きみとぼくの契約
-人々の信仰と神々の思惑-
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「――教? ああ、宗教の勧誘ってやつかい。珍しいね」 ティエンは戸惑いを隠せなかった。これでもう何人目だろうか。この国の誰もが誰も、皆、今彼の目の前にいる主婦と同じ反応だった。 「でもこの国でそれはちょっと無駄だと思うよ。まあ、外の国の人にはわからないかもしれないけれどねぇ」 頬に手を当てて話す彼女の様子は、まるで近所の奥様方とワイドショーのネタを肴(さかな)に雑談を交わすかのようだ。 「やだやだ。信仰っての怖いからね。万が一にもうちの息子が、『他の神様は悪魔だー』みたいなことを言い出して、国を滅ぼすことにでもなったら冗談じゃないよ。信仰ってのは本当に恐ろしいからね」 大仰に肩を震わせるその姿は、まるで昼ドラに出演してる女優の演技だ。 「え?ああ、神様との契約だろう。この国の人間なら誰だって知ってるさ。国の一番の義務はその契約を遂行することだからね」 そんな義務は聞いたこともない。最近の政治の方向性は、けしからんことだとは思うが――政教分離が主流だ。少し前まではどこでも神々の声を聞く司教は敬われたというのに――。 「公務員でも学者様でもなんでも、そのことに貢献できるってのが一番の栄誉なのさ」 こうやって笑う母親というものは、ティエンの国にも珍しくはなかった。 「神様と契約してたって、災害は起きてるって? バカを云っちゃいけないよ! 契約がなかったらどんなことになってたか。本当にね、あるんだよ。ちゃんと歴史に残ってるのさ。一番最近なのは百年位前の女王様が、今のあんたと同じことを言って、契約を破棄しようとしたんだよ。そうしたらその途端さ。それまでにも津波なんて珍しくはなかったけどね。あんなに大きな津波は世界中の歴史をひっくり返してみても類を見ないよ。何千人も死んだんだ。島が一個水没して、地図が書き換えられたのさ」 他にも幾つもの例を、様々な人から聞いた。聞かされた。 「地震も火山の爆発も、歴史に残るほど大きな災害は、大抵、その当時の女王が――つまりはその当時の政府がだけれどね。神々の力を疑ったときに起こってるのさ。小さな台風や地震の頻発なんて、そんなの些細なことだよ。逆に、それがあるおかげで四季も素晴らしいんだしね。その辺も、神様はきちんと考えて契約を遂行してくださっているのさ」 皆(みな)、口々に語るのだ。得意気に。 そして高忠告して、話は終わるのだ。いつだってそう。誰だってそう。 この国の人々は皆同じだった。 「だから、あんたもこの国で滅多なことをするもんじゃないよ」 特に小さな子供を誑かしたりなんかするんじゃないんだからね。 これが、ティエンの一週間の努力の賜物だった。 いったいこの国に『神』と称して蔓延る存在とは何物なのだろうか。ティエンは考えを改めた。 この国は神と称する強大な悪魔達に心底から侵されてしまっている。そんな国を、人々を救済するのは並大抵のことではない。 まずはその悪魔のことを知り、そしてそれらを打ち払う術(すべ)を見出さなければならないだろう。悪魔の弱点を見つけることにより、悪魔によって人々にかけられた誘惑にほころびを生じさせることが出来るはずだ。そうすれば、人々は正しき神の光に微かなりとも触れることが出来る。 この微かだろうとも『触れる』ことが重要なのだ。 神の全知全能。その光に僅かでも触れれば、悪魔の力などもう一切の関与を許さなくなる。 人々は救われ、居場所を無くした卑しき悪魔どもは惨めにも退散するしかなくなるのだ。そうしてこの国に正しい教えが行き渡ることによって、この国は初めて救われる。 ティエンは決意した。そのためにも、あの『地下』へ向かい、悪魔と対峙し戦わなくてはと。 ティエンは再びそこを訪れていた。入り口で彼を出迎えたのは、初めの日に見た少年の姿をした『悪魔』ではなかった。 『お前が噂の宣教師だろ』 初めて見るその悪魔は愉快そうな笑みを顔に張り付かせてティエンに話しかける。 『僕らを悪魔か邪霊だと思って、僕らの弱点を探しに来た。違う?』 小さな『神』の言葉に、ティエンは警戒心を強くした。まさか人の心を読んだのだろうか。悪魔には珍しいことではない。奴らはそうして人の心の弱い部分に漬け込んで、人を惑わし堕落の道へと誘惑する。 しかしティエンが何を云うまでもなく――もっともその表情は言葉よりも雄弁だったが――小さな『神』はからからと笑って否定した。 『ああ、僕らは人の心読んだりなんて出来ないよ。そんな能力は皆無さ。たまにはそういう奴もいるけどね。少なくとも僕にはそんな能力はない。じゃあなんで分かったのかって、顔してるね。簡単さ。この島に来た宣教師は、みんな君と同じ考えに行き着くんだ。そして、再度ここへ足を運ぶ。誰もが同じ。個性がないね〜』 少年神は哂う。愉快で仕方ない風に。 『殺せるよ。僕らは殺せる。生きてるからね。君らよりもずっと強いけど、全知全能ってのには程遠い。僕はね、山の神なのさ。名前は双葉。君が先に会った紅真や紫苑よりもちょっとだけ若いんだ。契約は邪馬台国の二代目の女王――つまりは初代壱与とから。何の山の神かってのは秘密。紅真みたいに実体がないわけじゃないし、紫苑みたいに人の手に余るほどでもないからね。それが、僕の弱点になる。君には教えられない』 ティエンの瞳に鋭い光が宿る。 少年神はそのあからさまな姿に口端をにやりと攣り上がらせた。妖しげな光を宿したはじめたその瞳に、少年神の姿がまやかしであることを漸くになって感じさせられる。 彼の目の前にいるのは、人ならざるものであるのだと――。 『僕が何の山の神か知ったところで、君には手が出せないよ。僕は人質を取ってるから。僕の本体となる山の周囲は実に気候が穏やかでね。土地も豊かなんだ。人口も多い。僕を害するのも契約を破るのも簡単だよ。でも、どちらの道を選んでも結果は君たちにとってあまりよくはない。山を崩しても契約を破棄しても、貴重な『住みやすい豊かな土地』が一つ減るだけだ。罪のない人々の笑顔と、故郷(ふるさと)もね』 ティエンは黙した。これは明らかな脅しだ。やはりこれは『良くないもの』なのだ。 少年神は呆れたように哂う。 『僕らが悪魔だったとしてもさ、君らには何の痛痒もないじゃないか。死んだら人は生き返る。天国には行かないけど、地獄に行くこともない。だったら、生きてるうちは幸せでいなよ。人には寿命があって、その命は僕らよりも儚いんだから』 少年神の瞳に宿る郷愁にも似た何かに、ティエンはふと、なぜ彼らは人間と契約をしているのかと疑問が湧いた。少年神の言葉の何一つ、彼には認めることが出来ないものであったのに、その遠くを見つめるような瞳に、過ぎ去った何かを思い出しては感傷に浸る『人間』の姿を見たからだ。 そのティエンの疑問を読み取ったかのように、少年誌はぐるんと首を巡らして、はやり人を喰ったような、バカにした笑みを浮かべる。 『云っただろう。僕らは人よりも強く、しかし全知全能ではない、と。僕らにだって、運命も宿命もあるのさ。抗い難いものがある。君たちが僕らを殺すのは簡単だ。けれど僕らを殺せば君たちは生きる場所を失う。なぜなら僕らの本性は、君らの生きて立つ、この世界そのものにより根付いたものだから。云わば基盤だよ。山の神である僕なんかはまさに土台さ。それともう一つ。』 少年神は一度言葉を切り、改めてティエンと向かい合い、忠告した。 『僕はともかく、紅真には手を出すべきじゃない』 ティエンは困惑した。自分はともかくだと? この少年神は何を言いたいのか。 『僕は二度目にここを訪れた君みたいな人間に必ず一番初めに会う。それが、僕がここで勝手に自分に課してる役目だから』 「なぜ、そんなことを…」 ティエンはここにきて初めて言葉を発した。自然と口をついて出ていた。 『世界を守るため。僕は山の神だ。僕の影響範囲はその山の周囲がせいぜいだ。火山の噴火にしても、大地の荒廃にしても、プレートの大ショック――大地震にしてもね。だけど紫苑と紅真は違う。紫苑は『月』だ。この『地球』のバランスを保つには欠かせない。彼はそれを損なわせることなんて考えもしないけど、紅真は違う。紫苑が傷つけば紅真が怒る。紅真は『嵐』だ。人には掴めない。そして、僕や紫苑とは違いどこにだって行ける。この星では、大地は海に囲まれている。――手は出さないことだよ。或いは君の帰る『故郷』、『家族』、『友人』。『信じるべき文化』。全てが洗い流される。――ううん。違うな。吹き飛ばされて、木っ端微塵だ』 ティエンはもはや言葉も出なかった。自分がそれを聞き、何を感じたのかさえ分からない。 少年神は。――『双葉』は、悲しげに哂って零した。 『僕にとって彼は恩人だから。――だから、もうこれ以上、辛い思いはして欲しくないんだ』 まして、人が大量に死んでしまうような。 世界が生き物の住めないほどに、荒廃してしまうような。 まるで、『戦(いくさ)』の後のような―――。 |
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こめんと |
なんか別のことに気を囚われていて、更新のことすっかり忘れてました。私の中の予定より一日遅れで漸くアップ。この話自体も続編を用意していたのをすっぱり忘れてたのですが…。 今回は『神々の真実の姿』を語ってみました。むしろそれがサブタイトルでも良かったくらい。双葉のモデルは伝作の最終回のあの後姿の少年らしき子供です。そして『英雄〜』シリーズの紫苑の弟子(?)の設定をちょこっと引き摺っています。彼らはかつて『人間』でした。原作通りの人生を歩み、そして後に刻印の力や神威力などなどのことがあり、神となりました。むしろ本来の姿を取り戻した感じ。本文中でずっと、双葉のことを『少年神』と表現し続けたのは、視線の主である『ティエン』にとって、双葉の名前なんぞどうでもいいものだったからです。ただその姿を形容して『少年神』と表現していただけ。別にその存在を認めていたわけではないからということを、ちょっと云っておきたかっただけです。 ご意見ご感想お待ちしております_(c)ゆうひ_2006/10/15・27〜28 |
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