのだ。
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