報われない愛、報われない恋
愛。対象を慈しみ深く大切に思い大事にする心。相手を慕う深く温かな情。 恋。特定の対象に強く惹かれ、深く思いを寄せること。独占したいと願う心。又は動植物に思いを寄せる心。 |
常に愛を叫ぶ彼の『愛』が報われていないことは、本人を除けば概ね万人に周知のことであった。しかし、それが真実、事実ではないということは、これは本人も含めて、案外に気づいているものは少なかった。 なぜなら彼が愛を向けるその対象はこの倭国を総べる邪馬台国の女王にして、邪馬台連合の頂点に立つ壱与という名の少女である。彼女はとにかく慈しみの深い人間で、国を、そこに生きる人々を、そこに息づく生きとし生ける全ての命というものに対して、平等の愛を注げ、事実、注いでいる人間であった。 彼にもそういったところがないでもない。彼の持つ植物との同調能力は、それゆえのことではないかと或る者は推測し――その人物はそれを言葉にするような性格ではなかったし、その者以外にそういった推測を働かせるものもこの国には他にいなかったので、それは彼自身にも知れぬことであるが――、おそらくその推測は当たっていた。 そういった意味合いで似た者同士である彼らが互いに好感を持つのにそう不思議はない。それを語るか語らぬかの違いはあれど、彼らはとてもよく似ていた。 故に、彼の愛が彼女だけにとにかく強く向けられていたところで、それが報われて彼女があらゆるものに向ける愛の、彼へ向ける愛だけがとにかく強くなるなどということはないし、彼が彼女へ特別強い愛を向けていたからとって、それで、彼が彼女からの特別の愛が欲しいという気持ちにつながるかと云えば、そうでもなかった。 だからこの二人――レンザと壱与は、いつだって、会えば楽しげに笑い、騒々しいほどに賑やかで、時に呆れるくらいに爽やかだった。 「なんていうか、紫苑君って、けっこう残酷よね」 「……自分が優しい人間だなんて思ってないさ」 壱与に云われ、紫苑は表向きはいかなる感慨も与えられなかったかのように返して見せた。返答するにあたって要した僅かばかりの『間』の中で、彼がどれほどの、どういった思いを呑みこみ、どのように昇華したかなど、それこそ彼にしか窺い知れぬことだろう。 壱与は苦笑を返す。 「そういう意味じゃないの」 戦は今も無くなってはいなかった。不満も反対も、人の数だけ存在し、それだけ存在すれば中には攻撃に転ずるものも生じる。それが偶然にも求心力を持っていれば高まり、姿はどうであれ『戦』となる。さらに頭の良さまで身に付けていれば天地がひっくり返ることだってあり得るのだ。戦の無くならぬことに不思議はないし、盤石な世の訪れぬこともいたしかたない。 しかし戦がないかのような、あるいは泰平であるように見せかけることは可能であった。最近の紫苑は特にそういった方面に心血を注いでいるように、壱与のみならず彼を取り巻く人間の目には映っており、果たしてその通りであった。 禍の目は小さい内に摘んでおく。最近の、彼の専らの持論である。 だから彼が勘違いするのも仕方がない。壱与が残酷だと云った通り、彼は余りにも『人』を殺し過ぎている。その姿は聊かやり過ぎに見えなくもなく、まるで彼自身が何か恐ろしいものに追われ、脅され囃し立てられているかのようにすら映るのである。 「紫苑君が私や、この国の平和のために、辛いことを引き受けてくれているってことは、理解しているつもりよ」 故国が滅び、生きていくための希望をなくすほどに心優しい少年が、かつて味わった絶望を二度と味わいたくないという強硬にも似た思いでひた走っている姿に、壱与は眸を閉ざしてそれを認めることしかできない。それは、彼女にとって悲しく、辛いことであると同時に、間違いなく、有益で必要なことであるのだから。 だから、彼女は決めていたのだ。それについて何かを語ることはするまい、と。 「……責められても仕方がないことだとも、思ってるさ」 けれど紫苑はそんな彼女の思いなど知る筈もないので――彼と彼女の間には切っても切れぬ絆と信頼が存在してはいたが、相互理解には聊か遠かった――、どうしても責められているように耳に聞こえてしまう。 公(おおやけ)に話し合う場を除いては決して殺しはない。壱与の女王としての立場を慮る。その誓いを破ってはいないが、それがすべてではないことだって理解していた。そして、理解しながらそれは裏切り続けている。 彼女は戦で人が死ぬことを理解している。けれど、理解するのと同じように簡単に受け入れているわけではない。人が死ぬのは悲しいし辛い。だから、できるだけそうならないでほしい。 殺したくない。殺して欲しくもない。死んでほしくもない。そのために、できる全てのことをする。 それが彼女――現邪馬台国女王壱与――である。 とうとう眸を逸らした紫苑に、壱与は違うと首を横に振ってみせる。それから口を開いた。 「だから、違うんだってば。私の理想は理想、現実は現実。……私の方が、政治には明るいんだから、それくらい認めてるわ。私が憂いてることは、紫苑君だって憂いてる。だから、私は何も云わない」 誰かの死に壱与が心を痛めるというのなら、紫苑だってまた、同じように心を痛めている。それでも立ち止まれることがあり、それでも辞めるわけにはいかぬものがある。 それを知っているから、そうして実行する人間を前に、手を下さない自分は何も云わない。壱与が云う。 「私が云いたいのはね、全然別のこと」 壱与が幾分声の調子を明るく持ち上げた。 「紫苑ッ!!!」 「紅真!」 ガキン!と鋼でできた県と県とぶつかり合う音が戦場に響く。これだけの混戦の中で、よくも毎回毎回、彼は紫苑というただ一人の目的の人物を見つけ、そして真っ直ぐにそのもとへ駆けてこれるものだと感心するのは、戦の一段落して、その焼跡を整理しているようなときにだ。戦いの真っ最中に、まさかそんなことを考えるような余裕はない。 壱与はある日に聞いたヤマジの言葉に、もっともだ大きく肯いて同意を示したものであった。 「よっぽど紫苑に負けることが悔しいんでしょうね〜」 「紫苑のことをすんげぇ憎んでるって話だし」 邪馬台国の兵たちは、紫苑と紅真の壮絶な一騎打ちをいつも畏怖と憧れと驚きと、僅かばかりの楽しみを含んで口々に上らせていた。最早一種の娯楽だ。 和気藹々と話し合う兵士たちの言葉に耳を傾けながら、はて、と壱与は首を傾げ、それから無言で空を見上げたものだ。 見上げた空はそれまで地上で繰り広げられていた凄惨な殺し合いなど嘘のように澄み切った蒼を広げていて、壱与は思わず口端を引き挙げていた。戦いの後、紅真はいつだって、風邪を渦巻き空へと上らせる。粉塵を巻き起こし、姿をくらますのだ。 だから、陰陽連との戦のあとは、いつだって、雲一つない、澄んだ青空が広がっていた。 「きっと、それって紅真君なりの『愛』なんだと思うの」 壱与が眸を眇めた笑みで語るのに、紫苑は同じく眸を眇めた、しかしこちらは怪訝な様子で返した。 「何を云ってるんだ、壱与」 壱与はくすりと一度だけ笑いを零した。 「紫苑君がそれに気づかない間は、紅真君の愛って本当、報われないと思うのよ」 彼女の恋が、彼女の持つ愛の為に、報われないように。 だって、万人を平等に愛する彼女が、どうして恋をしているなどと考えられるだろう。ただ一人を強く思い、独占したいだなんて! そんな不平等なこと。 常に天真爛漫な姿を――内心にどれだけの過去を抱えていようとも――崩そうとしない彼女の、そんな思いを抱えているなどと、いったい誰が信じるというのだろう。その思いの向けられる対象ですら気づきもしないのに。 いいや、気づかないのではないのだと、壱与は知っていた。彼と彼女はとても似ている。だからこそ、知れてしまうのだ。 他の何かに向ける様もほんの少しだけ強い愛を特定の誰かに向ける。それどその愛はあくまでも愛なのだ。恋には発展しない。 愛は愛のまま、愛だけで満足できてしまう。自分は誰よりもそれを愛していると満足して終わり。壱与は悟り、それは彼が男性だからそうであるのだとも悟っていた。女の自分は、もう一つだけ、階段を上ってしまっただけのことなのだ、と。 「……とうとうレンザの口癖が移りでもしたのか?」 紫苑が呆れて返すのに、壱与は笑った。声を上げて笑い、その話を濁したのだった。 「ねぇ、紫苑君」 「なんだ、壱与」 またわけの分からないことじゃないだろうな、という無言の問い掛けに、壱与は苦笑するしかない。一度だけ、そうとは知らせぬように肩を竦めてから。 「紫苑君にとって、紅真君って、この世にただ一人なのかしら」 紫苑の怪訝な表情がますます深まったのを、壱与は内心面白く感じていた。 壱与が、紫苑が壱与の言葉の真意を汲み取れずにいぶかしんでいることを正確に理解していることを、紫苑は知っている。その上で、壱与は何ら態度を変えぬということは、少なくとも今は、問いに対する補足をするつもりがないということである。 だから紫苑は聞き、そうだと感じた意味の問いに対する答えを返す。そうして返した答えが壱与の意に沿うものでなかったところで、それはきちんと説明して寄越さなかった壱与の責任で、紫苑に非のあることではない。 「当たり前だ」 紅真という人間を、紫苑は確かに一人しか知らなかった。そもそも同じ人間が二人存在するなどということ自体、気味が悪い。 誰もが誰でもなく、己でしかありえず。それ故に、誰も誰かにとっての誰かの代わりになどなれない。 「そう。ねぇ、それじゃあ……」 紫苑の意見に、壱与は概ね賛成だった。彼女にとっても、あらゆる人間がこの世で掛け替えのないただ一人。誰も、誰かの代わりになることはできない。 けれど彼女の見解と彼の意見はここでも微妙なズレを伴っていた。 「見知らぬ誰かも、紫苑君にとっては、ただ一人、掛け替えのない人なのかしら」 「?」 どうやらそれは問い掛けというわけではなかったらしい。壱与はなんでもないとただ笑い、紫苑の前を後にした。 あとには首を傾げるばかりの紫苑が残され、考えても仕方のないことだとばかり、紫苑もやがて、その場を後にした。 |
報われる愛、報われる恋。 報われぬ恋、報われぬ愛。 報われた恋、報われる愛。 報われない恋、報われぬ愛。 |
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紫苑と紅真が、ではなく、レンザと紅真の方が対照的だな、と思ったのです。書いてみたらそうでもありませんでしたが。 いえ、紅真×紫苑、レンザ×壱与の妄想思考の場合で考えて、のことですが…。これにプラスシュラ×卑弥呼が、私の中の邪馬台幻想記三大CPだったります(卑弥呼は原作に出てませんけどね)。 ご意見ご感想お待ちしております。 2007/11/24 |
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