+  願い +



辛くないなんていったら嘘だけど。




 口減らしに捨てられたのは、もう随分と幼い頃のことだ。幼いながらに村の状況に異様なものを感じてはいた。親の表情にある種の覚悟と、漠然とした理解は持っていたし、たぶん納得してもいたのだ。覚悟も決めていた。少なくとも、そのつもりではいた。そう思っている。
 けれど、それと現実に目の当たりにする孤独と空腹とはまったく異なるもので、山奥に置き去りにされてすぐにすべての覚悟は粉々に砕け散った。淋しくて、怖ろしくて、恋しくて、泣きながら山を下る道を探した。道などわからないままに、ただ闇雲に走り続けた。登っているのか降っているのかもわからないのに、腹は空くし足は痛いし。それでも、立ち止まるのはもっと恐かった。



 いきて。
 あきらめてはだめ。



 その言葉にどれほど勇気付けられただろう。その声に、どれほど慰められただろう。
 今もまだ支え続けてもらってるそれらすべてに、何ができるだろうかと、不意に思い馳せることがある。こんなに雄大で深いそれらに、自分などきっとなんの力にもなれない。
 伊都国は俺を受け入れてくれたから、せめてそちらの役には立ちたい。幸い俺は健康だった。体力もある。なんだってできる。
 朝早くから起きだしての農耕も、狩猟も、採集も。木を切り倒すのは確かに辛い。けれど、俺は人だから、その道を歩む。
 火をおこし、家を建て、櫓を組み時には武器に、肥料に。防壁を組み、繊維を取り出し、文字をしたためる。
 木がなければ、人はいけてはいけない。言葉を得、精神的に支えられている俺だけではなくて、誰もが同じこと。
 人に限らず、誰もが同じこと。
 あまりにも雄大で、深く、それはどれほどの時を生きてきたのだろうか。その意識の片鱗に触れるだけではとうてい理解できぬ遥かな時間。この世界には、人の生まれた瞬間を知る樹木(もの)もいるのかもしれない。そして、高天の都と、そこに眠る神威力を知る樹木も…。
 伊都国は邪馬台連合の一員で、邪馬台連合は一致して神威力を探している。俺よりも幼いという邪馬台国の女王様がその発起人だ。
 夢物語のようなそれを、本気で探そうとしている人。倭国統一がその願いだと聞いた。和国を統一し、戦を無くすのだと。
 それよりも、それよりも。
 飢えも凶作もなくなればいい。日照りも嵐も冷夏も無くなればいい。誰も貧しくて食べることに困るようなことにならぬように、山にも川にも野にも緑が溢れ、一年中何かしらの食材に溢れていればいい。森に、山に迷い込んでも、草や木の実を食べて生きていくことができてしまうくらいに、食材に溢れていればいい。
 そうして、そうして。
 もう誰も、子を捨てることもなく、子が捨てられることもなく。
 そうなればいい。
 戦はなくとも食べるものがなければ人は死ぬ。国の数が減ろうとも、飢えと貧しさに耐えかねれば人は争い合う。子は捨てられて孤独と哀しみと絶望の中で死に、やがて村は崩れて風化する。
 そんなのは嫌だ。
 そんなのは嫌だ。
 そんなのは嫌だ。
 だから、飢えることのない世界が欲しい。
 国は人が生み出し、人によって管理され、だから人によって統一させることができる道理。けれど、天候は人の力では制御できないから、神の力でも借りるしかないじゃないか。
 だから、俺はそれを願う。

 伊都国の王に頼まれて邪馬台国へ。常世の森とやらいう還らずの森での道案内のためだ。
 噂の女王様は本当に若かった。大地色の髪もいいが、それよりも何よりも、森の木々の葉に陽光(ひかり)が反射したような瞳が気に入った。一番好きな色だ。一番落ち着ける色だ。
 水滴を弾き煌めく、もっとも美しい色だ。
 きっと森に愛されるだろう。それ以上に、森を愛してくれるだろうか。そうなれば最高だ。この女王の国に、緑が溢れてくれるだろうか。
 風に乗って聞こえてくる森たちの声が聞こえる。この女王は優しいと。この幼い女王は強いと。そして弱いのだと。
 人のために一生懸命すぎて、今はまだそれ以外のものには目が行っていないのだろうことがわかる。当たり前にありすぎて、その美しさを感じても、その貴さには気づいていない。木々の紅葉を愛で、川の煌めきに瞳を眇め、その当たり前の美しさを認め、いずれ、その尊さと貴重さに心を傾けて欲しいと思う。
 人の幸福な生活の裏に、人のとめどな戦の裏に、木々の悲鳴の溢れているところにまで目を向けてくれたら。

 隣にいるのが、これもまた噂に名高い方術使いの少年だった。こちらも幼い。幼い女王よりもさらに幼い子供。見たこともない銀色の髪。
 銀だ。銀なんて高価なもの、見たこともないけれど、きっと、これを銀というのだろう。冬に時折降り積もった雪。大地を、草を覆い隠し、冬の空から降り注ぐ貴重な陽光を浴びて煌めく光の色。それを白銀色だと呼ぶのだと、俺を引き取ってくれた伊都国での親父(おやじ)が教えてくれた。
 冬の色だ。
 瞳には氷が嵌め込まれていた。
 面白くない奴だ。悲しい奴だ。俺があいつらの声を聞くとも叶わず、それでも奇跡的に生き延びることができたとしたら、きっと、こんな風になっていたのかもしれない。
 世界がどんなに面白くなくても、こんな時勢に生き残ったんだ。面白おかしく笑ってないと、身の内に力の欠片さえも残さぬほどに騒いで生きないと、死んでいった奴らに申し訳ないだろうが。騒ぎたくても騒げない奴らに申し訳ないだろう。
 騒ぎたくなくても、騒げばいいんだよ。騒いでるうちに、涙は流れて天へ昇るか地へ吸い込まれていくか。どちらにしても消えていく。
 酔えなくても、酒を飲んだら酔うんだ。そして騒げ。
 泣いても笑っても同じことだ。
 自分を殺して生きたら、生きることのできない奴に申し訳ないだろう。生きている自分よりも、もっとずっと生を楽しめる奴が死んだんじゃ、不公平だろう。

 だから生きろ。
 いつか、みんなが馬鹿みたいに笑える世界を作れ。
 そして、そんな世界に生きて、ガキはガキらしく笑ってろ。遊んでろ。
 馬に乗れなくて仲間外れにでもされたら、そうだな。乗馬の練習くらいになら付き合ってやる。

 女王様は今よりもっと笑えるはずだ。
 あの女王は、人が心から笑っていることが、いられることが、きっと一番嬉しい。
 なぁ、思わないか。
 人が笑っていられるということは、人が幸せだということだ。
 森の中で、山の奥では一人で生きることもできないか弱い人間が、みんな笑って生きていられるということは、それより強い何もが、きっと笑って生きていけるということだろう。
 なぁ、そうだろう。
 世界が愛に溢れてるってことだ。
 倭国統一ってのは、つまりそういうことなのだろうと、紫苑をつれてババアの元へ帰り着いたときの壱与さんの笑顔を見て思ったのさ。
 帰り道はまた紫苑をからかって、壱与さんの呆れた表情と笑いを誘って。
 邪馬台国に付けば、またあの巨漢の斧使いを笑ってやって。
 酒を飲んで騒いで。




願わくば、こんな日常であっても続くことを。




----+ こめんと +----------------------------------------------------

 レンザです。彼は平和、願い、日常の三作のどれにも話ができたので、どれに出すかと迷いました。
 はっきりいって、今回レンザのことはかなりの割り増しで格好良く書いてます。いつも五月蝿いくらいにバカ騒ぎしてるけど、その裏では3人組の中でもっとも冷静で大人なお兄ちゃんです。実際は一番年上なのに見たまんまの一番の「バカ」だと思ってます。
 ご意見ご感想お待ちしております_(c)ゆうひ_2004/10/18

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