This Love



『紫苑君は紅真君に甘過ぎるのよ』

 前日。彼女は笑ってそう云った。





 ここはどこだ。見慣れぬ天上。うちの家の天井は、俺の部屋に限らず、すべてが壁紙で覆われていて、こんな風に丸太が剥き出しのログハウスなんてお目に掛れるはずもない。
 そして寒い。
 身体の上に掛っているのはなんだ。酷く薄く、そして肌触りが悪く感じられる。
 これはなんだ。
 ここはどこだ。
 そうしてぼんやりしていたら視界が動いた。
 俺が起き上がったのだと分かった。視界の高さは変わらないのに、視界に入るもの全てが見たこともないものだった。
 けれど歩く俺には何の迷いもない。
 いつもの風景。いつもの日常。いつもの習慣のままに、水を汲み、顔を洗う。
 水面に映ったその顔は紛れもなく俺のものだった。
 銀の髪、青い瞳。俺はこの顔にも少しだけ特殊な色合いを見せるこの色彩にも、何の意味も見出してはいなかった。
 今、こうして顔を洗っているコイツも同じだ。それはただ初めからそこにあり、今もただそこにあるだけのもの。
 別にこの顔が焼かれて酷く醜くなったって構わないと思ってる。でも傷ついて嗅覚や視覚、聴力に異常が出るのは非常に不味いと思っている。別になんだって構わないと思いながら、それでも、この細い腕だとか、まったく焼けない白い肌だとか。褒められてもからかわれても、ムカついている。
 それだって同じ。
 まるで自分の気持ちだと錯覚しそうになるほどに、抱えるモヤモヤとしたものまで同じ。だから、この身体は自分のもので、この身体を動かしているのも自分で。例えて云うなら、まるで、それが夢だということを理解しながら見る夢のようだった。
 夢だと理解しているのに、その行動は自分の手を離れている。夢の中では自分でさえ、自分の自由にならずに勝手な行動をする。そして、それを眺めるもう一人の自分は、そうすることをなぜか理解している。
 そんな感じ。
 けれど別人だと分かる。これは俺であって、俺じゃない。
 俺は俺に似た誰かの意識の中に閉じ込められてしまっているのだ。閉じ込められているのではなく、入り込んで出られなくなってしまっているだけかもしれない。おそらく後者の方が適確なのではないかと思う。
 それでも驚いてる。
 『紫苑』と呼ばれること。『壱与』がいること。『紅真』と殺し合っていること。
 ああ、やっぱりこれは俺ではなくて、ここは俺の知らないところなんだと。一人、納得して頷いた。
 この『紫苑』が誰なのかしらないけれど、俺に近いのは確かだった。そして、俺より不器用なのも、確かだった。
 ああ、そうか。
 俺は、これを知るために、お前の中へと引き寄せられたのかもしれない。
 殺したんだね。
 こうして、お前は、俺は、『紫苑』は。『紅真』を殺した。
 なんでだとか。
 どうしてだとか。
 そんなことは云わないよ。
 云わない。
 けれど、俺は知ってるから。俺と同じように不器用で。俺よりも尚、不器用で。
 照れてばかりいるお前が、それでもこの『邪馬台国』という国のある、この世界に生きていること。笑ったり、怒ったり。感情を表にすることが出来ることを、知っている。
 ただお前の目を通して、ただお前の耳を通して、ただ、お前の肌を通して。俺は全てを感じた。
 何よりも、俺はお前の意識に溶け込んでいるようだから、分かるんだ。分かってしまうんだ。
 どうしてだ。
 なんでだ。
 誰が問わずとも、お前がおまえ自身に問い掛けている。
 だから、俺は何も云わないよ。
 ああ、おまえはこうして、俺はこうして、『紫苑』はこうして、『紅真』を殺したんだね。
 なんでこうなったんだ。
 どうしてこうなったんだ。
 どちらかが死ぬのは覚悟していたね。理解していたね。だから、おまえは自分の心の深奥で、おまえ自身が投げ掛けているその言葉を知らずにいるね。
 そして、おまえの本心が必死で紡ぐ言い訳も、知らずにいる。

 だって、だって。

 『紅真』を殺して、俺はコイツの中で感じている。
 ああ、おまえは。
 俺の瞳を眇めてその思いに浸される。

 だって、だって。

 泣き出しそうな心で、必死に告げているね。
 おまえは、『紅真』を愛していたんだね。今も、変わらずに愛しているんだね。
 だから、泣くんだね。
 声も出せずに、涙も流せずに。誰にも悟らせずに。
 死すら悼んでない振りをして、心の奥底で。自分にさえ気づかせずに。
 泣いているね。
 おまえの中にいる俺にさえ悟るのが難しいほどにひっそりと。
 そっと、そっと。
 その恋心を秘めて。
 今度は、ひた隠したまま、殺し。その嘆きさえ、秘めたまま。
 泣くんだね。





 目を開けると見慣れた天井。けれどここ最近は見慣れなくなっていた天井。
 俺の部屋だ。
 本当の、俺の部屋だ。
 ……戻ってきたのか。
 思いながら、身体を起こす。俺の思う通りに動く。
 ふと視線を感じ横に目をやれば、そこにはなんとも情けない表情をした紅真が、心配気にこちらの様子を伺っている。俺は思わず微笑っていた。
 突然抱きついた俺を、こいつはどう思っているだろう。肩に顔を埋めてその体温を感じることに専念した俺には、こいつの表情は伺えなかったけれど。
 躊躇いながらも俺の背中に腕が回されたから、嫌がれてはいないだろうと勝手に納得することにした。
 こうやって、抱きしめよう。
 愛してるくせに殺したあいつの変わりに。
 殺されたくせに満足そうに笑いやがったあの莫迦の代わりに。
 俺は、こいつを思いっきり抱きしめてやろうと思う。
 そしてたくさん愛し合うのだ。
 愛し合って、抱きしめあって、離さないのだ。

 俺は背中に回したこの腕で紅真の衣服をぎゅっと握り締めた。

 離さない。
 絶対に、離れない。
 あんな風には、絶対に泣かない。
 こいつの前でだけは、こいつのことに関してだけは。
 だから、思いっきり抱きしめてやろうと…。
 そう、決めた。





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