知らない横顔


どうして男の子って、いつまで経っても子供なのかしら。




 わああぁぁーーーーーーー。

 小さな子供達の甲高い声が空高く響いていた。元気さを溢れさせた少年達の声のようだ。
 国の少年達が手に手に剣の代わりの棒を持って振り上げて、走り回っているのが見て取れる。
 少女達はそんな少年達を、たいして歳も変わらないのに自分達よりずっと「子供」だと、冷めた目で見て笑うのだった。

 少女達の中でも特に大人びた顔つきで、黙々と母親たちの手伝いに精を出しているのが、緋蓮。今年で数えて十(とお)になる。
 黙々と畑仕事に精を出しているその表情は、当たり前のことを当たり前のこととして行っているだけのもので、辛さがない変わりに楽しさも喜びもない。横で大人の女性や同年代の少女達が世間話に花を咲かせていたとしたところで、見向きもせずに黙々と手を動かし続けていた。

 緋蓮の生まれたのは月代国。五十余りの村を要し、三万戸を越える規模を誇る倭国の中ではかなり大型の部類に入る国である。北(大陸側)には広大な森を、南にはよく肥えた土地が広がっており、気候は一年を通して安定していた。
 森を出るとそこは断崖となっており、海が広がる。東には山があり川も流れているが、どちらにしても、この国の人間は滅多に水に触れることはしない。
 生活用水を除いて水に触れることができるのは、神事に携わるもの――神官と巫女だけであり、王族や貴族さえ許されていない。故に、この国の人間は大部分が泳げない。
 これは、この国が祭る神に関係していた。

 月代国が祭るのは月神で、これはもちろん月を司る神である。同時に、農耕、暦、夜、海、水、女といったものは月に属するものとされ、月神の司るものとされていた。
 海、川は神の領域であり、それゆえに只人(ただびと)がむやみやたらに足を踏み入れることが許されていないのである。月代国では海産物も豊富に得ているが、そのすべてが巫女によって収穫されたものであった。

 王を頂点とした身分制度が確立されており、現在の国王は正妻の他に六十を越える妻を得ている。貴族の娘が五十余りと、残りは平民の娘である。妻達にももちろん身分差があり、当然その頂点は正妻となる。あとは妻達の出身の差による。
 現在の正妻はいったんは巫女とされた娘で、国内でも特に大きな村を領地とする貴族の娘でもあった。将来的に王へと娘を嫁がせる前準備として、各貴族が王の嫁にと希望した娘を巫女とさせることは、すでに慣例化していた。国王、しいては神から預けられた土地の支配者への配偶者は、神事に携わる巫女から選ばれるのが古い慣例だったからだ。
 今では真の意味での巫女が妻として王に仕えることは皆無となって久しい。

 貴族の数だけ王は嫁を得る。これは、各貴族と王族との結びつきを確かなものとして、国を安定させるための知恵だ。娘の家は王家の直轄地に邸宅を設け娘を住まわせる。王がそこに通うことにより、婚姻は成立する。
 これは王が王子のうちから行われることで、正確に云えば、娘を王に嫁がせるのではなく、王子に嫁がせていることになる。現国王の得ている貴族の娘による妻達も、王が王子のときにすでに得ていたものが大半であった。

 それでは時期王に選ばれるものはいつ決まるのか。これは子が生まれた直後に決定される。
 月代国の王の条件は一つ。「月読の剣」と呼ばれる神具(正確には心具であるが)を有していることである。その判断は外見から行うことができ、銀の髪に紫水晶の瞳を持った男児であると決まっていた。

 この国では王、あるいは時期国王以外のすべてが黒髪黒目であり、妻達の身分はその出身によって決定されるも、正妻だけは例外であり、時期国王を産んだ女性とされた。
 もっとも、それで正妻の一族が国の中で強大な権力を得るかといえばそんなことはまったくないし――貴族は互いに牽制し合っている――、妻達の中での実質的な身分にも変わりはなかった。
 ただ建前上正妻として、国王と同じ邸宅に住むことが許され、公式の行事において正妻として任をこなすことを許されるというだけのことだ。

 ちなみに時期国王の名を蒼志という。緋蓮が仕事に精を出す、小高いところにある畑から見下したあたりではしゃぎまわっている少年達のリーダー格を勤めている少年がそれだ。
 青空の下、棒切れを元気良く掲げて振り回している。



 ある晴れた日のことだった。この日は蒼天が抜けるように高く、幾条もの陽光が地上に降り注いでいる。
 僅かに汗ばんだ日、緋蓮は収穫されたばかりの作物を籐(とう)の籠に入れて両腕に抱え込んでいた。まだ小さな緋蓮の腕はほっそりと白い。しなやかなその腕は、五人兄弟の長女としての責任感からか、すでに畑仕事を手伝っているとはとうてい思えないものだ。同じ身の上の少女達の腕は、泥と汗の垢がこびりつき、陽にうっすらと焼けて黒い。緋蓮の爪はきれいな桜色で、そこには泥も挟み込まれておらずに白く輝いていた。

 緋蓮が抱えている作物は、この日採れたばかりのもので、税として納められる分である。緋蓮は彼女の一家が居を構えるあたり一帯を治める貴族の元へ、それを納めに向かう途中であった。
 月代の国は広大で、貴族の邸宅へはそれなりの距離がある。昨日降った雨の湿気がまとわりついて、緋蓮はその蒸し暑さに息を吐き出した。日はまだまだ高い。

 緋蓮は籠を抱え直した。税を納めた帰りには森へ寄り、今夜の食材をいくつか採ってくる予定を立てている。森の中は生い茂る葉によって陽光が遮られ、幾分かは涼しいだろうか。

(陽に当てられて倒れちゃいそうだわ…)

 飲み水を持って出てこなかったことを、緋蓮は僅かに後悔した。飲み水は村の共有財産であるからそれなりに貴重で、好きなだけ持っていくという感覚にどうしても抵抗が合ったのだ。我慢できるものならいくらでも我慢してしまうのが、緋蓮の常であった。
 月代国特有の肩を出したデザインの衣装は、この時期には最適なような気がする。ただ、髪を上に結い上げるのは面倒に感じていた。まして女性は髪を伸ばすのが通例だ。伸ばした髪の上辺だけを上へ結い上げるのだが、緋蓮の髪は柔らかすぎて、どんなにしっかりと留めても、ちょっとした動きですぐに落ちてしまうのだった。

 緋蓮はまた息を一つ吐き出した。大きく吐き出されたそれは、きっと熱を持っている。
 貴族の邸宅はもう、すぐそこだ。





 無事に税を納め終えた緋蓮は、予定の通りに森へと足を踏み入れていた。もう幾度となく訪れたことのある森だ。まだ陽も高く、森の外には北に神殿が、南には宮殿が存在している。不安はなかった。

 税を納めるとは云っても貴族に直接謁見するわけではない。受け取り役に渡し、確認させ、確かに収めた証書(実際は日付を書き入れた小さな木板だ)を受け取る。同時に相手側も納税者をきちんと書き留めておく。毎度のことなので役人とは顔馴染みであったが、互いに言葉を交わそうとは思ったことはなかった。
 平民を、彼らは見下げていて、見下げられているのを知っているから、平民もいい感情はもてない。永遠に、それは代わらないのではないかと思われた。

(でも、王子はそうでもないのよね)

 採集する手を止めないままで、緋蓮は胸中で考えを巡らせる。幾日か前に眼にした光景が脳裏によみがえっていた。
 直轄地の子供達だろうか、同じ年頃の少年達を引き連れて、木の棒を剣のように高々と振り上げて遊びまわる姿。それを見つけた緋蓮の村の少年達も、仲間に加わろうと元気に駆け出していき、合流していた。すぐに仲良く遊びだす彼らに、自分とそう年齢は代わらないのにと、呆れたのを覚えている。
 少女達はもう立派に家の手伝いをしているからだ。

 銀の髪に藤色の瞳。一目でそうとわかる「次期国王」の姿。やがてこの国の頂点に立つ尊き方。この国の民すべてが、全身全霊を掛けて守護する宝。

(今の王様は貴族の方々の方がずっと大事なのよね。お小さい頃から私達のようなものと直接言葉を交わすことはなかったと聞いたし)

 大人たちからの聞き伝いを思い起こす。現国王は平民までも愛してはいるが、身分や格式に厳格に従う人柄で、王子のように遊びまわることがなかったと。
 けれど、ここ最近はずっとそういう傾向が当たり前であるうようだ。国一番の長生きで物知りの老婆が語っていた。もっとずっと昔は、身分とはいってもそれぞれの「役割」の別を示すくらいでしかなったらしい、と。

(でも、他の国でも王族は滅多に人前に姿を現さないって聞くし、王子の方が変なのかもね)

 結論を出したときだった。

「「あ」」

 身動きができずに固まり、見詰め合うのは互いに同じことだった。どちらのほうがより動揺していたのかは、この時点はまだわからないことだ。
 やがて知ることになるそれは、今はまだ語られることのないこと。二人は、未だそこまで親しくはなかったから。

「……王子?」

 先に口を開いたのは緋蓮だった。蒼志は緋蓮の名も顔も知らないはずだから、緋蓮よりも掛けるべき言葉に迷っていたのかもしれない。

「お前は?」
「失礼いたしました。私は緋蓮と申します」
「凪の村の者だな…」
「知っておられたのですか?」

 村の名を言い当てられて、緋蓮は僅かに目を見開いた。確かにこの王子はあちらこちらへ遊びまわっているらしいが、それで村の一人一人の顔まで覚えているだろうか。

「民はすべて俺のものだ。把握しておくのは勤めだ」

 勝気そうに唇を尖らせて胸を張って。告げるその姿が、手伝いを褒められて嬉しいのを必死で隠す弟のものと酷似していたので、緋蓮は小さく噴出した。
 緋蓮の笑いに、蒼志は当然のようにいぶしさと不快さを顕わにする。

「なんだ?」
「いえ。もしかして、すべての民のお顔を覚えておいでなのですか?」
「…いや、まだだ」

 少し俯きがちに視線を落としたのに、緋蓮は「おや?」と胸中首を傾げる。天真爛漫そうなこの少年も、このように気を落とすことがあるのかと、些か意外な心持がした。
 それまで知らなかった一面を見せられて、勝手に作っていたイメージと符合性に違和感が生まれたのだ。

「……父上もそうだが、特に側近どもがな。あまり外に出て平民達と関わることを好まぬのだ。母上は好まぬ以前に、そういったものにはまったくの無関心だしな」

 どこか淋しそうな、悔しさの滲んだ声音だったように感じられたが、緋蓮はそれにはまったく触れずに返した。

「偉そうなお話の仕方なのね。そんなお話の仕方、初めて聞いたわ」

 語られたことの内容などまったく無視をして、返せば、蒼志は意外だとでも云わんばかりに眼をぱちぱちと瞬く。
 それからおかしさに噴出した。何がおかしいのかなど、彼自身にも語ることはできまい。むしろ、彼は嬉しかったのかもしれない。

「兄弟でさえそのようなことは云わぬ。いや、むしろ俺の話し方は平民に染まって粗雑だと煙たがられるくらいだ」
「まぁ、平民に染まってですって?そんなこと全然ないわ。私の弟達は、こういうときは『云わねぇ』って返すのよ」
「ああ、そういえばよくそのような言葉尻を耳にするな」
「言葉遣いというものは、時と場所、相対する人物に合わせて使い分けるものよ。それができる人が、本当の大人だというのだわ」

 友人には砕けた話し方を。目上の人へ敬意を持って。儀式や祭典ではそれに見合った決まり文句を。

「だったらお前はどうなのだ…どうなんだ?俺の身分を知っていてそのように生意気に話す。そもそもお前は俺が訊ねるまで名を名乗りもしなかった」
「だって私は子供だもの。そんな畏まった言葉遣いは知らないわ。それに、私たちは貴族や王族っていうのは、平民の名前なんて、どうでもいいと感じているのだと思っているのよ。訊ねられもしないのに自ら貴き方に名を名乗るなんて、畏れ多いのですって。そして訊ねないということは聞きたくないということなのだと思っているの。それを知らなかったあなたも悪いのよ」

 緋蓮は物怖じしなかった。まるで近所の男の子たちと相対してるようだったから、その必要もなかったし、何よりそうしなければ後々悪いことになるだろうという予感さえなかったからだ。
 おそらく、彼はそのようなことを気にするタイプではないだろうと感じていた。もっとも、彼女がそれを意識していたかといえば、それはまったくの無意識でのことではあったけれど。

 二人はしばらく共に話をした。一緒に採集をして、歩いて、気がつけば森を抜けていた。
 少し高くなったそこを降りると、宮殿はすぐそこだ。緋蓮が宮殿に足を踏み入れるわけにはいかぬから、もうしばらく並んで歩いたら道を別にすることになるだろう。

 不意に蒼志が立ち止まり、緋蓮もつられて足を止めた。
 横目で蒼志を伺い見れば、彼はまっすぐに「国」を見つめていた。青い空の下、そこから、国の一帯が見渡せた。
 蒼志の言葉は、緋蓮からすればあまりにも突拍子のないものだった。

「戦になったら、真っ先に戦うのは俺だ」

 遠く。遥か彼方を見つめながら、少年は語る。
 その横顔は、今まで見たこともなく、大人びていた。
 だから、彼女は語るべき言葉を何も見出すこともできずに、ただ固唾を呑んだ。

「俺が背負ってるのは国じゃない。国の民すべてだ。そして…そのすべてが守ろうとしている、古(いにしえ)から続く『意志』…『誓い』だ」

 誰だって知っていることだった。この国の民であれば赤児にまで染み付いている常識だ。
 けれど、その本当に意味を、自分ははたしてきちんと考え、受け止めたことがあっただろうか。
 緋蓮は小さく瞠目した。

 馬鹿みたいだと、自分なんかよりも子供だと思っていたのに。
 そんなことを考えているなんて。
 全然知らなくて。
 全然、気づきもしなかった。

 空から緋蓮に視線を戻した少年は、にっと歯を剥き出しにして元気に笑いかけた。
 そして、彼は彼女に向けたその笑顔で云った。

「俺は、この国と、この国の民たちが、大好きだ」

 だから、民のすべてを把握する。
 国の宝たる少年は、自分を宝だという民達を宝だといってくれる。

 その笑顔は、それまでの横顔から打って変わってやんちゃ坊主で。
 蒼天に輝く陽光のように。
 鮮やかなものだった。




本当に子供だったのは、私だったのかもしれない。





こめんと
 蒼志×緋蓮。二人は幼馴染から始まったのです設定で。下でも言い訳しますが、決してこの設定を鵜呑みにしないで下さいね。嘘がいっぱい含まれてますよ〜。都合よくお国の設定を造ってますからね〜。
 では言い訳を聞いて下さい。そして謝罪させて下さい。それに免じていい加減さを許して下さい。
 現在の日本の村で最も人口が多いところが5万人くらい。でも2千から3千人くらいが平均的かな?現在の日本の人口は約1億人(でしたっけ?)邪馬台国の人口を100万(諸説の中でも最大値の部類)だとすると、一国の人口が今の100分の1…(この時点ですでに設定のいいかげんさ…というかもう考え方が甘いというか知識不足というかが垣間見どころか丸見え)。3万個で人口最小値12万人として、50村だと1村あたりの人口が約2400人。まぁ、別にすべての村の人口が一緒なわけはないですし。大小いろいろありますでしょう。それにプラスして王族の直轄地のようなものもきっとあります…。わからないけど。
 ああもう、本当に面鏡不足でスミマセン。誰か私に古代史をご教授下さい。簡単に。
 ちなみに場所の設定としては畿内を想定したつもりです(だけど別にどこでもいい。むしろ東北とかもいいなとか考えてます)。ついでに云うと、豪族よりも貴族よりをイメージしたので、あえて豪族の言葉を避けました。違和感を感じましたら創作(パラレル歴史物語)として諦めて読み飛ばして下さい。なんかあんまり古来から土着してるとか、征服して〜とかってイメージじゃないんですよ。月代国って。むしろ月代王族が豪族になるのかな?(邪馬台連合国の旗下に入ったとして、さらに邪馬台国になったとしたら)。

 緋蓮が名乗っているの蒼志が「(緋蓮はまだ)名乗ってない」とか云っているところを直しました。お見苦しい間違いを放置していて申し訳ありませんでした。

 ご意見ご感想お待ちしております_(c)ゆうひ_2005/04/19〜24-2006/01/13改定
もどる