◇ 風 ◇





---*20030412*--------------------------------------------------------------ゆうひ---




 突然降り出した雨に、紫苑は慌てて木ヶ影の下へ入り込んだ。
 厚い灰色の雲が空を覆っている。

 紫苑は疼く右腕を意識的に無視した。

 「藤乃(とうの)」

 小さな呟きは雨音にかき消されて聞こえない。
 自分はいつも憧れていた。
 母と同じ、生命力に満ち溢れた豊かな黒髪。
 父と同じ、力強さに満ち溢れた鮮やかな青瞳。
 太陽の下を駆け回って小麦色に焼けた肌は、活気に満ちた国の子供たちと同じ。
 自分は、いつも憧れていた。

 それを言えば、彼女はいつもそういう自分と同じ表情で返した。
 「それはこちらの台詞」だと。

 母に似た、静かな力強さを湛えた紫電の瞳。
 父に似た、絶対の魅力をそなえた蒼銀の髪。
 太陽にさえ侵食することを許さない、白雪の肌は、この世でただ一人のもの。
 この世の誰も持ち得ぬその特別は、この世のただ一人しか持ち得ぬもの。
 自分は、いつも憧れていた。

 それも、遠い過去。

 双子の片割れは、もう、この隣にはいない。


「紫苑」


 自分を呼ぶ声が確かに存在することを知りながら、それを無視し続けるのは自分。
 決して呼びかけに答えてはいけないのだと云い聞かせるのは、自分自身。
 その右腕を、名を呼びながら引く存在。
 それは、実体を持たない自分の片割れ。

 紫苑は疼く右腕を意識的に無視し続けた。
 通り雨は過ぎ去り、見上げた空には雲ひとつなかった。




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