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君に出会えて、本当によかった。 「壱与」 私があなたにそれを伝えたのは、あなたの元へ就くと決めたあの日。その、夜のこと。 あなたは突然訪問した私を快く迎え入れ、私はその無防備さに呆れ、眉を顰めた。覚えているでしょうか。 扉の外にいる護衛兵たちは中の様子に気づくことなく、あなたは大声を出しもしない。 「俺が本当はお前の暗殺を諦めていなかったらどうするつもだ」 私が陰陽連からの刺客であると気づかれたため、とっさに一芝居打っただけのことだとしたら。私は相変わらず陰陽連の刺客のままで、今宵、あなたの寝首をかきに訪れたのだとしたら。――どうするつもりなのか。 だって、私はあなたよりも強いのに。 吐いた溜息には呆れ以上に疲れが含まれていたことを、あなたは感じてくれていたでしょうか。あなたの笑いを思い出せば、きっと、あなたは何もかも気づいていたのでしょう。 「ふふ。大丈夫よ。だって、もし本当にそうなら、もうとっくに、私の命なんてないもの。そうでしょう、紫苑君」 呆気にとられるとはこのことだと知った。あなたには、きっと一生、絶対にかなわない。私を信じ、私にその命を預けてくれるあなた。あなたには、何一つ、かなわない。 私は笑いました。あなたの信頼が、笑顔が、私にひどく温かく、そしてそれが、あなたにすべてを捧げることができぬ私にはなにより痛かった。 胸を掴まれたかのような苦しさ。甘く、それ故に切なさを伴う痛みに、私は泣き、笑った。 「壱与。伝えておかなければいけないことが、あるんだ」 「……」 私の真剣な眼差しを受け、あなたの表情も真剣味を帯びる。女王の顔に、まだ幾分交る、私の友人としての決意。今の私にとって、もっとも相応しいあなたの身構え。あなたはいつだって、相手の一番欲しがっているものを与えてくれる。 私がこれからあなたへ伝えることは、女王であるあなたへこの身の潔白を明らかにし忠誠を誓うことであり、あなたという唯一の友人への信頼を確かにするものであったからだ。 「壱与、俺はお前と同じ夢に生きる。お前に従う。けれど、お前のためには、死ねない」 邪馬台国の女王へ忠誠を誓う。ただの兵士となり、粉骨砕身して働く。その気持ちに欠片の偽りもないことを、ここに明らかにする。 恒久の平和を願う、あなたのその気高い志と願いを共にできる喜びを明らかにする。あなたが私を信頼してくれるのと同じだけの信頼と、それ以上の誇らしさを、私は永遠にこの胸に抱き続けるだろう。私を同市と、友人と呼んでくれるあなたに、共に行こうと手を差し伸べてくれたあなたの眩しさに、私は黄泉路さえ恐れない。 「紫苑君…」 訝しむあなた。眉間に皴が寄るそんな表情を、あなたはその笑顔の裏にどれだけ隠して、今、ここに立っているのだろう。これからどれほど隠し、それでも歩み続けるのだろう。 あなたの憂いを払拭するだけの力は私にはなく、それでも、私はあなたたと共に歩いて行く。 「おまえは、自分のために命を投げ出すことなんてないと、そういうんだろうな。俺たちは、おまえのその気持ちが嬉しい。そしておまえはそう言いながら、それでも、邪馬台国の兵士の誰もが、お前のために命を投げ出す覚悟を持っていることを知って、それが止められないことを知って、涙を流してくれるから…」 命を無駄にはできないのだと、いつだって、生きて帰るのだと戦いに臨めるのだ。 「俺も、そうありたかった」 真実尊いと思えるもののために人生のすべてをかけることができたなら。 「でも、できないんだ」 俯いた私に、あなたの掛けた声は――やっぱり、優しかった。 「うん。いいよ、それで。紫苑君は、紫苑君のために生きればいいんだよ。私も、私のためにしか、生きられないもの」 平和のために。民のために。そのすべては、自分がそうしたいからそうしているだけで、そうしたい自分のために、自分の人生を歩んでいる。だから、他の誰かが自分のしたいことを諦めて、無理やり捨てて、誰かのために生きることはないのだと、あなたは軽く云う。優しい笑顔は、迷いなく明るい。 私は泣いた。いや、泣きたかった。 あなたの優しさに、泣いて感謝を示し、赦しを請い、そして尚、慰められたかったのだ。だから、本当には涙は流せなかった。 たとえ一雫であろうと、私の頬を涙が伝うようなことにでもなったら、それこそ本当に、あなたは母のように私の身をその腕に抱きしめて慰めてしまうだろう。それだけはダメだった。嫌なのではなく、ダメなのだ。そうなってしまえば、私が私に嫌気が差し、もう二度と、自分を真実肯定はできなくなってしまう。 「すまない、本当に、すまない…」 「うん。いいよ、それで」 ただ謝る私に、あなたはただ肯く。笑って、私のすべてを受け入れてくれる。 「紫苑君が本当はとても優しいのも、戦と、そのために起こる悲しみを厭っていることも、私たちと一緒に、倭国統一――平和な世を築くために戦ってくれることは、本当だもの。私、信じてる。ううん。私だけじゃない。みんなが知ってる。それだけで充分よ。だから、いいのよ」 「ごめん。本当に、ごめん……」 その夜の月の光を、私は、覚えていない。 そして私はあの夜の宣言の通り、あなたのためではない死を迎えようとしている。 私の呼吸が静かになっていく。あなたは私の身を支えて泣いてくれていた。 もはや立ち上がる気力もなく横たわる私と、もはや助かる見込みのない私を抱えて涙するあなたを囲む幾人もの気配を感じる。お人好しの彼らは、お人好しの女王と同じように、悲しみ、憤ってくれているのだろう。そんな必要などないとも知らず。 ほんの少しだけ、罪悪あ感を覚え、ほんの少しだけ、様(ざま)を見ろと思う。そんな風にバカだから、莫迦みたいな夢のために戦えるのだと、嗤ってやりたかった。 「い、壱与…」 私は手を伸ばした。あなたの涙を拭いたかったのではない。この期に及んでお尚、あなたに伝えたかった。私が、自分勝手に死んでいく私の、あなたへの信頼を。あなたが私を友人だと呼んでくれる、その誇らしさを。なんと自分勝手な私だろう。あなたがそれを聞き入れてくれることも計算付くで、私は仕掛けるのだから。 「紫苑君…!」 私の手を取ってくれるあなた。私の掌に、あなたの頬のぬくもりと、あなたの涙の熱さが触れる。私は胸中でひっそりと笑う。ああ、あなたはいつだって、あなたらしい。 「お前は、俺の光だ。でも、彼のためだけに、散ってやりたかった」 息が苦しかった。腹に風穴が開き、あふれだした血流がのどを逆流していた。私の声はかすれていただろう。呼吸も儘ならぬのでは、どれだけの言葉を正確に発し、彼女に届けられたのかさえ分からない。それでも、私は彼女に伝えたかった。信頼する友へ、私の思いを知っていてほしかった。 彼への愛を。私の恋情を。陰陽連で出会った彼のためだけに、死にたかったのだという勝手を。 ただ狂おしいまでに彼を求め、切ないほどの思いに病んでいった私の心を。決して、あなたを裏切ってなどいないということを。今でも尚、あなたと同じ未来(ゆめ)を目指しているということを。ただ、伝えたかった。 「彼?」 「紅真…」 「こうま、君?」 私の心が穏やかになる。彼の名を呟くだけで、彼の名を耳にするだけで、私の心は安らぎ、満たされ、私の口元に笑みが浮かぶ。 緩やかに、私の中で私の記憶が廻るのが心地良かった。私は巡る記憶に身を任せる。 何もかもを失ったと思ったあの日。体の芯から冷えていく気がしていたあの夜。差し伸べられた手は、私にとって、確かに希望だった。 重く迫りくる暗闇は、いづれ私の身さえも喰いつくし、私はやがてその闇に飲み込まれて消え去るのだと信じていた。それは星の光さえ届かぬ夜。悪意を持った絶望という名の闇の手が、私の身を包もうとしていた。そのときだ。真っ直ぐ私に向かって差し伸べられた腕。その白く輝き、私の目の前に現れたそれは、その時の私にとって間違いなく、唯一の、奇跡のような、一条の光。地獄の闇のようだった。それでも、光だった。 何かもを失い、それでも尚、生きてゆくことのできる希望を与えられた。それは間違いなく、私にとっての生きる導であり、私は今でもなお、その導に従っている。その夢を見続けている。それは、あの瞬間、私の前に現れた真っ直ぐと伸びた道。私の願いが叶えられた光の世界へと辿り着けると、信じて疑ってもいない。道を、私は歩き続ける。今でも、歩き続けてる。どこにあっても、歩き続けた。 この身の拠る辺がどこに移っても、私の目指し行く道の先は変わらない。誰と共に歩むことに変わっても、私の目指し行く道の先は変わらない。私の心のありようがどうなろうとも、私の目指し行く道の先は変わらない。 けれど。けれど……。 …………。 優しさも、笑顔も、喜びも。失ったと思ったすべてが、あなたのおかげで蘇える。 まるで雨に打たれて草木が、花が、大地が――すべてが甦るかのように、あなたに出会って私の心が動き出す。 激しい雨に打たれて冷え切ったこの心。まるで、厚い氷に覆われた種のようなそれに降り注いだのは、あなたの放つ暖かき光。大地に恵みをもたらす、優しい雨のようなそれに打たれ、私の心が甦る。私のすべてがよみがえる。 それが、私の彼への恋情と劣情をも自覚させた。 彼のために何ができるだろう。彼のためだけに何をしてあげられるだろう。どうすれば、彼のためだけになるのだろう。 あなたに出会ったあの日。あの仄暗い闇色の光を離れたあの日。私の心は冷静さを取り戻し、そして始めにそのことに思い至った。私は愕然とした。 こうしようと決めたのは、あなたに誓ったあの夜から、随分と経ってからだった。刻印の心具――そんな大層なもの、私は要らなかった。私は葛藤した。この力があれば、あなたの本懐を遂げてあげられるのかもしれない。そのための力になれるのかもしれない。 高天の都へ――。 神威力を手に入れて、あなたの、私の、多くの人々の願う世へ。でもそれじゃあ、私は、私の死は、彼のためだけにはならない。 『神威力、か』 『壱与?』 『ねぇ、紫苑君』 『なんだ』 『うん。あのね…』 いつか話したその言葉を、あなたは覚えているだろうか。その言葉に、私の死に様は決定した。 あなたは云ったね。神の力など要らないと。人は、人の力で、平和を得なければいけないんだって。誰かに守ってもらうのではなく、みんなで守ってこそ、それは永遠に続くもの。本当の平和なんだって。人々の平和を願う心が、恨みも支配も怒りも、悲しみさえも、すべて優しく包み込んで癒してくれるのだと。それが夢想ではないことを、私はかつてあなたに教えてもらって知っていた。 許し合い、支え合い、助け合う。みんなで願い実現させてこそ、それは価値を持つ真実の平和なのだと、あの頃にはもう、私は学んでいた。 だから決めた。こうすると決めた。 死の瞬間だけは、私は私に希望を与えた二人には何も報いない。ただ、この死は彼のためだけに――。 「紫苑…君?」 動かなくなった私へ呼び掛けるあなたの声が聞こえる。私はもう、言葉を発しない。もう、苦しくもない。だってもう、私の体は動いていないから。 肉体を離れる瞬間、私は満たされていた。ほら、あなたが不思議に思うほど、私の死に顔は安らかでしょう? こんなふうに微笑んだことなど、生前にどれほどあっただろう。いつか、あなたはそれを思い返して数えてみるのかもしれない。私の生前の様々な姿を思い出して、あなたは笑ったり、さみしさを覚えたり、するのかもしれない。 本当は、あなたの呼びかけに応えるくらいの気力なら、最後に絞り出せたかもしれないんだ。知ったら怒られるだろうから言わないままに逝くよ。あなたの槍で止どめを刺されたら、今度は死んでも死にきれない。 この思いは私だけのものだから、彼との私の思い出も、あなたへは教えてあげないまま逝くよ。だって、彼のことを誰かに教えてあげるなんて、勿体無くてできない。だから、彼への私の思いも、あなたへは何も教えてあげないままに逝く。あなたにも、誰にも、彼にさえ、伝えぬままに私は逝く。 私を殺し、彼は、さらなる高みへと昇っていく。 ああ、なんて幸せ。 これはどうしたことだろう。最後の最後に、まるで彼の腕に抱かれているかのようだった。夢にまで見たその腕の中で、息絶えたようだった。 ざわざわと兵士たちの動揺する敬杯に、壱与は涙に濡れていた顔を上げた。見上げたそこには、見覚えはあるが面識のない一人の少年。 紫苑と同じ年頃だろう。そうであれば壱与とだってそう年は変わらぬはずだ。彼の放つ気配は、そこにいる誰とも異なっていた。だから、そうとさえ気づかぬまま、彼女の兵士たちはその身を避けて彼のために道を作ってしまったのだ。 「紅真…君?」 壱与は知らず呟いていた。その赤い、炎よりも強い瞳の色に、その名の真実の姿を悟った。 (ああ、彼が、紅真君) 壱与は漠然と確信していた。今この腕にある友の身を、差し上げるべき相手が目の前に訪れたのだと。 紫苑の力なく崩れたその身が彼に抱き上げられていくのを、壱与は自分の腕の中が空虚になっていくのを、黙って甘んじていた。身を起こすだけの気力はなかった。 友人の死という現実に、その身に力が入らなかったということもある。だがそれ以上に、目の前の紅真が、陰陽連の男が、壱与にとっての敵である少年が、今は、壱与になど構いはしないことを確信していたからかもしれなかった。もしそうではなく、おのれの身に市の危機が迫っていれば、壱与は紫苑の身を放り出してでも槍を構え、生き抜くために戦うこと、疑いないからだ。 紅真が紫苑の身を包みこむように抱きこむ。彼は何も言いはしなかった。涙もなかった。体の震える様子もない。動揺している様子などなかった。少なくとも、壱与には見受けられなかった。壱与は目の前の光景に目を見開いた。 紅真の頬が紫苑の頬を触れる。壱与には、紅真が紫苑を愛(いつく)しんでいるように見えて、他ならなかった。 その日、とある戦で少年が一人死んだ。 この頃、この国では戦乱は多く、戦で少年一人死ぬことなど珍しくもなかった。 だから、それはどこにも記されてはいない。けれど、その日、彼は確かに息を引き取った。確かに、彼はその日まで、世界にあり、時代を動かす担い手であった。 何も残せぬなどと言ったら、あなたは私を叱るだろうか。私の残したものは多いと、あなたは言ってくれただろうか。けれど私は、何も残せなくても構わないのだ。 あなたの心にも、彼の心にも、誰の心にも、この世界にも。何も、残せずともかまわない。 それは私の夢ではないから。私はあの夜に、多くの夢を失ったから、もう、多くは望まぬと悟ったのだ。――いいや、いいや。そうではない。そうではない。 私の数あるすべての望みは、生まれたあまりにも大きなただ一つのその願いのために、すべて押し潰されてしまったのだ。それだけなのだ。 何もなせず、何も残せず、そうやって死んでいくことが請わなくないのではない。そうやって死んでいくことを容易く享受しているのではない。 ただ、ただ、私はかまわないのだ。 徒一つ。私の一番望み、最も大きなその願いさえ成し遂げられたなら、私は満足なのだ。 それなのにどうしたことだろう。 夢にまで見たそれは、私の望みではなく、夢なのだ。ただの夢なのだ。 そうなる未来のために、私は何の努力もしなかった。だって、本当にただの夢で、叶えるつもりなんて、欠片でだって思ったことなどなかったのに。 ああ、悔しい。 もう、これ以上の満足なんてないのに、まるで生きたいと思っているかのようだ。生きたいと悔しがる私と、これ以上なく満ち足りた死に安らぐ私と、心の中で矛盾が鬩ぎ合う。 死の瞬間まで、私の心は彼によって引っ掻き回される。 ごめんね。 あなたとの思い出、あなたへの数々の思いのすべてさえ、一瞬で、彼への思いに押し潰されて消えてしまい、私の死は、彼一色に染まってしまった。 私のすべて、彼だけに染まって、私、死んでしまった。 君に出会えて、本当によかった。 それでもこうして逝(ゆ)く僕を、どうか赦して欲しい。 彼を捨てられないのだ。彼の傍に居たい。ただ居たい。 切なく、狂おしく、徒唯、彼の傍に居たいのだ。 こんなにも涙するほど。こんなにも安らかになれるほど、唯、彼の傍が心地好い。 彼に出会ってから、心の何かが動いた。君に出会って凍てついた心が解(ほど)け、死ぬときはこうだと心秘かに決めていた。 死ぬときは正面から。 彼と正面から。 決して目は逸らすまい。決して背中は向けるまい。 その瞳を見つめ返し、しかと正面から受け止めようと決めていた。その白刃を、しかと正面から受け止めようと、決めていた。 胸でも腹でも頭でも、どこだっていい。その白刃が、このからだを貫き、それでも笑って死のうと決めていた。私の死に顔は、私を呆れているだろうが、悔いなき安らかであろうと確信していた。 君に出会えてよかった。本当によかった。 そうして死に逝(ゆ)くことを、愛した人に全てを捧げて逝(ゆ)けることを、私の逝(い)ったその後の世界への不安など何もなく。彼の涙を見て心が満たされるのだ。 良き日を、良き別れを、私の友人へ。 さようなら。 ありがとう。 ぼくは、あなたも愛してた。 |
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back 元ネタは歌。何て歌かは知らない。こんなに長くなるとは思わなかった。びっくり。ちょっと書き足りない。 タイトルも歌詞も思い出せない歌。ワンフレーズだけ、延々と鼻歌を歌いながら文章を絞り出す。 死にネタで紫苑独白。紅真→←紫苑で壱与と紫苑の絆。こんな感じのが大好き。 written by ゆうひ 2008.08.21-24 |