+ 日常 2 +
我らは荒神を呼び起こした。
連れてこられたのは、世にも珍しい蒼銀の髪の、絶望色に瞳を染めた少年だった。名は紫苑。瞳の色から名づけられたとしか思えない。 まだ幼いその少年の表情は消え失せ、小さな体はその意気消沈振りと合わせてさらに蹲って見える。 ここにいる奴らは概ね自分勝手で気の荒い連中ばかりだ。それでもなお統制が取れているそのわけは実にシンプルで、長いものには巻かれろ――自分より強い相手には絶対服従の原則が根底にまで身に沁みているからだった。 逆をいえば、弱い奴は虐げられる運命にある。 その少年は格好の獲物だった。小さく、力も弱く、逆らわず、意思などない。雑用を押し付けるくらいはかわいいものだ。鬱屈したやり場のないイライラを解消するための矛先。 少年はどれほどの理不尽にさらされても何も云わず、何もその目に写さぬように見えた。黙々と訓練と任務、そしていくつかの雑用をこなす日々。 だがその日は違った。 そう。思い起こせばこれが悪夢の始まりだったのだろう。それ以前のすべてが「原因」であるとは今ではもう誰も思いはしない。 たとえ虐げられる日々がなくとも、彼らは「そういう」人間なのだということを、誰もが良く知っていた。身に沁みて、理解していた……。 ドゴッ。 いつものように紫苑に雑用を押し付けようとした男が、突然響いたに鈍い音の後にゆっくりと仰向けに倒れていく。まるで時の流れがゆるやかになったかのような、鮮明な映像だった。 倒れて気絶したのはこの支部の中でも一、二を争う力自慢の大男で、倒れた衝撃に鈍い音と共に地面が振動し、土埃が舞い上がった。 男の倒れた足の先には――すなわち男の前方にいたことになる――には紫苑だ。軽く片足を上げた体制で、視線だけを向けて倒れた男を眺めやっている。自然な、それこそ王者の風格とでもいうかのような流れるようなしぐさで、足を下ろして仁王立ちになっていた。 男の方に視線を向ければ、その膨らんだ腹のちょうど中央に――小さな子供足跡一つ。 …………。 誰もが無言になっていた。 言葉も発せぬままに、辺りを沈黙が包む。おもむろに口を開いたのは――紫苑だった。 「わかった」 何がだ? 紫苑の言葉に、誰もが胸中で問いかけた。得体の知れない何かに圧倒されて、だれもが呆然となっている状態では、直接問いただすことなどできようもなかったのである。 「俺は自分より強い奴に無理に立て付いて、こんなところで無駄に命を無駄にするわけにはいかないんだ。というよりも、力も権力も、ましてや頭さえ足りない馬鹿を見極めるのは、世の中を上手く立ち回るための知恵だと思う」 非力で意気地のない弱い奴は、強い者に立て付くべきではない。なぜなら痛い目を見るのはまさしく自分であるのだから。 強くても頭の足りない馬鹿はけっきょく見下げられる。力がなくとも強い人間はやがて人を惹きつける。本当に強い人間は、それを全部把握してる。把握して、利用できる。 「だからずっと様子を見てた」 小さな少年の口角が上がり、表情は確かに笑みを形作っている。しかし、それは「笑顔」ではなかった。 まず瞳に過ぎる光が、弱い獲物をいたぶって遊ぶ獣のそれである。残酷で、非常なその光は、普段は自分達こそが少年を写して光らせているものだ。否、少年のそれはもっともっと…数百倍も残酷であるように感じる。残酷で、逆らい得ない圧力。その背景にはどす黒い炎が立ち上って見える。明らかに錯覚であるのに、間違いなくそれがあるのがわかるのだ。 「もしかして強いのかなとも思ったけど…全然そんなことなかったから……」 しかも頭も悪い。要領も悪い。口も態度も、何もかもが下品。 ただ態度だけは大きい。五月蝿いくらいに大声で喚き散らすのは、それだけで頭が悪く見える。 「こんなに稚(いとけな)い子供をよってたかっていたぶるだなんて…許されないだろう?」 にやり。 その笑顔へつけられる効果音の第一候補であると思われた。本当に稚い子供は決してこんな笑みを浮かべたりはしない。 それからしばらくして。 悪魔が二人に増えた。 今度のは黒髪に赤い瞳のガキで。 名は紅真。これもまた命名はその瞳の色からだろうかと思われるものだ。そう云えば彼の名前はシュラが与えたと聞いたことがある。紫苑と対にでもしたつもりか? ところで。 第二の悪魔はその正体を現すのが実に早かった。 つまり。 シュラからその子供の世話を任された男が第一の犠牲者となったのである。 「おい、今日からてめぇの面倒を見るように云われ……グフッ」 わけの分からないうめき声を上げて、その男は腹を折ってかがみこむはめとなった。 それを迸る怒りの篭もった瞳で見下ろしながら、第二の悪魔はのたまった。 「うぜぇんだよ。俺に気安く声掛けてるんじゃねぇ!このカス!」 初対面でカス呼ばわれされた男――あるいはそれは周囲のすべてに向けられていたのかもしれないが――は、腹に一撃を入れられたらしい。胃の中のものすべて吐き出してから、しばらくして自ら吐き出したその汚物の上に沈んで意識を手放した。 似たもの同士のお子様だ。同属嫌悪で仲良く潰しあってくれればいいのに…きっと奴らは地獄の鬼で顔見知りだったのだろう。 何があったのか――おそらくはその自分主義な点であるとは思われるが――実に気があったらしい。ただ実力が拮抗していると、お互いになんとなく感じ取ったからかもしれないが、その実力は今のところ未知数である。 公的な――つまりは上層部の監視の目がある任務や訓練ではなぜか二人ともおとなしく、オトナシク…猫をかぶっていたからだ。八百万枚くらいは軽く。 いつも二人で何やらやらかしているらしいが、何をしているのかは窺い知れない。知ろうとも思わない。触らぬ神に祟りはないのだから。 シュラが来る。最後の希望のように思われた。直接あの二人の悪魔の所業をちくる――もとい、報告する時がきたのだ。 千載一遇のチャンス。 それはあまりにも呆気なく、塵と化したが。 「シュラ」 お子様の無邪気な声というものは、本来であれば周囲を和ます力を持っているものである。まして悲しみに彩られた幼い子供の声を聞いて胸を痛めぬことがあろうか。しかしここでその効力の通りに和んでいるのは、ある特定の者達だけであった。 すなわち、普段はこの地にいない者たちである。 「紫苑か。どうだ、ここでの暮らしにはもう慣れたか」 「ああ…まだ、不都合なところはあるけど、…みんな、よくしてくれているし」 「ほぅ―――紅真、お前はどうだ」 「別に」 素っ気なく返して背を向ける紅真に、シュラは視線を向けるも、何も云わない。 ……どうやら紅真はシュラの前ではあの性格で通しているらしい。紫苑よりはまだ裏表がないといえるのだろうか。 シュラが見ているのはあくまでも紅真の背中だけなのでわからないだろうが、紅真の瞳からは「余計なことを云ったら地獄を見せてやる」との恐怖の笑みが漏れ出ており。 一見、心を閉ざして無表情…の紫苑の来た道を辿れば…無残な屍(苦悶に呻いていたり気絶してるだけだけど)を晒している憐れな同胞の犠牲。……シュラと鉢合わせされるのを、必死で止めさせようとしたのか。あるいはシュラへ報告することを見抜かれて制裁を受けたのか。 ここで勇者が登場した。 「シュラ様!実はご報告が…グッ!」 勇者は勇気はあったが弱かった。 紫苑による光速の手刀を受けて気絶したのである。 「なんなんだ、いったい?」 シュラのいぶかしげな表情。 紫苑はのうのうとのたまった。 「ああ、いつも俺の訓練に付き合ってくれてたんだ。昨夜もずっと付き合ってくれてて…」 「ふむ」 「シュラ、俺はこいつを運んでいくから…」 紫苑が背を向け…シュラから見えぬその瞳は語っていた。 余計なことを言ったら皆殺し。 荒神のいなくなったそこでは、平和な男が一人、周囲を見渡して一言。 「なんだ。お前たちもけっきょく人の子だな。子供には甘い」 シュラはふっと鼻で嘲笑うようにして告げた。 それはもう何もかもお見通しでぃっとでも云うかのような、偉そうな――実際彼はこの陰陽連にあってはかなりどころか最高に偉いのだが――表情で。 ……―――甘いのはあんただ!! 俺達の涙はこうして地面に吸い込まれ、誰にも気づかれぬまま。果ては乾いて消え失せて、気に掛けてもらうことさえもないなままで……。 |
悔やんでも悔やみきれぬ過去…。
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拍手の方で(随分前に)感想を頂きましたので、調子にのって続き。といっても過去話なんですけどね。 おそらくリクエストして下さった方が望まれいたのとは違うのではないかな〜…とも思いつつ。 ご意見ご感想お待ちしております_(c)ゆうひ_2005/03/26 |
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