海へ行きましょう
熱を含んだ風が吹き
稲穂が音を立てて揺れた
涼やかな水辺に立ち
懐かしいあなたに出会う
「壱与、お前も行くのか?」 訊ねたのは冬の雪原を思わせる蒼銀色の髪の少年だった。まだ夏の暑さが残る八月だというのに、いつもと変わらぬ黒を基調とした服に、真紅の外套をまとっている。 額に汗一つ見えぬのはどういうわけか。壱与は僅かに目を眇(すが)めて考えてしまう。 「当然だよ。まだまだ暑いもの」 「ナシメはなんて云ってるんだ?」 「大丈夫。ナシメも行くんだから、文句は云わせないわよ」 顔を顰めて更に問う紫苑に、壱与はからからと笑って云ってみせた。胸中で「出かけ先で政務をさせる気か?」と、紫苑がいぶかしんでいるとは思いもよらないだろう。 もっとも、たとえナシメが政務を運び込んできても、壱与がそれを今日中に終わらせるとはとうてい思えない。何かと理屈にもなってない「壱与的理屈」を突きつけて、のらりくらりとナシメの「仕事しろ」攻撃をかわして遊び終えるだろう。 そう、彼らはこれから海へ赴く。 避暑のために……。 「……俺は海辺での訓練だと聞いてたんだがな」 怒りもあらわに紫苑が呟いた。 目の前に広がるのは、陽光を受けてきらめく蒼の中ではしゃぎまわる、がたいのいい男供。当然邪馬台国の兵士たちだ。見ていて楽しいものではないから、紫苑のご機嫌指数はどんどん下がっていく。 しかし、それとは対照的にご機嫌指数をぐんぐんと上昇させているものが、彼の隣に立っていた。 「壱っ与さ〜ん!!!!」 レンザである。 水浴を楽しむために薄着になった壱与の姿に鼻の下を伸ばし、今にも駆け寄らんばかりの雰囲気であるが、そうできない背景はもちろんある。 首根っ子をヤマジに押さえつけられているのだ。その両足は半ば中を彷徨っているようにも見えなくはない。紫苑は今度は疲れを感じて、こめかみを押さえつつため息をついた。 紫苑は泳げない。 しばらくは壱与に「仕事をしろ〜」と叫びまわりながら走り回っていたナシメと、それに「こんな暑い日に仕事をするなんてどうかしてる」とか、「せっかく海に来たんだから遊ぶべきだ」とか、壱与的理屈で返して逃げさる壱与と、そんな壱与にヤマジの手から逃れようともがきながら声援を送るレンザ。そして、そのレンザを押さえつけながら、浮かれきった兵士たちを怒鳴るヤマジ…などといったものたちを眺めてもいたが、はっきりいって飽きた。 仕方がないので浜を散歩でもすることにした。 当てもなく歩く。 相変わらず額に汗一つない涼しげな表情。ぼんやりとした…とも、無関心な…とも、表現できるそん表情は、あるいは無表情と呼ぶのかもしれなかった。 不意に、その表情が崩れる。 狐につままれたような…あまりにも思いがけないことに、きょとんと目を見開いたその表情は、その日初めて、彼を年相応に見せたものだった。 「紅真?どうしたんだ、こんなところで」 紫苑が驚きもそのままに問えば、問われたほうはバツが悪そうに…あるいは苦虫を噛み潰したような表情で答えた。 「別に。暑かったんだよ」 その答えは簡潔なものであったが、それがまた彼らしいと。紫苑は僅かに笑みを浮かべた。それはどこか苦笑じみていたけれど、たしかに笑みであったのだ。 「だったらまずはその外套を取ったらどうだ?」 「うるせぇよ。……そお云うお前はなんでこんなとこに居んだよ」 自分と同じく黒ずくめの服に、こちらは黒の外套を羽織ったその少年は、髪も黒く、だからこそであるのだろうか。その瞳の赤がより強烈な光をともなって映えるのだ。 いつもなら禍々しいまでに輝くその瞳の輝きは、暑さに衰えてなどいない。自分と同じく汗の一つもかいていない彼のその姿を見越してかけた言葉は、どこか拗ねたような声音で返された。 「俺は女王の護衛だ」 「ふんっ。暢気なもんだな」 「そんな国を目指してる…の、かもな」 「俺はまっぴらごめんだな」 「…だろうな」 しばらく会話は止まり、今度も先に口を開いたのは紫苑だった。色素の薄い…と、とれなくもない紫水晶の瞳で紅真を見つめ、語った。 そこには特にこれといった感情は垣間見えない。 「殺さないのか?」 それまで海に向けていた真紅の瞳を隣に立つ紫苑に向ける。もうすでに彼はその瞳を海の蒼へと戻していた。 赤と紫。 二つの視線が交わることはなかった。 誰を殺すのか。 紫苑は口にはしなかった。 壱与のこと、レンザのこと、ナシメのこと、ヤマジのこと、邪馬台国の兵士、民…それとも紫苑自身を指してだろうか。 波の、打ち寄せては返る音が静かだった。世界がそれだけかと思われかけた頃、苦虫を噛み潰した声で、答えが返った。 「久しぶりに会って云うことが、それかよ」 視線を向ければ、子供のように拗ねた表情。顰められたその顔がどうにも彼らしくなくおかしくて、紫苑はただ、笑った。 それは、太陽の光のまだ強い、ある日のこと。 |
静かな世界に、遠く喧騒が響く
目を閉じて、耳を澄ませて
ほら、足音がする
それはいつも会いたかった、あなたの訪れ
その音に、耳を澄ませて
----+ あとがき +------------------------------------------------------
残暑お見舞い申し上げます。 絵を描くつもりでしたが、今現在スキャナが使用禁止(というより、画像取り込み容量オーバーで無理)状態なので小説に。一時間で書いた小説とも呼べないsssであることはいつものことなで、小説だと言い張ります。 八月いっぱいフリーですのでご自由にお持ち下さいです---2003/08/08 |
-------------------------------------------------------+ もどる +----