初夜儀式 


 古代から連綿と続くその血統は尊く、将軍どもから政権を漸う奪い返した昨今のこと。
 次は華族どもにそれを奪われ、それまで以上の軽々しい扱いを受けるのにも唯々諾々と甘んじている近頃。
 それでも尚、任命権は将軍どもに与えていた頃と同じように有し続け、意味のないことだと気づきすぐにその優越感が自虐に変わる日々。
 紅葉は見頃を迎え。
 立つ土俵が同じになった分、その傀儡といしての扱いは尚一層のこと。


 華族などというものは、元を辿ればどこかで宮家から派生した流れを汲んでいるもの。けれど華族制が制定されてから幾年。その財政はピンからキリまで。
 私(わたくし)の家は位はとかく高くそれ相応に顔も広いものでしたが、なにしろ財政の面で窮しておりました。そうして彼の家は権力もお金も余りあるものでしたが、とにかく地位というものとは無縁で。
 互いの利害が一致したとはこういうことをいうのでしょう。
 私が彼の婿になることで、彼の家は位という、金ではどうしても買えない物を手に入れられて。私が彼に与えられることで、私の家は、この、散財と自慢が大好きなこの世界での笑みを取り戻すことができる。
 ついでに、彼の家はこれで漸く世界入りを果たすことができるのだという。この部分は私には関係がないけれど。

 これは私と彼が生まれて揃った時から決まっていたことだから、疑問なんて一つもない。だって私はそういうふうに育てられたから。
 けれど彼は違うのだろう。そういうことにさえ、私は気付かず、今も、私は気付いていない。ただぼんやりと過ごしている。

 生まれたときはそうではなかったが、暫らくして私の心身にはいろいろな欠損が出てきたようだ。これは今でも私の誇りで、そうであることを、頭が弱く私の幻想の中で生きている私は今も信じていることだけれど、私は五つの頃までは彼より身体的に優れた才能を持っていた。
 走っても跳ねても剣を振るってみても、すべて彼より格段に上。私が彼の師匠。
 そう。私にはそれが誇らしく、彼はそんな私に目を輝かせていた。
 彼がそういう瞳で私を見てくれることが私には嬉しくて、即ち、私はそうであることが、彼が私に恋をしてくれる要因であるのだと、無自覚の中で信じていた。
 だからなのだろう。だからでもあるのだろう。
 私が、この体を受け入れることができないのも、信じることができないのも。きっと、それが根底にあるのだろう。

 だってこんなにも自由の利かない体なんて知らない。これでは彼を支えることができない。

 飛んだり跳ねたりだなんてもってのほか。剣なんて重たいものは持てもしない。
 歩く衝撃でさえ、私の体は耐えられないときがある。いや、その時の方がずっと多いのだ。
 気分のいいときは車椅子に乗って起き上がることを許される。それ以外は寝台の上に横たわり、じっと動かないように。
 広い広い敷地内に閉じこもり、私が知る外の世界は家の庭。

 彼は学校に通っている。私の知らない世界を生きている。私ではない知り合いがいる。

「紅真さん。学校での部活動はどうです?」
「……別に」
「一年生だと、いろいろと分からないことが多くて大変なんじゃないかって、音彦などが云っていたのだけれど」
「そうだな。中学の時もそうだった」

 十三で中学に通い、十五で卒業する。十六に高等学校へ入学し、十八で卒業する。その後に大学へ入るのだ。私はそうしない。

 それは前々から通らねばならぬ儀式の一つで、決して避けることはできないもの。けれど私の体があまりにも衝撃に弱いので、日和が決まらずにいたのも事実だった。

『互いに十五の齢を迎えられまして、この度、初夜の儀式を執り行います』

 昨年のことだった。私の体の調子がとにかくいい日を選び、断行するように決められ、準備されたその日。
 女中頭が深く頭をたれ、私と彼をその部屋へ残して襖をするすると閉めて去る。私と彼は一組だけ曳かれた布団の上で向かい合う。

「私と紅真さんは生まれ月こそ違いますけれど、年が同じですからすぐに儀式が行えますね。きっと、これって便利なことっていうのでしょうね」

 私は話す。彼は耳をまだ傾けている。

「紅真さんの学校のお友達は、皆さん私や紅真さんと同じ年の生まれなんでしょう。相手の方が違う年の生まれの方は、その方の十五の祝いをまたないといけませんから、やはりたいへんなのかしら」
「こういう儀式は一般的ではありませんから」
「そうなんですか?」
「ええ」

 会話が止まる。いつものことなので気にも留めない。必ずしも会話が必要な関係ではない、というより、そういう時間が存在していることが当たり前なのです。
 私がまた訊ねる。昔は私の方が何でも知っていて、何でもできたのに。外のことだって、私の方が知っていた。今は何も知らない。
 彼の方から会話を切り出すのは珍しい。特に最近は。彼は、日増しに無口になって行っているように感じる。

「今日の儀式がどういったものであるのか、知っているのですか」
「ええ。けれど様式は聞かされていません。女性は男性に全てを預ければ良いとさえ心得ておけば問題ないと伺っております」
「……・」
「様式はすべて殿方が理解しているので、その通りにすればよいと」

 彼は一度だけ眸を伏せ、何事かについて思いを馳せたようでした。何か、葛藤を無理やり封じ込めたような。
 そうしてから彼は漸く動き出し、私は烈しい痛みと途方もない熱と、結局、それがなんだかよくわからない気だるさを得て、その儀式を終えました。
 今でも極稀に――そう、余りにも濃紺の深い一人の夜に思い出す。
 あれ以来、彼は私に触れはしない。夜、そのことがどうしようもなく虚しくなることがある。
 彼は私に触れはしない。

「最近はお忙しいの?」
「別に」
「ご学友の方たちとはどんなことをお話しているのかしら」
「学友なんていない」

 私は微笑を浮かべ、相変わらず紅茶に口をつける。彼は紅茶にも、お茶受けのお菓子にも手を伸ばさずに黙ったまま、けれどそこから立ち去ることもしない。
 会話は泣く、けれど私はそういった時間が存在していることも知っているので、特に何を思うこともない。

「紅真さん」
「……紫苑」
「ええ」
「……」

 やはり会話は続かない。

 紅真さん。

 私は彼の名を呼び、彼は私の名を呼ぶ。それでも会話は続かない。
 彼どそれはいつものことなので、私はやはり何も思うこともなく、相変わらず微笑んだまま、静かに紅茶の香りを楽しむのだ。



 初夜儀式。


 あまりにも優れていた彼女。血筋、家柄、知識、教養、身体能力。何もかも。
 それに心酔していた幼少時。同時に誓っていた。
 努力をしよう。惜しみなく。
 いづれ彼女を越え、彼女に相応しくなれるようにと。憧れの目標に向かってひた走る憧れの眼差しと、それに伴うきらきらと目映い高陽。最も容易く持つことができるのは夢見る子供である、純粋なそれ。いつか、彼女と一緒になる日がきらきらと輝いている。
 けれどある日、彼女は倒れ、彼女の意識の半分は夢の中へと持っていかれた。
 どんな些細なことで止まってしまうとも知れない心臓。いつ失われてしまうかもしれぬ命。
 ただ優しく、そっと、大切に、守るように。他に接する方法など思いつきもしない。
 彼女には何も話さない。彼女の心が現実に傷つき、憂うことのないように。
 家に金があってよかった。時代が地位のない人間に寛容で良かった。家族が地位に対して劣等感を持っていて良かった。
 すべて、俺から彼女を奪わずにいてくれる要因になる。彼女を、永遠に俺のものにしておける。
 誰も彼女のことを知らないまま。彼女も誰も知らないまま。奪われることもない。
 怖いんだ。怖いんだ。何もかもが怖い。
 美しいその肌に唇を寄せていく。その先にある行為に、彼女の体はきっと耐えられないはずで。
 彼女を愛し、彼女を欲するこの自身の欲望こそが、俺から彼女を奪っていくのではないのかと。ずっと、怖れている。
 今もこれからも永遠に――。





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 なんかこう、頼りないおなごと、それが大事で仕方のないおのこを書きたかったんです。ここまでキャラ壊したのも初めてじゃね?
 ご意見ご感想お待ちしております。_(c)ゆうひ_2007/11/18
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