雪
焚火を起こそうと枯れ枝を集めていると、一片(ひとひら)の粉雪が舞い落ちてきた。彼は空を見上げ、やがて増えてきたその雪の舞い散る様を眺める。 そういえば、あの時もそうだった―――。 腕に抱えた枯れ枝と、舞い散る雪とその吐く息と。どんよりと曇った空からは陽光は射さず、優しくそよぐ風は身を切るほどに冷たく。 上げていた顔を戻し、彼はそっと瞳を閉じた。脳裏に甦(よみがえ)り始めたそれを、もっと鮮明にするために。 そうだ。あの時も、こうだった―――。 「ったく、なんでてめぇと組んでなんだよ」 切り株に腰を下ろし、黒髪の少年が不満の声を上げた。黒髪の少年の前には、彼に背を向けて枯れ枝を拾い集めている銀髪の少年がいる。ともに十歳前後だろう。銀髪の少年は腰を屈めて黙々と薪にできそうな枯れ枝を集めている。露に湿って使い物にならない枝の方が多く、少年の手には細く小さな枝ばかりが数本握られているだけだった。 冬の冷気と露に濡れた地面と、枯れて尖った枝と。少年の手は赤く腫れ、幾筋かの切り傷が見て取れた。しかし、当の本人はそれにまったく意を介さず、それと同じように、自分の背後で愚痴を洩らし続ける黒髪の少年の言葉にも意を介そうとはしなかった。 「しかもこんな雪が降りそうな中、飯の一つもなしで…おい、紫苑。さっさと火を熾(おこ)そうぜ」 黒髪の少年の手には息絶えて間もない兎が一羽握られている。それまでずっと独り言と等しい愚痴を零し続けていたが、後半は明らかに他者への呼び掛けである。相手はもちろん銀髪の少年だった。 名を呼ばれ、銀髪の少年はようやく前傾姿勢になっていた背筋を伸ばした。上半身だけを後ろに捻るようにして振り返ると、ゆっくりと口を開く。 黒髪の少年の表情は常に斜に構えているもそれなりに豊かであるのに比べ、銀髪の少年の表情はまったく動かない。真冬の冷たさにあって、眉一つ動かさない。 「枝が足らないんだ。やっぱりさっきの村で分けてもらえばよかった」 「なるべく人目につかねぇ方がいいんだろ。俺はちゃんと獲物を仕とめてきたんだ。薪集めはてめぇの仕事だ」 「わかってる。少し黙ってろ」 「黙ってて欲しかったらさっさと火を熾せよ」 銀髪の少年はまた腰を屈めて枯れ枝を集め始めた。地面に落ちている枝よりも、木々から伸びる枝を切り落としてしまった方がずっと早いのに、そうはしない。黒髪の少年も、あえてそれを促しはしなかった。 深い森の中で、地面に積もった雪がやたらと白かった。 雪を除(よ)けて火を焚き、二人は一羽の兎を分け合った。目的地まではまだ遠く、空はいつ雪が降ってもおかしくないほどに重たく澱んでいた。 「あとどれくらいでそのなんとかって国に着くんだ?」 「埜砥国だ。…今晩歩き通せば明日の夜明けにはつくだろ」 「冬の夜はきついぜ。凍え死んでも知らねぇぞ」 「だったらお前は夜が明けてから追いかけて来い」 「それはこっちの台詞だ」 焚火の後を雪で消して、二人は星さえ出ていない夜の中を強行した。森の木々はただの巨大な影となり、積もった雪に二人の足跡が残っていた。 布一枚で作られた衣服と外套。あまりにも軽装過ぎであるように見えるのに、二人の少年は顔色一つ変えず、眉一つも動かさずに、まっすぐと歩き続けた。 そこは小さな国だった。 警備とてそれほど重厚でなく、黒髪の少年などはいささか不満そうであったが、銀髪の少年に言わせれば、自分たちほどの年齢の刺客が任される程度の国など、この程度のものらしい。それでもかなり破格の扱いだと。 「一国の国崩しをほとんど単独で任せられてるんだから、十分だろ」 日が昇り、辺りがうっすらと明るんでくるが、暑い雲に覆われた日の朝光などたかが知れている。王が死んでいるのに気づき、にわかに騒がしくなっていく国の様子を、二人の少年はその国から少し離れた位置から見下ろしていた。 「火でも放ってくればもっと簡単だったんじゃねぇか」 黒髪の少年が云うのに、銀髪の少年はわずかに俯き加減で首を左右にゆるく振った。 「必要以上の殺しはしなくていい」 「甘い奴。火に巻かれて死ななくても、国がなけりゃこの寒さだ。食うもんもなくて勝手に死んでいくさ」 「家が残っていれば生き残る確立が増えるかもしれない」 「王に残された国と民の末路は、火に巻かれて死ぬよりも憐れだぜ。逆に無慈悲なだけかも知れねぇぞ」 「それでも、俺たちの任務は王を殺し、国が自壊していくよう仕向けることだ」 「自壊せずに持ちこたえたら?」 「また壊しに来ればいい」 「面倒臭ェ」 黒髪の少年は顔を顰めた。 銀髪の少年はそれには答えずに、来た道を戻るつもりで身を翻す。真紅の外套を流れるようにして、白い影がちらついた。 「雪…?」 手のひらを天に向けて、曇天(どんてん)を見上げる。ゆっくりとその量を増やしながら、白い粉雪が降り注ぐ様が見えた。 「どうりで寒いはずだぜ。おい、さっさと帰るぞ」 「……そう、だな…」 黒髪の少年と銀髪の少年と。二人は同じ帰途を、決して並ぶことなく歩んでいった。 そういえば、あの時もこんな空だった。 彼は銀に輝くその髪を揺らし空を見上げた。ほんの少し、言いようのない感傷に沈みかける。止めたのは、遠くから響く呼び声だった。 「紫苑く〜ん。薪、集まった〜?」 雪の曇天にも沈まぬ、明るい少女の声。 彼は声のした方へと身体ごと向き直る。 彼に呼び掛けた声の主が知れば、それを見たものが誰もいなかったことを、たいそうもったいなく思ったことだろう。 少年は小さく微笑って、もう一度空を見上げた。 雪は積もるだろうか。 顔を戻せば自分へ手を振りながら歩いてくる少女と、その少女へ愛を誓ったらしい青年の姿が見える。 少年はまた、小さく微笑った。自らも彼女らに近づくために一歩を踏み出す。 雪は少しずつ、その量を増やしていた。 そういえば、あの日みた色も、こんな空だった。 |
----+ あとがき +------------------------------------------------------
最後は普通逆ですよね。「見た空もこんな色だった」ならわかりますが、「見た色もこんな空」ってなんのこっちゃですか?なんかもう思いっきり不吉な予言っぽく終わってますね。痛。 お風呂を掃除しながら突然思い浮かびました。さてさて、明日はテストです。どうしてテスト前って余計な行動力とかアイディアとかがぼんぼんと湧いてくるんでしょうか。不思議です。 ご意見ご感想い頂けたらすっごい嬉しいです---2004/01/20 |
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