◇ 滅びの心 ◇










どうすれば戻せる?










 月代国の滅びはたった一晩のうちに起こり、その報は日の出と共にもたらされた。
 紅真の愛した女がそこにはいた。まだ幼い彼が、生涯愛し続けるなどという言葉を使うのはおこがましいかもしれないと感じつつも、そう誓えるほどに、その出会いのときに受けた衝撃の大きかった娘。
 その娘の名を、紫苑と云った。

 出会いは突然でもなんでもなく、運命的な要素などカケラもなかったが、紅真にはそれまで生きてきた中で体験したどのような事象より衝撃的で、かつ運命的であった。
 銀の髪が陽に透けていた。
 紫水晶の瞳は硝子玉のようで、何も写さない高潔さを感じさせた。
 その様子は何も感じていないのではなくて、自分の信じるものと愛するもののためにある…自分の位置を自分自身で確立させているものだった。
 白い肌が柔らかそうで、目に眩しかった。
 世界の中で目の前にした彼女だけが切り取られ、脳内に焼き付けられたかのような衝撃。その心に触れる以前に、まずはその姿に圧倒されて、紅真は声さえ発せられなかった。

 紅真が彼女をどれだけ愛しても、彼女の瞳の、その心の自分に向かないことに虚しさを覚えることもありながら、それでさえ彼女が自分のものであるのだという思いの前には勝てなかった。
 訊ねていけばその顔に笑顔の現れることはまれで、だがムゲにあしらわれることもない。
 素っ気ない態度も声も、紅真はそれが彼女のものであるだけで好きになれた。氷がゆうるりと解けるように、回を重ねるごとにその表情の緩みだすのを見るのが嬉しかった。

 月代は滅び、生き残りはいない。
 自分は王の子で、他の女と一緒になる。
 そんなことには耐えられない。

 いっそこの国さえ滅んでしまえばいいと思った。

 そんな折に紅真を訊ねてきたのが、揃いの黒装束に身を包んだ男たちだった。彼らの紅真にもたらした報は、紅真にとって何よりも魅惑的で甘いものだった。
 紫苑が生きている。
 すぐさま逢いたいと思った。

 男たちは紅真に云った。紅真が自分たちに組みすれば、紫苑に逢わせると。
 紅真にとって、男たちの正体などどうでもいいことだった。目的につても同様だった。ただ彼は頭が良かった。だから条件を出した。
 先に紫苑が生きていることが本当かを自分に確かめさせること。
 利用されるのは彼の望むことではなかった。

 はたして彼らの言葉は真実であった。逢って話すことまではできなかったが、まずは遠目から見せられたその稀有な容姿は違えようもなく紫苑のもの。目鼻立ちまではっきり見える位置にまで場所を移して見れば、それが紫苑ではないと証明することの方が難しい。
 自分にも彼女にも幻術の使われている様子もない。

 彼らが紅真に求めたことは二つ。まずは自分の国を滅ぼすこと。その後は自分たちの目的のために協力を惜しまないこと。
 紅真はそれを了承した。紫苑と共にあることを条件に。
 彼らが紫苑に害をなせば、紅真はすぐに彼らを敵に回すつもりであったし、紫苑が彼らから離れるといえば、紅真もまた即座に彼らとの契約を破棄するつもりである。
 そして、陰陽連はそれを十分に承知していた。





 紅真はあたかも雷に打たれたかのような衝撃に見舞われていた。
 それは物理的な衝撃ではない。あまりにも予想し得ないことに対面し、脳髄が揺さぶられたかのような衝撃を受けたのだ。

「紅真の髪はきれいだな」

 秋も深まった、枯葉の一歩手間の紅葉が空を覆っている頃だった。紅真が陰陽連に来て半年が過ぎようとしていた。
 当初、紫苑はまったく紅真のことを意に介さなかった。まるで正体面のようにふるまう様に、紅真は眉を顰めるばかりの日が続いた。
 三月(みつき)が経ち、徐々に態度の和らいできた紫苑を抱きしめることができた。
 本年が過ぎ、林の中で紫苑は言った。

「俺には双子の妹がいて、紅真と同じように、すごくきれいな黒髪をしてたんだ」

 紫苑は遠いところ見るような様子で微笑んでいた。
 紅真の髪を撫でる手つきは優しく、愛しいものに触れるかのようなやわらかさを伴っていた。

「藤乃っていうんだ。俺とは正反対で、すごくきれいで優しい妹だった」

 紅真は雷に撃たれたような衝撃を味わっていた。
 紫苑の態度の見知らぬもののような振る舞いは、そのまま、紫苑にとって、紅真が見知らぬものだったからであったのだ。
 紫苑は紅真のことを覚えていない。
 紫苑の心の中に、紅真との記憶は残るに値しなかった。

 紅真は紫苑の心の壊れているのを悟った。

 紅真は藤乃についてもちろん知っていた。
 紫苑にまったく姿の似ていない、彼女の双子の妹だ。似ていないのは姿ばかりではなく、考え方もまた異なっていた。特別に話し合ったこともなかったが、紫苑を射るように見つめるその瞳だけはやけにはっきり覚えている。
 陰陽連に組みするにあたって、紅真は何とはなしに口にしたことがある。

「よくもまあ、月代国を滅ぼせたものだ」と。

 それを聞いた陰陽連の男は嘲笑するように笑い、したり顔で答えた。訊ねてもいないのに。
 男は云った。月代国の不肖の妹姫が手を貸した…と。
 紅真はその妹姫が誰を指すのかすぐに思い至ったが、別に特別の関心は湧かなかったので何も答えを返さなかった。
 男の方もたいして反応を期待していたわけでもないらしく、紅真の態度に意を解さなかった。
 だから、藤乃がどうなったのかを紅真は知らなかったが、おおよその予想はついたし、陰陽連に来て彼女に会わぬことで、その予想の正しいことに確信も深めていた。

 紫苑は紅真の髪に指を絡ませながら、なおも言葉を紡ぎ続けた。
 紫苑にしては珍しいほどに多弁なことだったが、紅真にはそれを純粋に喜ぶことのできる余裕がなかった。

「とても月代を愛していて、俺たちはとても仲良かったんだ」

 幸せな思い出を思い出しているのだろう紫苑の表情は安らかで、紅真は泣きたくなった。
 紫苑の記憶から締め出された紅真には、紫苑の作り出した偽りの過去を正す術はない。告げるべき言葉もなく、どうしようもない憤りに歪む顔を見せることもしたくなくて、紅真はただただ、紫苑を肩から抱きしめた。
 きつくきつく腕を回し、拘束するように抱きしめ続けると、紫苑は瞬間的な驚きと戸惑いの後に、また優しい声音と共に、紅真の髪に触れてきた。
 今度のそれは、子供をあやしつけるような手つきだった。

「紅真。お前はとっても強いのに、時々すごく、甘えたがりだな」

 紫苑の微笑んでるだろう表情を、紅真は固く閉じた瞳の奥に思い浮かべた。
 投げ掛けるべき言葉はなく、ただただ紫苑を抱きしめた。
 もう二度と、紫苑の心の自分が手に入れることのできない絶望を打ち消したくて、紫苑のやがて遠ざかる予感を打ち払いたくて。
 紅真は紫苑をきつくきつく抱きしめ続けた。










君の心の闇は永遠。









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 あとがき +------------------------------------------------------

 思いがけず。本当に思いがけずできたお話です。本当は前回と同じ語り口で書きたかったのですが、ちょっと時間が開き過ぎてて無理でした。ちょっと残念。
 いつもの突っ込みはここでも適応されます。「お前らいったい幾つだ!!」ってね。ここでの紅真が仲間になった時点までだと、紅真の行動が原作と絶対に異なってしまうのですが、最後の予感から紅真は原作への道を歩み始めます。別の方法で紫苑の心を手に入れようとします。その記憶に刻まれようとします。
 タイトルは「心」と書いて「記憶」と読めくらいの勢いで。実はずっと滅びの華が滅びの区を書いたものだと思ってて見直したらタイトルが滅びの国でびっくり。書き手はこんなどうしようもない奴です。
 ご意見ご感想ありましたらぜひお寄せくださいです---2004/07/04

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