◇ 一番高い空 ◇
それから彼女は笑いました。
僕はそれを不思議な思いで見つめていました。
彼女の頬に朝空(あさぞら)から白い粉雪一片(ひとひら)。
舞い落ちて溶けました。
「寒いね〜」 壱与は空を見上げ、両の腕を広げた。 彼女が言葉を発する度に、彼女の口元から白い息が吐き出されていく。形の良い鼻の先が寒さに赤らんでいた。 空を見上げながらくるりと一回転。彼女はそのまま、あらかじめそうしようと決めていたかのように滑らかで自然な連動する動きのままに、ぼふんっという空気の弾けたような音を立てて、地面に仰向けに倒れた。 草も枯れたそこは、茶色い土が剥き出しになっている。 「服を汚すと、ナシメに怒られるぞ」 彼女の倒れた丁度隣に腰を下ろしていた紫苑が云った。彼の口元からも変わらず白い息が零れるが、その表情からは寒さなど微塵も感じられない。朱くなるより色が消えたように白くなるその顔は、たしかに彼が冷えていると伝えているのに、彼独特の遠い瞳が、それから注意を引き離させるのだ。 淡々と語る紫苑に、壱与は相変わらず嬉しそうな表情を崩さずに声を返した。 寒い、寒いと云いながら、何がそんなに嬉しいのか、彼にはさっぱりわからなかった。 「なんでナシメが怒るの?」 「お前の服を洗う女性が、この冬の冷水に余計に手を浸らせることになるだろ」 「…紫苑くんは?」 「俺は自分で洗ってる」 「私も自分で洗おうかな」 「人の仕事をとるな」 「……女王様もラクじゃないねぇ」 「女王だから楽じゃないんだ」 彼らしいその言い草に、壱与は僅かに口の端を引き攣りさせて苦笑した。乾いた笑い声が洩れなかったのは、彼女にしてみればよくやった、と褒めてあげてもいいくらいのものだが、当然誰も褒めてなどくれはしない。仕方なく、というわけでもないが、壱与は僅かに意識を逸らしていた空へと、再び視線を転じた。 「空が高いねぇ」 「冬だからな」 「寒いねぇ」 「だからおとなしく政務に励んでいろと云ったんだ」 「星がたくさん見えるだろうねぇ」 「……月もな」 軽い溜息の後に返ってきた答えに、壱与は胸中でしてやったりとほくそ笑んだ。 どれほど冷たくあしらおうともまったくこたえない壱与に、とうとう彼の方が諦めて、壱与に話を合わせることにしたからである。 「曇ってなければいつでも見れるって返ってこなくて良かったよ」 「雨が降っても雪が降っても見えないけどな」 「寒くなくても見れるとか」 「いつ見ても変わらないとかな」 「変わるってわかってるくせにそうやって捻くれるんだもんなぁ」 「……うるさい」 「あはは、朱くなってる〜」 壱与は相変わらず寝転んだまま、視線だけを動かして隣に座す紫苑を窺った。最近になって見られるようになった、彼本来の歳相応の表情に、自然と口端が吊り上るのを止められない。 もともと空を見ているこの表情は笑みの形を形作っていたの上に、彼はばつが悪そうに視線を逸らせているので、そんな彼女に気づくはずもないのだ、どうにも見抜かれているようだ。不意に彼と彼女の視線が合い、彼女は彼に軽く睨まれる。無言のその瞳から、彼の抗議がはっきりと聞き取れた。 彼女の表(おもて)にはもはや苦笑しか浮かばない。 しばらくの間、二人空を眺めていた。 壱与はまっすぐと前を向く形で、紫苑もまた同じように。見える空の風景は違っているけれど、それはたしかに、冬の空。 一番高い空。 「ねぇ、紫苑くん……」 「ん?」 「空が高いね〜」 「…ああ」 「寒いね〜」 「…おとなしく政務をしてろ」 「だって冬だもんね〜」 「聞けよ、おい」 「……このまま、星が出るまでいよっか」 「……」 それからしばらくたって。 「寒いんだけどな」 諦めたような溜息とともに、彼は了承の返事をした。 白い息が、空気に溶けて消えた。 |
それから彼女は笑いました。
僕はそれを不思議な思いで見つめていました。
冷たい風を肌に感じながら。
それでも陽光のなんと眩しく暖かいことでしょうか。
常々、僕らは生きているのだと感じるのです。
----+ あとがき +------------------------------------------------------
相変わらず中身のないものですみません。いつもの如く無理矢理更新なです。久しぶり(たぶん)に壱与&紫苑です。なんか排他的にほのぼのしたの(喩えようもないほのぼのさ)が書きたかったんです。けっきょく二人は朝から晩まで冬の丘でぼけっと空を眺めていただけなのでした(爆) これ書き終えてから、恭賀七五三だと知りました。七五三ネタで何かやればよかったと、激しく悔しく思いました。HPをはじめて何が代わったかって云えば日常でネタばっかり探すようになったことですかね? ご意見ご感想い頂けたらすっごい嬉しいです---2003/11/15 |
-------------------------------------------------------+ もどる +----