◇ 眠れぬ夜をどうぞ 2 ◇





---*20030410*-----------------------------------------------------------------ゆうひ---




『 そこは炎と夜と塵の匂いに満ちている。
  ここは雨と朝と苔の匂いに満ちている。
  その本質はどちらも同じ。

  世界は血の匂いに満ちている。     』





 紅真は溜息をついた。
 数刻前に突然現れて言いたいことだけを云って去って行ったのは、同じ組織にある同胞。
 同朋とは云っても、どれだけそれを強く心に感じて日々精進している奴がいるのかなどたかが知れていたが――それでも同胞と呼んでもいいだろうと思う。

 彼女の名は朱鳥。
 暗闇に不気味に鮮やかな松明の灯火を思わせる色の髪と瞳を持った少女だった。
 何が愉しいのかは知れないが、いつも笑っている…とは、紅真の印象だ。

 いつもと同じ夜だった。
 いつもと同じ。
 イライラして、身体の熱と焦りがおさまらなくて。
 森の大木に八つ辺り気味に剣を振るっていた。

「怖いね、怖いね〜」

 後ろの頭上から聞こえた声に振り仰げば、自分の真後ろの木の上。夜の闇色に染まった葉に隠れるようにしてこちらを笑みに目を細めて眺めやっている少女――朱鳥の姿を見つける。
 紅真は憮然とした表情で彼女を睨み付けた。

「紅真クンはちっとも感情を表に出さないネ。そんなんだから、誰にも彼にも思いが伝わらないんだよ」
「てめぇに云われたくねぇよ」
「アハハ。かもね。でも、そんなんじゃあ、一番大切なものすら守れないよ」
「大切なものなんか…はじめからねぇよ」
「ウソツキダネ。しかも嘘が下手だ。」
「うるせえよ」
「本当は君は気づイテル。だって、それは君を捕らえて離さない」

 朱鳥はあいも変わらず木の上から紅真を見下ろし続ける。
 不機嫌そうに、紅真はそれに背を向けて歩き出した。

「おやおや、どこに行くんだい?」
「寝る」
「眠れるの?そんなので?」
「寝るっつったら寝るんだよ!!」

 紅真は云い終えるか終えないかと同時の振り返り様にその手に下げていた剣を薙ぎ払った。剣先は朱鳥のいる木に遠く届かないが、その剣風が大木を振るわせ、梢を揺らす。
 ざわめきが止み、いつの間にか紅真の後ろ側に回り込んで気楽に佇んでいる朱鳥に、紅真は驚きもしない。

「おお、怖い、怖い。そんなんだから、紫苑クンは眠れないんだよ。夜はもっと静かにネv」
「……これはてめぇのせいだ」
「いつだってそんな感じなくせに、それは責任転嫁というものだよ、紅真クン 」

 くるりと。
 ステップでも踏むかのように朱鳥が振り返れば、彼女の着物が踊るように舞う。

「良い夢を」

 そう云って遠ざかっていく朱鳥の背を見送りながら、紅真は再び剣を横に薙ぎ払う。
 今度のそれは、微風(そよかぜ)さえも生み出しはしなかった。

 もうすぐ朝がやって来る。
 物心ついた頃には、自分には何もなかった。親も、育てくれる人間も。守ってくれる何かも。
 苔の繁る湿地帯。木の根に蹲るようにして生きてきた。
 朝はそれらの匂いが酷く強くなる。
 忘れ難い、泥まみれの日々。
 それは、永遠の一人(孤独)を強く強く実感させる景色。

「雨と朝と苔が、いつだって、俺を眠らせない」

 瞳を閉じれば写るのは、あの頃。
 自分以外のなにものさえないあの日々。

 そこは、血の匂いに満ちていた。




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