+ 青と赤 +
ぱたぱたぱた…。 ぱたぱたぱた…。 乾いた、軽やかな駆ける足音が草原に響いていた。新緑色の柔らかな草の上を駆ける音だった。 だんだんと近づいてくるその足音に多少の意識を向けながら、蒼志は草むらの上に仰向けになって眼を閉じていた。鍛えられた腕は、枕にされてしばらく経つが痺れることがない。 「蒼志様、また訓練を抜け出されたのですね。皆(みな)が捜しています、戻られてください」 上から降ってきたのはひどく冷めた感情の篭もらぬ声だった。ゆっくりとその瞳を持ち上げれば、いつもと同じ冷めた視線が自分を見下ろしている冷ややかな女性の表情を蒼志は見ることができた。 黒髪の、見目麗しい若い女だった。一切の私的な感情を殺したような抑揚のない事務的な物の言い方が、その印象とは真逆の位置にあるものであると蒼志は知っていた。それは女の怒りと侮蔑が抑え込むことなく表面に出された結果である。 「毎度毎度ご苦労なことだな。一国の姫君がわざわざ息を切らせて人捜しに借り出されることもあるまい」 「かつての立場はともかく、今の私はただの女召使です」 「その胸の飾り、鉄製だな――」 「ただの装飾品です」 「ふむ。てっきり護身用かと思っていた」 それは女の胸の丁度中央に下がっている灰銀色の首飾りを指してのものだった。指の長さほどのそれは、桜など広葉樹の葉に厚みをもたせたような形状をしていた。あるいは二つの剣先を繋ぎ合わせたような。 護身用か、あるいは―――。 「あるいは、暗殺用か」 滅ぼされた国の姫が、滅ぼした国の王子へ向ける復讐の刃。 「一つ、訊ねてもよろしいですか」 「ん?」 蒼志の言葉に直接答えることはせずに、あたかも話を逸らすかのように女は返した。蒼志は今現在の天気を訊ねられるかのような気楽さでそれを促す。 未だに仰向けになったままの彼が上目遣いをしてようやく見える位置に、女は相変わらずの表情で佇んでいた。一見すれば感情のない、冷ややかな視線で蒼志を見下ろして。 「あなたのお父上が見せた、あの面妖な技です」 一瞬のうちに、数多(あまた)いた屈強な兵士たちを一気に切り伏せた技。まるで風を操ったかのような技。女の目の前で、女の父を切り刻んだ技。 「方術のことか?」 「方術?」 「俺たちが代々守っているものだ。いや、守らされているのか?――まぁ今となってはどっちでもいいことだ」 「この国のものは、誰もがそれを扱えるのですか?」 「王族…しかも直系だけだ」 親から子へ伝えられてきたその技。王になれなければ、捨てるしかない技。現在月代国でその方術を扱えるのは国王である蒼志の父とその子…つまりは蒼志だけ。 「祖父(じじい)どもはもう死んでるし、親父も一人っ子だからな」 「誰もが使えるわけではない?」 「むしろ誰も使えん」 「そうですか」 会話が止まった。 無視するには強く、けれど気にするには暖かな風が二人を、草の群れを撫でながら通り過ぎていく。 蒼志が突然上半身を起こした。反動を利用して一気に、まさしく突然に。 けれど、女は動じなかった。 「親父と俺を殺して逃げ切る確立が増えたか?」 「むしろ殺せる確立が減りました」 「そうか」 蒼志の口端がおかしそうにつり上げられたが、その表情は女から見えない。見えずとも、全身で感情を表現している蒼志の考えなどすぐに伺えた。 背中が、彼の発する気が、おもしろいと、そう語っている。 「私の浅はかな復讐につき合って、大人しく殺されてくれますか?」 「復讐は浅はかじゃないだろ」 「そうでしょうか。少なくとも、このような立場に置かれるまで、私はいつまでも過去の憎しみにとらわれ続けるその考え方を、短慮であると蔑んでいましたが」 「憎しみはどん底にあっても生きる糧になるほどに大きな感情だしな。すべて憎まれる方が悪いとは言い切れんが、今回の場合は明らかに俺たちに非があると言えなくもない」 「戦争は喧嘩両成敗の原理と同じです」 「さっきから思ってたが、随分きっぱりした考え方だな」 「ありがとうございます」 「いや、褒めたのか?これは」 「何事も良い意味でとった方が気分的に得だと思いますから」 ころころと感情を顕わにして語る蒼志と、淡々と一律の表情で語る女。 腕組み、首を傾げて見せる蒼志に、女は冷ややかで事務的だがかならず返事を返す。 図体ばかりの大きな子供のような男と、美しくたおやかな姿に似合わず冷めた若い女と。 鍛錬をさぼって逃げた王子と、それを捜しに来た使いっ走りの女と。けれど、女は一向に王子を連れ戻そうと行動を起こさない。王子も自分を連れ戻しに来た使いから逃げる気配さえ見せない。 「…どうせだから、陰湿に復讐してみるのはどうだ?」 おもむろに切り出す王子に、女は首を傾げ、無言で説明を促す。 女に背を向けたまま、王子は答えた。それは女が彼に質問をしたときと同じよう、今現在の天気を語るように飄々と。何気なく。 「その美貌で、王家を乗っ取ってみないか」 「……王を誑(たぶら)かして?」 「いや、王子を誑かして」 「……ご兄弟は幾人いましたか?」 「俺はさっき「親父「も」一人っ子」だと言ったばかりなんだが」 「お祖父さまは一人っ子だったんですか?」 「…わかってて言ってるだろう、おまえ」 とうとう蒼志は振り返った。 肩越しから女を見るその眼は眇められ、突き出された唇はまるで幼い子供が拗ねているようだった。 そこで女は本日初めてその表情を崩した。 「その復讐は高くつきそうですね、蒼志様」 「だと、いいんだがな」 やわらかく微笑んだ女につられたわけでもないだろうが、蒼志もまたその表情を崩す。軽いため息とともに吐き出された言葉に、女はおかしそうに、けれど声は出さずに笑った。 「…緋蓮?」 「なんですか?」 「手を、繋いでもいいか?」 いつの間にか蒼志の上体は半分以上が女のほうへと向き直っている。主人のご機嫌を伺う子犬のような視線で紡がれた遠慮がちなそのささやかな要望に、女は眼を眇めて微笑んだ。 手を差し出してやれば、尻尾を振り出さんばかりに嬉しそうな笑顔を見せるから、思わず口走ってしまったのだ。 「ほら、やっぱり高くついた」 「?」 女の手を取ろうと伸ばしてきたその手を止め、蒼志は問うように女を見つめた。その様子に内心で笑んでから、女は答えた。内心だけでとどまらせる予定だったやわらかであたたかな微笑が、その面(おもて)と声に出されてしまっていることにも気づかずに。 「この名を呼ばれて、こんなにも嬉しいのは初めてです」 蒼志の瞳が驚きに見開いた。 |
----+ こめんと +----------------------------------------------------
あ〜…なんかいろいろとすみません。 なんか書こうと考えててふらっと思いついたときに、そういえばこの二人を書いたことなかったな〜と。 ここでの設定をちょっと解説すると、緋蓮さんはとある国のお姫様で、月代国がそこを滅ぼして緋蓮さんは生き残って召使みたいなもんやってます。今まで月代国をけっこう「きれい」なイメージで書いてたので、今回は善し悪し含めて「普通」の国(集団組織)としての姿を垣間見せてみたくて。 蒼志さんはやんちゃ坊主みたいな感じで。二人とも十代後半から二十代前半くらいの感覚で書いてました。緋蓮さんの方が若い(16、7くらい?)感じで。一見すると蒼志→緋蓮で、でも実はお互い惹かれあってる=量思いなんだよ〜みたいなもどかしい感じ〜な設定…というかそんな感じで書いていきたかったんですけど…できてます?方術は王族の、しかも直系の人間にしか扱えません。そのほう陰陽連に滅ぼされる理由付けがしやすいかなと。やんちゃ王子蒼志は実はけっこう頭がいいのかなんなのか、物事の本質を見抜けてるといいなとか。 ご意見ご感想お待ちしております---2004/02/27 |
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