+  狂宴 +




だってこんなに好きなんだ





 春は生命(いのち)の芽吹く季節。枯れ枝には花が灯り、鳥が囀りだす。虫の羽音(はおと)に誘われて外へ出れば、ぬるまりはじめた水の香り。昼の時間が延び、夜が薄くなっていく。
 そう、それは人の時間。人の季節。人の領域。
 春は好きだ。
 人々の表情が、やわらかくなっていく季節。籠いっぱいの木の実。山から大きな獣を捕らえて男たちが帰ってくる。若い女たちが華で己を着飾っていた。
 子供は延びた昼にはしゃぎまわる。昼の間はいつまででも遊んでいられる。
 春は好きだ。
 高い高い塔の上。民家よりも高い位置に、高く作られたそこは王宮。そこにじっと座(ざ)して目を閉じて。耳を澄ます。
 暖かく優しい風と共に、冬には聞こえてこなかった、人々の、命たちのざわめきが聞こえてくる。
 一人、それを聞いているのが好きだった。

 ざわめきが、好きだった。

 こんなにもいらいらするのはなぜだろう。
 胸の奥で何か消えない輝きが外へ出ようと圧迫しているのが分かる。あまりにもおとなしく、あまりにも静か過ぎて、その圧力は咽を詰まらせる。けれど息苦しくはなく、けれど酷くもどかしい。
 何をしていいのか、何がしたいのか、何が起ころうとしているのか。
 暗闇の中に放り投げ出されて、右も左も見えないみたいだ。何も見えないのに、光が見える。それは明るい、太陽のような光でも、儚い、蛍の灯火(ともしび)のようでもない。暗い影の中に隠れるように浮かび上がる、黒い黒い渦(うず)の固まりだ。
 そこに向かって自分の先には一本の道があるようで、あるいは自分とその渦は一本の見えない、細い、しかし何よりも強固な糸で結び付けられて、互いに引っ張り合っているのかもしれない。そして自分は、渦の引く力に少しずつ圧(お)し負けて、引かれていく。
 それは暗闇に浮かぶ、黒い渦だ。
 渦巻いているから、それは闇に同化できずに、まるで一筋の光のように浮かび上がっている。



 夜の空には月が浮かび、それを取り巻くように星々が輝いていた。静かなそこで、奇妙な音が響く。
 それは土を傷つける音だった。
 何か固いもので、無造作に無意味に、地面を抉っていく音。
 目の前に聳える大木は、森への入り口。あるいは森と人里の境界か。そのすぐ下に蹲って丸くなっているその背中を見ていると、まるで犬がこっそりとでも埋めているかのようだ。

「何してるんだ?」

 鈴の音(ね)のような声だった。
 やわらかくて、聞くものの耳に心地良く響く声だ。まだ高い、青年になる前の、少年の声。
 声は彼の背後から聞こえてきた。蹲り、剣の切っ先で闇雲に地面を抉っていた彼の背後からだ。
 振り向けなかった。背中越しに、それが近づいてくるのが分かり、アクションの何一つとして起こせなかった。
 まるで金縛りにあったかのように思考も体も動かない。心臓の音だけがやけに速く打ち鳴り、思考は働かないのに、脳だけは常にないほどにフル回転しているようだった。

「そんなことをしてると、剣が駄目になるぞ」

 それじゃあ、いざというときに使えない。

 笑いを含んだ、からかうような声音だった。
 それは耳のすぐ後ろから聞こえてくる。右肩に彼の気配が重く圧(の)し掛かる。髪の流れる音がして、それが耳に触れて、反射的に躯がびくりと跳ね上がった。
 その反応に、くすくすとおかしそうに笑う気配。
 それでもまだ、振り返れない。

「紅真」

 名を呼ばれる。
 それに、彼はいつだって逆らうことができない。ゆっくりと、まずは首を巡らせて振り返る。振り返りきる前に、唇に暖かく湿った感触が触れてきた。
 これにも彼はいつだって逆らえない。
 仕掛けられたそれに、いつだって彼は逆らえない。肩に置かれたその手の重みを意識の片隅が掠めていく。無理矢理口を開いたのではなく、それは互いに初めから開かれていたのだ。そこからすべてを貪(むさぼ)り吸い尽くすことができるように。
 両の肩に置かれた手の白さが夜の闇に浮かんで、仄かに光を放っているようだった。蒼白いその光りは彼の色だ。押し倒した地面にその色が広がり、その瞳が強気に煌いている。

 まるで罠に掛かった獲物を嬲るように。

 彼は息を飲んだ。
 罠に掛かったと知って尚、その衝動を止めることなどできはしない。あとはただ、彼の思惑通りにことを進めるだけだ。
 その最中はあまりに夢中で。陽が昇り、我に返るといつも後悔する。いつも、いつも、晩のことを思い出してはいらいらした。

「剣を、あとで砥いでおかないとな」

 蒼い瞳を細めて、彼は薄く、表情だけで微笑って言った。
 彼の頬をそっと撫でるその手の白さに、ぞくりと肌があわ立つ感覚。両の頬に手を置かれ引き寄せられれば、従わずにはいられない。

「困るのはお前だぞ、紅真」

 しゃべるのはいつだって彼だった。
 何がそんなに楽しいのか。あるいは嬉しいのだろうか。
 いつだって、ひどく機嫌良さそうに話す。
 彼の首に腕を回して抱きつきながら、その瞳を閉じて、いつだって、機嫌良さそうに、うっとりとした夢見心地で話すのだ。

「まだ死ねないんだろう?」

 くすくすと、耳元で笑う声。
 何がそんなに嬉しいのか。あるいは楽しいのだろうか。

「春はいいな。お前とこうしていれば、別にいつだっていいけど、春はなんだか特にいい。そんな気がする」

 彼の口は塞がない。
 好きなように口を開かせておく。
 いつだってそう。

「たくさんの命が生まれる季節だ。ざわめきが生まれる。それはたくさんの命が消えることでもある」

 彼の背中を撫で上げて、彼の首筋に唇を寄せて。
 彼はいつだって、それでとても心地良さそうに体の力を抜いている。
 互いに好きなようにさせている。
 それが何より心地良い。

「ああ、そうか。だから…こんなにも、心地良いのかもしれないな……」

 彼の口は塞がない。
 いつだって、彼の好きなようにさせておく。

 肩を押される気配がして、唇に湿った感触。

「お前は、いつだって接吻をしてくれないんだな」

 そう言って、彼は口端だけで笑った。
 何かを諦めたような、そんな笑顔で、けれど、彼はそれに気づいていて尚、自ら彼の口を塞ぐことはしない。
 だって。

「別に…かまわないけれど」

 だって、彼は最後にはそう言ってその頬を寄せてくるから。何もしなくても、彼から擦り寄ってきてくれるから。抱きしめてきてくれるから。
 頬から彼の熱が伝わってくる。頬と頬を触れ合わせるほど近くにいるのに、どうしてこんなにもこのいらいらは消えないのだろうか。

 いっそ、だれか切り裂いてくれればいいのに。

 こうして一緒になっているときに、原形さえも止(とど)めずに、魂ごと粉々に。
 互いの肉片の別(べつ)ができぬほどに。


 そうすれば、朝日を浴びても尚、幸せでいられるのに。


 彼は蒼い瞳でまっすぐに見つめてくる。
 この赤い瞳にまっすぐと合わせて見つめてくる。
 その瞳が欲しているものを知っていて、その瞳の真摯さを知っていて、その瞳の健気さを知っていて。
 それでも彼は応えない。



 そうして結局、彼から唇を合わせるのさ。その銀の糸を揺らしてね。





その赤い瞳で、いつだって私を見つめていて





----+ こめんと +----------------------------------------------------

 初めて書いたかも…(妄想より紫苑さんがおとなしかったですが)。どうですか?
 前半は紫苑視点。後半は紅真視点。ちなみに「鈴の音〜」あたりから後半です。本当は「夜の空〜」からですが、このへんはまだ紫苑視点。
 紫苑も紅真も「彼」で表現してるからわかりずらいでしょう〜(笑)。
 ご意見ご感想お待ちしております_2004/04/18

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