柊
棘ほどの痛みはない。 荊ほどに近づき難くはない。 茨ほど妖艶でもない。 それ故に、ただ妙に胸の締め付けられる瞬間がある。 |
夜が明けるのを、ただ静かに見ていた。 吹き荒(すさ)ぶ冷たい風に、ただその身を晒していた。 年の暮れの風だ。冷えている。 躯のあらゆる機能が緩慢に鈍っていく様を、感じていた。 風にこの黒髪がなびき、空気の乾くように、パサリと音を立てる。 東の裾から薄灯るい梔色に染まる空。もう間も無く、小さな夕日とも形容したくなるほどに鮮やかな朝日が昇る。 凍えた風に晒し続けた身は白く色を無くし。 ムカつくことに、紙一重で触れ合わぬ彼の存在をより確かに紅真に感じさせた。 背中合わせの位置で。彼もまた緩やかに腰を落ち着けて、吹く風にその身を晒しているのだろう。 何も写さぬその無感動な瞳を、ただ空の彼方へと放りやり。 ただひとりは淋しく。 けれど誰かの同情は欲しくなかった。 誰かと寄り添って慰め合うなど真っ平で。やはり風は冷たく、身の凍える不安に襲われ続けていた。 彼がなぜこの場に居るのかなどわからない。 彼の何一つとして、紅真が正しく知るものなどありはしない。 その事実に苛立ちが生じることにさえ、腹立たしい。 「おまえ、なんでこんなところにいるんだよ」 紅真はとうとう吐き出した。 苛立ちを隠しもせぬその声が寒さに震えていることは辛うじてなかったが、その息は冷たい空気に晒され、すぐに白く染まって溶けた。 答えがすぐに返ることはなかった。それどころかきちんと聞いていたのかさえ定かではない。 別に答えが返らないなら返らないでも構わなかった。 ただ苛立ちの消えぬまま。増すばかりになるだけのことだ。 けれどそうはならなかった。 彼は静かに呟いた。 それはあまりにも抑揚なく、彼の嘘か真(まこと)かさえはからせないものだった。 けれど、今は確かにそれが全てだ。 風に晒されるこの身も。 何一つ持たぬこの身のこの心も。 何一つ、持たぬのだ。 名前さえ持たず、自身の存在を定義するすべを持たない。 そんな中で与えられたそれらに対し、自分が固執することは可笑しいことだろうか。愚かなことだろうか。 心の強さがそのままこの世に反映されるのであるならば、勝負に勝つことこそが自分の心が、その存在しているという石が、何よりも激しい証だというのは間違っているのか。強くありたいと思うことは、価値を持たぬ感情だというのか。 なぜだなどとは問い掛けるな。 自分が何もなかった。そのことがどれほどの悔しさであるかなど、彼には絶対に分かり得ない。 彼の味わった、明らかな存在が確固されており、それらをすべて握り潰され失った気持ちが分からないのと同じように。 まったく違う。 二人はこんなにも違う。 何もかもが異なっている。 けれど。 けれど。 ただ、側にいた。 けれど決して寄り添ったりはしない。 なぜなら、それはひどく自分達らしからぬことであるからだ。 「だって、ひとりは淋しいから…」 ただそれが全てだった。 温かい陽光(ようこう)が、漸く眩しくこの身に降り注ぎだす。 空は澄んだ朝の蒼さに染まっていた。 この身の凍てつきがほぐれる限界までは、まだ暫くはこの場に居よう。 別に弱々しく寄り添っているわけでもなし。慰め合いなんかでは決してない。 ただ、冷たい風に身を晒している。 そして偶々、二人の距離は紙一重のそんな近く。 ただ、それだけ。 そしてそれがただ安らぐ。ただそれだけのこと。 互いに動き出さぬのは、それがほんの少しだけ名残惜しい。 ただ、それだけ。 あとには何も、残りなどしない。 その、はずなのだ…。 |
いっそ茨の檻でその身を囲い、その身に近づく全てを拒んでくれればいいのに。 |
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背景柊じゃないです。緑の葉が遣いたかったけど、これしか見つからなかった。ずっと、紫苑が傍にいる気配がなんだか妙に落ち着かなくて、でもとても落ち着くという紅真を書きたかった。…冬場にコミケで並んでるときってこんな風になりません? 冒頭部分(棘・荊・茨)はすべて『いばら』と読んでいただけたら嬉しいと思います。 ご意見ご感想お待ちしております。_(c)2006/12/30〜31_ゆうひ。 |
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