神の国 









 きれいなだけの愛なんて。それは愛ではなくて。愛などではなくて。







 愛を説く。愛を説く。愛の素晴らしさを説く。
 愛とは何か。
 愛がある故に全てに価値が生まれる。
 愛を説く。

 少年が一人。そんな誰かに向かって投げ捨てた言葉。

「バーカ」

 少年の右手にはこれから少年の夕餉になる兎が一羽。
 なんと無慈悲。
 天を仰ぎ見て嘆く誰かに、少年はまた告げた。

「バーカ。お前に説かれなくとも、愛の何たるかなんて、こっちは嫌になるくらい知ってるんだよ。ムカつくことにな。知ってるんだよ」

 苦虫を噛み潰したかのような少年の表情。
 何者かが目を見開いて大仰に問う。ではなぜそんな無慈悲ができるのかと。

「腹が減ってんだよ! ――神様だかの国は死人の国だからな。死んでたら飯なんていらねぇんだろうさ。そりゃ愛だけでも生きていけるんだろうよ。でもここは現実で、残念なことに俺はまだ生きてんだよ。腹が減ってんだよ!」

 それでも説く。愛を説く。
 少年はイライラしていた。お腹も空いてすこぶる不機嫌だ。
 握り締めた兎の耳が引き千切れるのも時間の問題かもしれない。

 愛を説く。
 美しいそれ。貴いそれ。満ち足りる、世界の根源。平和の礎。
 少年の不機嫌は増す。
 真紅の瞳に怒りが燃え上がるのが明らかだった。

「ああ、そうだな。神の国とやらではさぞやきれいなんだろうな。でもここは現実で。ついでに云えばこの国は修羅の道を歩んでる真っ只中だ」

 少年は空いているもう片方の手を伸ばし、がしっと勢いをつけて愛を説く何者かの首を握り締めた。
 これでもう声は出せない。語れない。
 呼吸が苦しくなるだろうが、息の根を止めるほどの力は込めていない。そうしないだけの理性は、まだ少年に残されていた。
 怯える誰かに面(おもて)を近づけて凄んだ。凶悪な笑みは実に愉快そうだった。

「愛してるんだよ。嫌になるくらいにな! ムカつくんだよ。そいつがここにいないことが」

 愛は世界を救わない。愛は平和を齎さない。
 愛が与えるのは欲望。焦燥。そして修羅の道。
 届かぬ思いに焦がされるその苦しみは、きっと地獄の業火に焼かれるよりも尚、激しく。

 それはやがて怒りとなり、憎しみへと。
 憎愛。
 胸焦がす想いに変わりはない。殺したいほど、愛してる。


 思いがけず力みすぎた腕を意識し、少年は掴んでいた誰か首を開放した。
 突き飛ばすように離されたそれは無様に転がり、苦しげにげほげほと咳き込む。
 そして未だ苦しみ止みあらぬ様子で。その喉元に手を当てたまま。
 少年を見る。
 そして。

 愛を説く。それでも尚、愛を説く。優しき愛を説く。愛を説く。
 それは真白く。真綿のように。安らぎとぬくもりと。

 けれど少年はもう耳を傾けない。
 そんな海綿のような腑抜けた愛では、少年の得たい『愛』は得られぬと。すでに切ないほどに痛感していたから。
 その切ないまでの純朴な愛が、いったいどれだけの苦痛と悪夢と焦燥と。そして絶望を、今よりも尚幼かった少年に与えたというのだろう。
 それは真白く。真綿のように。けれど雪の如き冷たく拒絶する。

 少年は腹が減っていた。
 今日の夕餉は先ほど捕ったばかりの兎。食べ盛りの少年は、菜よりも肉の方が好きだった。
 少年は腹が減っていた。
 故に。
 愛を説くばかりの五月蝿い虫を、きれいにさっぱり置き去りにすることに決めた。

 これから夜を迎える雪山だ。今日は吹雪になるだろう。
 なんと素晴らしい。
 愛を説くその小さい虫はたった一匹。孤独のままに。
 今宵、愛に満ち溢れた神の国への片道旅券を手に入れる。








この気持ちがまだ。ただきれいなだけの恋でいられたら良かったのにと。













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 念の為。紅真→紫苑です。紫苑はたぶん陰陽連を出奔済みくらいだと思います。ぶっちゃけ思いっきり紅真の片思い…。
 幻水部屋『メメント』と同様に、当初はDグレで書こうと思ったネタ。無理だったと諦めかけたそのとき以下略。誰かはどこぞの宣教師っぽい系な人かもしれない。説きそうなのはそういう哲学してそうな人だと思う。愛なんて言葉、日本にはありまへんがな。とか云わないで。そういうことを云うベジタリアンは嫌い。好き嫌いの激しいベジタリアンは好ましい。偏食万歳。眠くてちょっと思考能力低下中。裏物かと思いつつも、びくびくしながら表。ざっくばらんに。考えなしに。……。もういろいろ見逃して下さ…(ばたり)。
 ご意見ご感想お待ちしております。_(c)ゆうひ_2006/08/26
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