◇ 釣り日和 ◇








空は快晴。
政務は退屈。
こんな時の息抜きをお教えしましょう。








「紫苑くん、早く早く」

 壱与は右の手に愛用の釣竿を、左の手に釣った魚を入れる木製のバケツを引っ下げて、自分のやや後方からしぶしぶといったていで歩いている少年を嬉しそうに振り返った。
 たいそう不本意そうな――云いたいことは山ほどあるがいえずに口を噤んでいるような――表情で彼女の後をついてくるその少年もまた、彼女と同じように釣竿とバケツをぶら下げている。精神的に疲れているのだと言いたげなその項垂(うなだ)れ気味の背中が哀愁を誘う。
 そんな彼を無視して、壱与は一人楽しそうだった。

「んっふふ。紫苑くんは釣りってしたことないんだよね。今日は私がばっちり指導してあげる。ベテランの私が指導するんだもん、紫苑くんも大漁だよ」

 軽やかな足取りは、今にも大地から離れ空高くへと舞い上がりそうだった。
 壱与の護衛である紫苑には、壱与の身を守る以外に、彼女が政務から逃げ出さないように見張るという、邪馬台国ではこれ以上に難しいことはないという最重要のお役目も課せられていた。ちなみに、それは女王壱与から与えられたお役目ではなく、そのお目付け役兼教育係のナシメからの涙ながらの懇願であるのだが。

 とにもかくにも、そういった役目が与えられているのに、女王を無防備な状態で外出させるなどと彼を責めるものもいるだろうが、彼としてしたくてそうしているわけではないのだ。
 そもそも彼は泳げないので、極力水辺には近寄りたくないのが本音であるが。
 現状になるまでには、些細だがかなりの労力をしいる醜くもかなりくだらないやりとりがあったりするので、そうそう彼を責めるのも酷なことだろう。ちなみにその部分はさくっと割愛する。

 そんなこんなで、二人は壱与お勧めの釣りスポットにやってきた。

「―――ってことで、基本はこんなものね。私はあっちのもうちょっと深いところに行くから、紫苑くんはここで楽しんでて。ここなら浅瀬だから溺れる心配ないしね。夕方には戻るから〜」
「おい、一人で行かせられるか!!待て―――」
「大丈夫大丈夫。紫苑くんってば心配性vv」
「アホかぁ!!」
「おほほほ〜」

 こうして、紫苑の静止を清々しいまでに無視して、壱与は紫苑に片手を大きく振りながら、舞い上がるように駆け去っていった。
 呆然とそれを見送るしかなかった紫苑の姿は、ただもう彼女の勢いにおされたためだとしかいえない。目的に届かぬままに空(くう)を切った右の腕はしばらく停止したままで、やがて静かに下ろされる。彼は後背に流れる豊かな水の流れを見やった。
 ゆるゆるとした動作で岩場に腰を下ろし、あとはただ静かに釣り糸を川面に垂れるだけだった。





「いやぁ、釣れるもんだな〜」

 紫苑は溢れんばかりの本日の戦利品=魚を片手に下げて、意気揚々と歩いていた。その後方からは空(から)のバケツを提げて歩く壱与の姿。
 めずらしく饒舌な紫苑と、これもまためずらしく言葉少なすぎる壱与。少ないだけならばまだしも、ほとんどあり得ないことに、彼女は話を振られての「返答」でしか言葉を発していない。さらにその言葉はどうにも濁されていて、いつものはきはきとした印象を与える彼女の言葉遣いからは程遠いものだった。
 その姿から得られる答えは一目瞭然だが、あいにく人の心理に疎い少年は少女の様子に気づかない。少年のその姿は、まるで幼い弟が姉にその日一日の喜びを語って聞かせているようだ。
 少女はといえば、幼い弟に構うのももういい加減疲れたな〜…といった感じだろうか。あるいはただ精神的に疲れているだけだともいえる。

「せっかくだから他の兵たちにも分けてやろうと思うんだ」
「うん、…いいんじゃない、かな」
「そうか。お前がそういうんなら、大丈夫だよな。今日は本当に大漁になったし」
「まぁ…ね……」

 少女の目があてもなく泳ぐ様はかなり怪しかったが、彼女は少年の後ろを歩いているので少年からはその様子が見えなかった。

「けっこう釣りって楽しいんだな」
「そ、う…。気に入ってもらえて良かったよ、うん」
「でも、食べる予定がないときは釣ってからすぐに離すんだな。それも教えておいてくれれば良かったのに」
「あ〜…っと、紫苑くんに教えたあたりでは、小さくてもおいしい魚がよく釣れるところだから、いいかな〜…なんて」
「これもけっこう大きいと思ったけど、もっと大きい魚が釣れるのか?」

 少年は自分がぶら下げているバケツを僅かに持ち上げ、その中身に目を落とした。中には大方同じ大きさの魚が山盛りだった。小さいものでも二十センチはあるだろう。

「まあ…ね。でも、大きいだけでおいしくないから、食べるのには向かないんだ。釣るのを楽しむのには最適なの」
「そうなのか」
「うん…。そうなの―――」





 それは、ある平和な日の一コマ。
 少女はそれ以降、政務をサボっての釣りの回数を減らしたとかそうでないとか。
 それは誰にも分からない。










透き通る水。
泳ぐ魚。
釣り糸を垂らすのは常識。










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 あとがき +------------------------------------------------------

 ああ…まずいいたいことは「バケツ」の表記です。現在のバケツのようなものでもうちょっと邪馬台幻想記の時代の中に溶け込むものはないかな〜と言葉を捜し、けっきょく何も思いつかなかったのです。違和感ありまくりだったらごめんなさい。そしてなキャラを怖しまくった大層ふざけた文で激ごめんなさい。
 元々これは小説掲示板の方へ載せようと思って書きはじめたのですが、思ったよりも長い文章になったので独立させてUPさせてみました。手抜きだって云われてもしょうがないですね…。
 ご意見ご感想い頂けたらすっごい嬉しいです---2003/11/22

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