+  戦 +



瞼を持ち上げて見える世界




 戦は終わらない。終わるものじゃない。

 この世界は美しい。
 この世界は美しい。
 なんど同じ言葉を呟いても伝えきれない。

 この世界は美しい。

 生きとし生けるものはいつから狩り狩られ、捕食し捕食されてその「生(せい)」を繋いでいく摂理を生み出したのだろうか。
 人に限らず何もが何かの生を糧(かて)として命を繋いでいく。
 そして、やがてそれは命を繋ぐ行為から、より確かな生命維持のための方法へと発展し、人はそれに個々の矜持を、打算を加えて最終的な形へと発展させたのだ。

 世界は美しい。
 世界は優しい。
 世界は眩しい。

 なんと素晴らしいこの世界。

 今日もまたこの世界のどこかで、僕らは剣を掲げてそれを振るい下ろす。



「父上」
 小さな銀髪の少年が呼びかけた。少年が首をいっぱいに反らせて見上げているのは、彼と同じ蒼銀の髪の男性だ。精悍そうな顔つきに慈愛の雰囲気を纏わせ、男は少年の頭に片手を置いた。

「どうしたんだ、紫苑」
 男が呼ぶその名こそが、少年の名であった。紫苑は愛らしく利発そうな瞳を真ん丸くしたままで、父親である男に訊ねる。
 頭上に置かれた手の平は力強く、紫苑はその体温も力加減も嫌いなものではなかったが、ぐりぐりと頭をかき回されるようにされてはさすがに窮屈だ。髪がほつれれば後々で母親から呆れられるかもしれない。
 そう思いながらも、払い除けようようとはしなかった。

「どうして戦をする必要があるのですか?」
 紫苑は月代国という国に生を受けた。過日のことではあるが、別の国と戦になった。たくさんの人が死に、森も家も田畑も焼ける様子が、不思議で仕方がないものに、紫苑の目には写ったのだ。
 何かもが無駄で無意味なことに思えて仕方がない。せっかく生まれた命を消すことはないのではないのか。育った稲も建てた家も、決して一朝一夕にできうるものではない。たくさんの時間と労力を必要とすること、そうしてなされたものの貴重さを知っていればこそ、不思議に思わずにはおられない。

「おもしろいことを考えるな」
「おもしろいですか?」
「ああ、おもしろいことだ。だが、それはとても必要なことだと、父上は思うぞ」
 紫苑の父たる男は顎に手を置き考えながら返し、最後には紫苑に面を直して微笑って云った。

「そうだな、まず、おまえはどうして戦をするのだと思う?」
 父親に投げ掛けられ、紫苑は僅かに小首をかしげて考えてから答えた。考えても明確な答えが出ないから訊ねたのだ。すぐにこうだと答えられるものはない。
 いくつか思い浮かんだ理由のうちの一つを上げてみれば、またも質問で返された。
「領地を増やすためですか?」
「どうして領地を増やす必要があるんだ?」
「う〜ん…領地が広い方が、田も畑もよりよい条件でひらけるところが多く見つかるのじゃないですか?森や川があれば、資源はもっと豊富になるし」
「確かにそれもある。だが、人がいなければ意味はないな」

 蒼志の言葉に、紫苑は頷いた。それは自分の中で問答したときにも出た結論だったからだ。
 豊かな土地である方が、小さな労力で多くの資源を得ることができる。田畑を耕すにしても、狩猟や採集をするにしてもだ。土地が広ければ人口が増えても困ることはない。
 だが、国などと括られていない土地はいくらでもあった。逆に、ここからがその国の領土だという明確な線引きも存在していなかった。だいたい、この山の向こうにはこれこれいう国がある、といった状況だ。豊かなところでは、確かに幾つもの国が密集しあい、牽制しあっていると聞くが、それでも土地はいくらでもあるように思われる。
 何より、少人数で広すぎる土地を手にしていても管理できない。自分の国の領土内のことも把握で気なのであれば、それは逆に不振と隙につながる。

「では、父上はどのようにお考えなのですか?」
 紫苑は再び訊ねた。そして返ってきたのは、けっきょく、質問という形式だった。
「おまえは、それの答えが一つだと思うか?」
 紫苑は今度は横に首を振った。蒼志はその精悍な顔つきに優しい笑みを乗せた。
「だったら、思うこと全部上げてみな」
「……奴隷を得るため。不況の年には食料を得るため。快楽を得るため」
 紫苑は考え付いたいくつかの解答を口に上らせ、最後に締めくくった。
「自分たちの風習を広げるため」

 支配権の拡大。

 蒼志は紫苑の頭をぽんぽんっと、軽く叩いた。紫苑は蒼志を見上げながら、また訊ねた。
「…つまるところ、ただ征服欲を満たしたいだけなのですか?」
「おそらく、それが一番だな。少なくとも、俺はそう考えてるってことだ」
 誰だって、自分が一番になりたいもので、自分の一番良しとするところを現実にしたいと考えるもので。それらはその結果であるのだろう。
「付随する言い訳は、それがどんなに正しいことでも、どこかの誰かにとってはかならず独善的になるだろうな」
 蒼志の声が、その表情が少し悲しそうに見えたのは、紫苑の気のせいだったのだろうか。少なくとも、紫苑の心は少し、悲しくなっていた。

 誰だって、自分が幸せになりたい。だから、自分が少しでも幸せになれる環境を作りたい。
 誰だって、不幸になりたいとは思わない。だから、自分は幸せに向かって歩いていると思いたい。自分の行為が、より大きな幸せを創造するものであると信じたい。
 誰だって、自分が間違っているとは思いたくない。気づきたくない。知りたくない。だから、自分の信じたものを貫く、強い意志を自らに課す。信じたものが正しいと、無理矢理だろうがなんだろうが、自分を信じ込ませる。

「真理なんてもんを探そうとするなよ、紫苑。そんなもん、あってないようなもんだからな」
 蒼志の言葉を、紫苑は黙って聞いていた。
 たった一つの真実が確かに存在したとしても、すべてにとって正しい真理なんて、きっと存在しない。
「正しい心の持ちようだって、この前いらした僧侶どのは云っておられましたよ」
 紫苑は訊ねてみた。それは大陸から逃れてきた僧の台詞だった。大陸にある大国に負けた、同じく大陸にあった小国の僧だった。食べるものを自分で得ることもできないくせに、たいそう偉そうに説教をたれるものだと感心した記憶が強い。正しく神の言葉を聞いて、国を救うことも守ることもできなかったくせに、教養と知識があるのだと、言葉にされずとも全身で自慢しているのがわかった。非生産的な、自己主張激しく口の上手さで人々に寄生して生きる役立たず集団だと理解した。
 信じてもいないし、疑うほどに重要視してもいない言葉だったが、父の考えが聞きたかった。月代国の神官たちの半数が、そんな状態に陥っているのを知っている。
「人の心の持ちように、正しいも間違いもあるものかよ。心理なんてのは、何にぶち当たってどう転ぶかなんてしれたものじゃない。転んだ方向が道徳的に眉顰めるようなものでもな、間違いってわけじゃないんだ」
 心が動くそのことが、何にも先立って正しいことなのだろう。それを止める行為が過ちであるならば、なぜ人は心など持ち得るのか。

「そんなことを云っては、神事につくおじいさま方が怒りますよ」
 紫苑は少しだけ笑った。蒼志も不敵な笑みをひらめかせた。
「云わせておけ。どうせ半分以上は人数合わせの役立たずだ」
「人数合わせ?」
「ああ、そうだ。お前に月読の剣を継がせる、その儀式に必要な、な」
 月読の剣継承の儀式のためには、それのなりの人数が必要なのだ。思いがけない蒼志の台詞に紫苑は瞠目した。
「私はまだまだ幼いですのに、よろしいのですか?」
「ああ、お前は俺なんかよりずっと賢い。自分を卑下する必要はないさ。それに…」
「それに?」
「いや…、なんでもない」
「?」
 蒼志は首を横に振って言葉を濁らせたが、そのときの紫苑にとってはそれほど意味あることには思われなかった。まだ驚きに頭がついてきていなかったのかもしれないと、後になって思い返す。思い返すたびに、後悔はこのようにして心に苦い影を落とすのだ、と思い知らされるのだった。



『世界は美しい』
 そんなことは知っている。
『世界を、人を愛してみなさい』
 そんなことは云われるまでもない。
『そうすれば、争いは自然と消え去るものです』
 アホか。

 世界がどれほど美しいかろうと、人をどれほど愛しようと、人の痛みをどれほど理解し涙しようと、争いが何もせずに消え去るものか。
 争うのはその美しい世界が欲しいからだ。美しい世界を自分の望む美しさでより華やかにしたいからだ。
 愛することは優しくなるだけじゃない。優しいだけじゃ生きていけないから、人は愛しいものを生かすためにより残酷になるのだ。人の痛みを理解して、自分の痛みが捨てられるのならどうして涙など流そうか。


 倭国統一。


 統一されれば戦が消えるとは思わないでおくことだ。
 だから、壱与。
 あまり無茶をするなよ。
 お前、統一さえなされれば、それで自分の役目は終わると思ってるだろう?
 戦は消えて、涙も消えて、笑顔が溢れ続けると信じているだろう?
 違うよ。
 違う。
 全然違う。
 俺は幾つも見てきたよ。内側から戦の起こるその例を。
 いくつも見てきた。
 おまえも見ておくといいのかもしれないな。
 そうすれば、お前が今女王でいること自体が奇跡的だと知れるだろう。
 少しはそのじゃじゃ馬ぶりも収まるかな?
 命を大切にしないといけないよ。
 その責任があるからこそ、お前の代わりに無茶をして、お前の代わりに死ぬための人間が、きちんと用意されているのだから。
 俺も、その一人なのだから。
 かつてお前と同じ立場にいて生かされたものとして、忠告しておくよ。
 お前が逃げも隠れもしないと、お前以外の誰もが死ぬと。
 忠告しておくよ。



 戦は終わらない。終わるものじゃない。終わらせるものなのだ。
 そして、それが不可能であることを、俺は知っている。
 知っている。
 世界に美しさがあり続ける限り、争いは決して消えはしないと。
 いやなことに、俺は知っているんだよ、ねぇ。




そこは確かに美しいまま




----+ こめんと +----------------------------------------------------

 やっと紫苑〜。さぁ、後は誰かなぁ?(笑)じつはもう決まってます。これは書き始めてから書き上げるのに2ヶ月も掛かりました〜。そのわりに意味不明vv
 なぁんか、書き始めた当初考えたのとは随分違ったものになりました。紫苑らしくないけど、守られる立場っていうのを、彼は知っているだろうな〜とか思って最後の壱与へあててるっぽい文がつらつらとね。
 平和って、築くのもたいへんだけど、それ以上に維持するのがたいへんなんだよね〜とか。
 ご意見ご感想お待ちしております_(c)ゆうひ_2004/09/23

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