愛 



 私には愛する者がいた。その者からの愛を得ることが、私のこの世の全てであった。




「紫苑様、あのような下賤の者と付き合ってはなりません」
「貴方様は行く行くは月代国を背負って立つ身なのですよ」

 いつもそう云われてきた。紅真とは遊んではいけないと、父と母すらもが云うのだ。
 下賤?
 それはいったい何だというのか。
 だから、私は彼と一緒に、ここではないどこか。二人で一緒にいられるところならどこでもいいと、手を取り合って、二人、二人だけで、夜の森を駆けた。駆け抜けて、二人でいることを受け入れてくれる世界を求めて。

 私のせいだ。
 私のせいなのだ。
 紅真が瀕死を負った。私は絶望した。
 絶望する私の前に、男が現れた。漆黒よりも尚暗く、月の輝きによって生まれる闇にさえ浮いていた。

「誰だ」
「名が必要か? ならばシュラとでも呼ぶがいい」
「私を追ってきたのか」
「そうだ」
「なんのために」
「そこに転がる餓鬼を、助けたいだろうと思ってな」
「!」

 私は思わず顔を上げていた。
 男は思惑通りとでもいうかのように笑っていた。

「助けて欲しいのかな」
「ああ。……助けて、くれ」

 人にものを頼むのは苦手だった。あまりしたことがない。

「いいだろう」
「本当か!」

 私は少し意外で、驚いた。
 男が片腕を上げると、闇に隠れてその後ろに何人かがいたらしい。男の手下のようだった――が、そそくさと音も立てずに出てきて紅真へ治療――だろう、おそらく――を施していく。
 私は男の云うままに、その夜は国の、自分の寝所へ戻った。

 次の出会いも夜だった。
 男は紅真が一命を取り留めたことを告げた。

「だが記憶に障害がある。頭を強く打ったせいだろう」

 私のことを、紅真は覚えていない?

「自分の名すら覚えていない」

 私は愕然とした。
 何も考えられなくなった私に、男がまた告げた。

「記憶を取り戻したいか」

 方法があると云うのか?

「どんな願いも叶えるという神の力がある」

 私は面を上げる。
 男は目を眇めて笑っていた。

「手に入れるにはお前の力が必要だ」
「どうすればいい」

 私に躊躇いは無かった。迷いもしなかった。

「我々の仲間になり、その為に働け。そうすれば、我々がその力を手にした暁には、紅真の記憶も戻してやろう」
「何をすればいい」
「お前の生まれた国を滅ぼせ。皆殺しにしろ。父も母も殺せ」
「わかった」

 男が顔だけで嗤った。
 私は意にも介さず男に背を向けて歩き出した。早く滅ぼしてしまわなければならなかった。少しでも早く、紅真が私の記憶を取り戻す、その日の為に。
 紅真と共にあることを許さなかった国なら、もとより、私には必要ない。未練もない。愛情の欠片さえ。
 こうして、私は陰陽連の一員となった。

 それから暫らくして、私は漸く、傷の癒えた紅真と会うことができた。紅真は私のことを確かに忘れていた。
 ただ同じ組織の一員。
 ただ同じ年頃の知人。
 紅真とそうあるのは、私にとっては彼を失うのに等しい苦痛であった。
 それから五年。次の任務に関係してだと、シュラに呼び出されたのは、やはり、紅真に見向きもされない、いつもと変わらぬ日のことだった。

「なんだ」
「相変わらずだな、紫苑」
「それで」

 シュラは溜息をつくでもない。ただ面白そうに笑っていた。

「ああ、次の任務だがな」
「それは知ってる」
「邪馬台国の女王だが」
「殺せばいいんだろ」
「いや。殺さずに、生かせ」
「?」
「高天の都を開いてもらう」
「刻印と関係があるのか?」
「ないな」
「?」
「刻印を持つものが、すべてお前のような奴だと限らないと云うことだ、紫苑」

 私は漸く納得した。つまり、陰陽連の思想とは真逆にいるような人間についていく者が刻印の所有者であった場合を考慮してのことなのだ。
 その女王に手を貸す名目で刻印を解放しようが、陰陽連にあって己の目的の為に刻印を解放しようが、五つの刻印があるべきところに、在るべき時に、きちんと揃ってさえいればいい。逆を言えば、揃わなければ意味がない。

「俺は女王についていればいいのか?」
「信用を得ろ」
「どうやって?」
「…そうだな。シダを殺すくらいすれば足りるだろう」
「……面倒臭いな。でも、シダは馬鹿だから、きっと墓穴を掘るぞ」
「だから殺しやすいだろう」
「そうだな」

 一つ気掛かりがあるとすれば、陰陽連を離れたら、紅真と顔を合わせる機会が減ってしまうということだ。
 シュラが私の考えなど見透かして云った。

「紅真を連絡係に向かわせる。何かある時は紅真に託ろ。逆にこちらから伝えることがあれば紅真を向かわせる」
「わかった」

 これで私の気掛かりは消えた。
 ああ。早く、紅真の記憶を元に戻してあげたいものだ。
 そうしたら、きっと、紅真はまた、私を抱きしめてくれるに違いないのだから。




 めくるめく愛の夢に包まれて、私は幸福に酔いしれる。




talk
 スパイネタ(?)。拍手で「原作設定で駆け落ちする紅紫」のネタを頂いて脳天を雷(いかづち)に直撃されたかのような衝撃を受けました。そして生まれました。それがなければこの作品は生まれなかったことでしょう。ありがとうございます!(多謝)。――いや、紅真と紫苑に手と手を取り合って駆け落ちさせようとしたら、なぜか邪馬台国からではなくて月代国からの逃亡になってしまい、手が勝手にPCのキーを叩いてこの話を書いていたんですよ。タイトルが決まらずにアップできず、本日無理やりなんか漠然と入れた。
 ご意見ご感想お待ちしております。_(c)2007/06/27・07/21_ゆうひ。
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