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 過去の虚 











 そんなのは卑怯だと思った。





 壱与と出会って、人を殺すという行為について、それまで眠っていた罪悪感だとか、躊躇いだとかが回復した。それでも敵に対する非情さは拭えなかった。
 情けをかければそれが後々に自分への災いになることを知っていたからでもあるし、邪馬台国の他の連中よりも『敵』の本質を知っていたからでもある。
 つまり、相手を知っているからこそ、相手に対して情けも容赦もかけられなかったし、殺すことを躊躇することも許されなかった。
 必要性すらなかった。

 あるいは。
 もし、月代国でもう少し教育を受けている期間が長ければ、この心情にもう少し変化があったかもしれない。陰陽連で叩き込まれた非情なまでの保身的な傾向が、多少なりとも改善されていたかもしれない。
 道上の石ころはすべて排除する。跡形も残らずに。
 この考え方の非人道的なありように、疑問と嫌悪と苦痛を覚えていたかもしれない。そうして邪馬台国での敵方への態度に、これ幸いと、胸を撫で下ろしていたことだろう。

 けれどそれは夢物語なのだ。決して訪れることのない、叶わぬ夢なのだ。
 元々殺しを好き好んでいたわけではない。そういった嗜好は持ち合わせていない。けれど非情さを間違っていると断ずるような心優しさなど、もはや持ち得ることは出来ない。
 話し合えば分かり合えるだなんて生易しい期待だけでは生きていけない。対話在りきなどという姿勢では、決して望めない。
 まずは疑いを。そして腹の探り合いを。見極めを。
 敵であると断じたならば躊躇わずに消去を。跡形も残さず。後々の禍根にならぬように。


 だから今回も躊躇わなかった。


 彼は間違いなく自分の敵であったし、自分はともかく、彼は自分のことをとことん嫌っていた。
 殺したいと思われるほど憎まれる人間というのは、実はそうはいないものだ。殺したいほど憎い人間というものが珍しいのではない。珍しいのはそれが持続することだ。
 人を憎むということは。憎み続けるということは、とても、とても体力を要するのだ。酷く疲れる。
 そこまでして憎まれる行為を、自分は彼にしただろうかと時折考えることがある。ふとしたときに、唐突に。

 実を言えば、自分は彼のことを好ましいと思っている。力を競い合える好敵手は好ましいと感じるからだ。
 彼が自分のことを好んでいないことだけは感じていた。疎ましいと思われていることは確定しているだろうと納得していた。だが殺したいほど憎まれているとは思っていなかった。それこそ陰陽連を抜けた自分を気にかけるほど煩わしく思われているとは、想像だにしなかった。

 憎まれていても別に痛痒を感じないあたり、自分はもう在りし日の過去へは決して戻ることが出来ないだろうと感じた。それだけが、自分に湧き上がるあまりにも微か過ぎる感傷だった。
 最低だ。
 まだ幼い、父と母を失うことなど考えにも及ばぬ自分の瞳が語っている。無言の弾劾に、ただ微かに口端を持ち上げて瞳を眇めた。それは今の自分へか。過去の無知な――無垢ともいう――自分へか。どちらへの嘲りか。
 そういうときに、ほんの少しだけ胸が痛んだが、それでも戻れぬのだと、背を向けて歩き去る。
 そういう道を選び、引き返す気はない。
 なぜなら、それが正しいと――それは人道的に正しいというのではなく、自分が歩むと決めた道を行く上で正しい選択であるという意味でだ――、自分は知っているからだ。
 それを、選び取ってしまった。
 その代わりに、本来人が持ち合わせるべき大切な――貴い何かを捨てることさえも、選んでしまった。
 自分が持ち合わせなくとも、今の自分の周りの誰もが、それを持ち合わせているのだから。

 向かってきた敵だった。
 だから倒した。
 それはイコール殺すことに結びついた。
 それだけのことだった。
 多少の感傷は生まれただろう。何しろ、彼は自分にとって兄弟のような存在でもあったのだから。
 陰陽連に入ってから抜けるまでの時間は、決して短いわけではない。むしろ、今の自分にとってはとても長い期間であった。
 おそらくはその九割近くを、彼と共に歩んできた。
 けれどそれで終わりだと思ってた。多少の感傷があり、感慨を抱き、それで終わりだと。

 それなのに、あんなことを云うなんて。
 あんなに、満たされた表情で、あんなことを云うなんて。
 勝手に、一人で満足して。
 その言葉のせいで、自分の何もかもが崩壊してしまったかのようだ。
 いったいなんのことだか分からずに、叫び声を上げて問うたが、息を引き取った彼はもちろん答えるはずもない。どんなにその体を揺すったところで、それは同様だ。
 なぜそんなにも動揺したのか。
 それこそ、お笑い種だと思う。

 あの一言に揺さぶられ、自分さえ気づくことのなかったほどの、小さな小さな、まだ芽吹く前の種のような感情を、水底(みなそこ)から掬い上げられたからだ。動揺したのは、それが、彼の言葉と同様のものだったから。
 それを向ける相手がいなくなってから、気がつくなんて。
 なんて滑稽なのだろう。それこそ、お笑い種だ。

 人を殺して泣くなんて、これが初めてだった。
 人を殺して後悔しただなんて、これが初めてだった。
 もう、二度と後悔なんてしたくなかったのに――。

 それを手にしたのは、それしか持っていけるものがなかったからだ。
 そうまでして何かを自分に残したいと思ったのは、涙が枯れてくれそうもなかったからだ。
 気を緩めればすぐにでも愛しさが溢れ、瞳は潤みを帯び、その感情の流れに身を任せれば、涙はあっという間に頬を伝い落ちるだろう。
 実際、愛しい人が亡くなったのだと云って、泣いてしまえばいいのだろうか。きっと、壱与も、ナシメも、いつもはからかうレンザやヤマジさえも、からかうことなどせず、それを受けれ入れてくれただろう。
 けれど、そうする資格が、自分にはないように思えた。

 だって、自分が殺してしまったのだから。
 だって、こんなにも、自分は人の感情に疎いのだから。

 だから、旅に出た。
 邪馬台国にいるためには、もう少し、誰かの気持ちを思いやることが必要だと思ったから。
 戦いも終わり――平和への道という名の戦いはまだ続いてはいるが――、そこにいることが、とにかく辛かったから。
 平和に身を浸すことが、怖かったから。
 胸の中に燻ぶるそれを、絶やしたくはなかった。

 戦いの火種はどこにでもあるから、燻ぶるそれのままに剣を振るう――つまりは彼を永遠に失ったことへの度し難い八つ当たりだ――機会は、旅をしていれば事欠くことはないだろう。
 ついでに壱与たちの和国統一への手助けになるかもしれないし。
 なぁ。お前も、一緒に暴れるだろう。
 胸中でなんとはなしに問いかける。
 最近、そういうことが多くなった。
 かつては彼の首に掛かり、今はこの首に下がる漆黒の勾玉を、まるで自分は彼の魂が込められた何かのように感じており。
 そうして、それを見つめては目元を和らげ。
 時に、声に出して語りかけるのだ。








『愛してる』

 それが、彼の最後の言葉だった。







talk
 2003年のお正月配布絵での設定を漸く小説化致しました。タイトルは元々旅シリーズを意識してつけたので、ちょっと内容と合ってないかも。でもいつものことなのでスルー。本当は死にネタなので裏行きかなと思ったのですが、最近は女体化以外はほとんど表に置いてるので別にいいかな~と。…大丈夫ですよね? 良くないという意見がありましたら裏に移します。
 ご意見ご感想お待ちしております。_(c)ゆうひ_2006/07/09
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