◇ ニライカナイ ◇





---*20030912*--------------------------------------------------------------はづき---




 この世のどこかに、ある。
 それは、あなたが見る場所。


 紺碧の空に、静かに映える白銀の月。
 それを一心に見上げるその姿は、まるで捕らわれてしまっているようで。
 しかしそれでいて、祈りを捧げている風にも見えて。
 結局声をかけられないまま、十数歩分の距離を置いて、目を奪われたまま立ち尽くす。
 ――どうして。
 月に向けられた瞳が、こちらに向くことはない。
 それでも、動けない。
 この空間を、壊したくない。
 その視線の先を、知りたい。
 あの瞳はきっと、あの月ではない、遥か遠くを見ている。
 彼の人の視線の先を確かめようと、我知らず踏み出した足先が、その時かすかな音を立てた。
「――!」
 間髪を入れず振り返った彼の姿に、静謐な時間が壊れたことを知る。
「……何、やってるんだ」
 声をかけてこないなんて珍しい、と、呆れ気味に彼が言う。先刻までまとっていた、近寄りがたい雰囲気は、すでにない。
 ――今なら、尋ねられる。
 彼の、見ているものを。
「……何を、見てたの?」
 彼の双眸に、先刻と同じ光が宿る。焦がれるような、憂えるような。
 さらに、問う。
「……月?」
「……人、は」
 彼の唇からこぼれる言の葉が、求める答えへの糸口であることを、ふいに悟った。
「どこへ、行くんだろうな」
「……それを……見てたの?」
「見えない……たぶん、人である限りは。――ただ、思うだけだ」
 紫水晶の瞳は、再び月に奪われる。
「オレは、そこに行けるだろうかと」
 見えない、その場所に。逝く時は、分からず。
 思いを馳せることしかできない、人の無力さ。
「……分からない、よね」
「ああ。――分からない」
 命を終えるその時に、己が己であるかなどと。
 今のこの思いを、覚えているかどうかなどと。
「でも、あたしは――」
 そっと、歩き出す。十数歩の距離が、十歩へ。数歩へ。
「こうやって」
 人ひとり分の空間を挟んで、隣に並び立つ。
「手の届くところに、できるだけ……」
 そこに、いて。
 遠くに、行ってしまわないで。
 突然、この国に現れた時のように、突然、いなくなりそうなあなただから。


 魂の逝く場所は。
 遥か遠くのまほろばの場所なんかじゃなくて――。


 思えば手の届く、この世界のどこかであってほしい。


 願わくば。




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