百鬼夜行 




春一番の風が吹き
流れる雲のうつろいは
青空に見る鬼の群れ





 彼はいつも夜明け前に起きる。
 今日もいつもと同じ。彼は夜明け前に目を覚まし、身支度を整えようとした。
 だが。

「…――あれ?」

 今日は常とは少々異なったらしい。

「ない」

 彼愛用の髪留めが消えていた。





 彼はいつも後ろ髪を独特の方法でまとめている。それは彼の故国独特の風俗の一つで、正面から見ると後光が射した像を模したか、あるいは鶏冠(とさか)のように写る。
 男性は適当な長さに切り揃えて、すべての髪を上げてしまうが、女性や子供は表面の髪だけを上げて、表皮に近い側の髪は後ろに流したままにするのが普通だった。
 彼は案外に不精で短期であった上に、髪をといでくれる相手ももはやなく、まして己の髪を結わせることを許すような相手もいないので、女、子供のするように伸びてしまった髪を適当に後ろに流していた。髪を切るのでさえ面倒であるという彼の性格は、推して知るべきものであろう。

 彼はいつも床に入って体を横たえて眠るときには、纏め上げている髪を解いておく。髪留めは枕元(頭の横あたり)に適当に放り投げておく。どこに置くと決めてなどいないが、朝起きて手の届く範囲あたりに置くのが常であった。
 手を伸ばして探れば目を閉じていても見つかるあたりに放り出されているはずのそれは、しかし今朝は見つからなかった。

 しっかりと目を開けて、首を廻らせてあたりを見回してもみつからない。とうとう体を起こして、部屋中を探してみたが、やはり見つからない。
 ちなみに彼の部屋は狭いながらも一人部屋だ。

 仕方がない。

 彼は捜索を放棄した。ないものは仕方がないし、それは仕方がないといって簡単に捜索を打ち切っても支障のないものだった。
 現在、彼の髪は肩をいくらか越えるほどだった。銀の髪は瞬間、白髪かと見間違えるが、うっすらと入った薄藤に気がつけば、紫水晶(アメジスト)を糸にしたかのような煌めきをみつけることだろう。それは陽の光に透けて極細の硝子のようにも見える。

 まるで神々の写し似。現れたる神の血統。
 神と妖しと人との共存の中にあってさえ、それはあまりにも神秘的。老若男女を問わず、その魅惑的な色艶に惹かれるものは数知れない。
 しかし。
 彼にとっては父に良く似た「髪」。ただそれだけの意味しか持たない。

「……そろそろ切ろうかな」

 顔を揺らせば一緒に流れるその髪に、彼はぽつりと一言洩らした。
 きっと切るときは揃えることもせずにざんばらだ。見た目からは想像もつかないが、彼は現在彼が身を寄せる連合国に(のみ)名高い山男…もとい、ヤマジ隊長よりもがさつだったりする。





 山や川には神鬼精霊…呼ばれ方は様々だが、とどのつまりは人外のものがよくよく存在する。存在するというよりも、山や川を境にして人外のものの世界へと繋がるのだ。
 彼は度々山へ赴く。別に彼でなくとも赴く。
 人が住みよいのは野であるが、山に住むものも別に少なくない。むしろ山に住んでいるものの方が先住民であったりする。

 山は木々が鬱蒼と茂り、坂道の傾斜の急でなければ森と変わりない。採集できる食物は栄養価の高いもの、味の良いもの、貴重な薬…数多い。まさに山の恵み。
 けれど彼は採集のために山へ赴いたのではない。いや、それが目的で登る日もある。薬草や保存食となる植物の採集のためや、獣を狩るためなどがその理由の一つだ。
 本日、彼は日課の訓練のために山へ入っていった。精神を集中させやすいというのが、彼がそこで日々の鍛錬を行う主な理由であるらしい。

 そこで彼は常ならぬものを見出した。

 はんなりと微笑む瞳は紅い。彼の良く知る…というほどその人柄を知っているわけでも気に掛けたこともないのだが、相手は煩わしいまでに彼に突っかかってくる元同僚を髣髴とさせる真紅の瞳。それよりも幾分明るいだろうか。
 彼の背丈ほどもある草の合間より覗く肌は白く、子供特有のふっくらとしたやわらかそうな「もみじ」の手。

「誰だ?」

 彼は別に山奥に来ているというわけではなかったが、子供が来るには少々遠出になるほどの位置であったので、迷子だろうかとの考えが思考に過ぎるも、子供はまったく不安な様子を見せてはいない。微笑んでいるのも、ようやく人を見つけることができての安堵から…というにはいささか奇妙な印象を、彼は受けるのだった。
 彼は首を傾げて子供を見つめることしかできない。

「あっ」

 そんな彼が声をあげたのは、子供が草の合間から差し出した手に握られたものを見てだ。それは彼の髪留めだった。
 見間違えるはずもなければ、それは彼の故国でのみ作られるものであるので、同じ形の別のものである可能性も皆無である。それは彼の故国が、彼のためだけに作った特別のもの。ただでさえあるところにしかないはずのその髪留めは、もはや戦で焼け滅ぼされた彼(か)の国と共に焼けて数少ないはずで。まして王家の象徴の刻まれたものなど、彼の持つもののみが現存しているはずなのだ。

 思わず彼は手を伸ばして、足を一歩踏み出した。
 するとその小さな子供は「きゃっきゃっ」と、高く嬉しそうな声をあげて走り去る。彼に背中を向けて去る子供の髪色は、彼と同じ色。それより幾分青みが強いかもしれない。あるいはただ繁る木々の葉が反射してそう見せただけだろうか。

 子供は走り去る。彼はそれを追った。
 時々子供は立ち止まりて振り返る。はんなりと嬉しそうに微笑って、まるで彼と追いかけっこでもして遊んでいるつもりなのだろうか。

 どれほどの時が流れただろうか。見上げれば、日は高く、すでに昼を回っただろうかと思わせた。
 木々の合間から覗く空は眩しいほどに青く、青く。流れる雲の移り変わりに目を奪われた。
 彼は汗だくの体を投げ出して、草の上に大の字に横になった。追い駆けても追い駆けても追いつけない。彼の吐く息は荒かった。
 彼に良く似た色彩のその子供は立ち止まりて、彼の追い駆けてこないのを不思議がるように小首を傾げる。手には彼の髪留めが握られている。

「はぁ、はぁ…」

 深く息を吸えば、彼の胸はそれに合わせるように大きく上下した。しばらくは立ち上がりたくないと思いながら空を眺めていれば、不意に視界に飛び込んできたのは赤い瞳と蒼銀の髪の子供。きょとんとしたつぶらな瞳は、まるで小動物のそれのよう。
 子供は何も語らず、彼もまた何も語ることができなかった。まだ呼吸が荒く、しゃべることが億劫だったためだ。

 子供はしばらく彼の様子を眺めていたが、不意に面をあげて、彼の視界から外れた。ふっと、まるで煙のように子供が掻き消えて、子供が佇んでいたそこには彼の髪留めが残るばかり。
 彼はようやく体を起こす。両腕を後ろに突っ張って、支えるようにして上半身だけ起こし、首をめぐらせる。
 子供の姿はどこにない。
 ふと空を見上げた。
 それまでとは違った景色に見えた。

 何が違うのだろうかと考えて、雲が一つ増えているのだと気がついた。気がついて、けれど雲は風に流されながら引き千切られてはくっついて、それを繰り返す。
 ふと目を放した瞬間のうちに。
 刹那の刻でさえその姿を固定してはいられぬものたちなのだ。

「まぁ、いいか…」

 彼は髪留めを手に取り立ち上がった。
 今日はもう帰ろう。
 汗を流して寝てしまおう。

 大きく伸びをして体をほぐし、彼は歩き出した。
 山を降りるために。





真昼の空の白雲(しらくも)が
風に流され形を変えて
陽光(ひかり)を透(す)かして輝く姿


まるで真昼の百鬼夜行





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 お昼頃に公園でぼんやりと空を眺めていて感じたのが、初めと終わりの詩。それを無理矢理引き伸ばして生み出したのがこのお話。意味不明、意味不明。だって「紫苑の髪留め紛失」→「銀髪の子供(=紫苑?)が草の影から覗く」→「その子が紫苑の髪留めを持っている」という風景がぽつりぽつりと浮かんできてさ。繋げただけ。常とはちょっと雰囲気の異なった邪馬台幻想記小説になったかな?とか。
 ご意見ご感想お待ちしております_(c)2005/02/23_ゆうひ

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