別離


 ぼくらの路はどこで交わり、どこから離れたのか。



 確かに伝えたよな?
 「好きだ」って、「愛してる」って、伝えたよな?だから答えてくれたんだよな?
 それに答えてくれたんだよな?
 その思いはあまりにも悔しいものだったから、俺は歯と歯をきつく噛み合わせて、拳を握り締めて。それでもきちんと伝えたよな?
 お前の顔を見ることなんてできなかった。俺の方がお前に囚われるなんて、あまりにも悔しくて悔しくて、苦虫を噛み潰したような表情で、俺、それでもちゃんと伝えたよな?
 お前が思いがけないことに驚き、唖然としている気配が知れて、逸らした視界に僅かに覗く表情はその通りのもので…。気づかれないように視線だけをずらしてお前の瞳を見れば、きれいな澄んだ青色で。けっきょく、魅了されただけだった。
 その瞳の色に魅了されて、その白い肌が眩しくて、その光る髪に触れたくて。
 無意識に伸ばした手は、やはり無意識のままに中空で停止した。まだ何も答えを貰っていないわけだから、そのことに対しての躊躇いが働いたのかもしれない。反射的な言い訳だと思う。
 木々の繁る葉によって翳る、薄暗い場所。普段は誰も訪れない寂れた場所。表から見れば裏、裏から見れば外(はず)れ…。そんな場所でのことだった。
 間抜けな事に、どれだけその状態でいたのかもわからない。中空に停止したまま固まっていた手にあいつの手が触れて、漸く現実に引き戻される。
 それもまた、激しく悔しかった。
 思わず引き戻した腕と、驚いたように見開かれたあいつの瞳。苦い苦い苦味に顔を顰めて、また視線を逸らした。
 湿ったこげ茶色の土壌が剥き出しになっている。この胸に広がる苦味を色にしたような気がした。
 思わずばかりで嫌になる。自己嫌悪は深くなっていく。
 草の踏み潰される音が耳に届いて視線を上げる。目の前にあいつがいて、驚きに呼吸が止まる。
 間抜けな顔だろうな…。
 あいつから視線を逸らすことができなくて、行動を起こすこともできなくて、それでもぼんやりと思った。他に云うべき言葉も起こすべき行動も、いくらでもあるだろうに…。本当に、情けない。
「好きだ…」
 ぼんやりと声が洩れた。言葉になっていたかもわからない。それでも、あいつは驚いたような表情をまた見せて、今度は困ったような笑みを見せた。
 その表情の理由が、そのときの俺にはわからなかった。
 俺はお前に敵意剥き出しで、お前も周囲もそれを理解していた。俺がお前の立場だったら、即行でその胸倉掴んで「ふざけるな!!」って怒鳴りつけてるはずだ。絶対に。もしかしたらぼろぼろになるまで殴りつけているかもしれない。かなりの確立であり得る。
 それなのに、お前は俺に笑みを見せる。
 なぜなのか、俺には理解できなかった。
 後に聞いた話では、嫌われていると思っていたから、好かれていると知って純粋に嬉しかったとのことだった。ただ、その「好き」にどう答えていいかわからなかったと。
 あいつが笑った顔なんて、その時に初めて見た。眉根に皺のよった、困ったような笑みだ。そのぎこちない笑みは、それでもあいつなりの精一杯の好意の証だった。
 悔しくて悔しくて、でもそれ以上に愛しい。触れたくて触れたくて仕方のない思い。
 好意に、好意を返してもらえた。
 それがこんなにも切なくもどかしく。憎しみ以外で胸の溢れるような思いを初めて知った。
 俺たちの普段に変化はなく、それでも時々触れ合う互いの温もりが心地良かった。抱きしめて、きつくきつく抱きしめて。抱きしめ合って。
 触れた肌はこの手に吸い付くようにやわらかく、その唇は大陸の蜜菓子より甘く。五感の全てでその存在を確かめた。滅多に聞くことの声は俺よりも僅かに高くて耳に心地良い。肌を寄せ合って聞こえる息遣いと心音に、互いに安心し合ってた。
 交わす言葉はなくても、もうずっと通じ合っていると信じていた。
 その日は晴れていた。あいつが与えられた任務はいつもと同じ。国崩しだ。今までの国よりも多少は大きいが、それも一人の若い女王を中心にした烏合の衆。その女王さえ殺せば国は勝手に自壊する。
 いつもと同じ。
 簡単な任務だ。
 その認識はどうやら間違ってはいなかったらしい。だが、それを行うにあたっての俺とあいつの目的が異なっていた。
 根本的な部分でずれていたそれが、ここにきて決定的な破局をもたらした。
 もっと言葉を交わしていればよかったのか。互いのことを語り合い、知り合い、理解して?
 それが必要だったのか?
 お前がいなくなってずいぶんたった気がするのは俺だけなのだろうか。触れられないことに苛立ちが募る。胸に開いた空洞に、澱んだ風が集まり渦を巻くようだった。
 会いたかった。
 ただ、会いたかっただけなんだ。
 そして、触れたかった。
 今度こそ、気持ちを言葉にして、たくさんのことを話したいと思った。
 お互いのことを話し合って、本当に気持ちを分かち合って、互いが触れ合った部分から溶けるように。あのときのように、つい最近のように。
 その姿を見たとたんに溢れ出た喜びを、なんと表現すればいいだろう。その隣に見知らぬ屑共(くずども)が寄り添っている姿を見たときの激情を、なんと呼べばいいのだろう。
 穏やかに微笑むそれが、俺以外の誰かに向けられている現実に直面したときの絶望を、誰が理解できるだろうか。
 会いたかった。
 ただ、会いたかっただけなんだ。
 そして、触れたかった。
 あの時のように触れ合って、抱き締め合って。今度は、言葉にして、互いのことを溶け合っているほどにまで知り合いたいと。
 願ってた。
 もう一度会えば、それが叶うのだと無条件に信じていた。なんの根拠もないのに、疑いもせずに。
 言葉を尽くさずにいたツケが回ってきたのだろうか。言いたいことはこんなことじゃなくて、聞きたい台詞はそんなものではなくて――。
 この路が完全に別たれたことを知った。否、認めるしかなくなったのだ。
 その時の暗闇を、どうして昇華できようか。
 その欲望を無視するころなどできなかった。
 あいつを今さら手放せなかった。

 崩れてしまえ。
 砕けてしまえ。
 消えてしまえ。
 別の誰かのものになるのなら、俺との時間が長くある内に。
 粉々になってしまえ。
 欠片(かけら)となった一粒一粒の魂に、少しでも俺が多く写るように。

 あいつはやっぱりきれいだった。
 光の中から立ち上がり、静かに涼やかに流れる大河のように烈しく。

 ああ、やっぱりもう一度、触れ合いたい…。

 いっそ心ごと砕いてくれればよかったのに。
 魂は砕けて、その欠片の一粒くらいは、お前に触れることができたかもしれないのに。
 お前は俺をおいて去って行き、俺はお前の背を見送るだけ。手を伸ばしても届かない。遠ざかっていく背中を見ても、追いかける体力すらない。
 子供のように泣いて縋りたい気もした。
 ただただ傍にいて欲しいと、我侭を言って引き止めて。
 泣きながら取り留めのない愚痴を零してしまいたかった。
 いっそ心ごと砕いてくれればよかったのに。
 せめて腕すら伸ばせないようにしてくれれば良かったのに。
 伸ばせる腕があるから諦められない。光を感じる瞳があるから無視できない。追いかけられる足が残っているから立ち止まれない。
 この五感のすべてが感じたお前の記憶が残っているから、捨てられない。
 取り戻す。
 絶対に。
 そのためには労力を惜しまないだろう。
 道が交わりすれ違って去り行くことになったのなら、俺の道にむりやりでもお前を連れて引きずり込んでやる。
 お前の歩む道を崩して、お前が因るべき全ての道を崩して。



 交われば、後は遠ざかるだけ。
 交差して、重ならない。

 再び巡り会える日は、いつ――。





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 またまた紅真視点です。だんだん言い回しが変わるし。
 書きながら、お題は「告白」か?と思ったりとか。
 なんか当初の予定からは掛け離れたものができました。
 紅紫はプラトニックな方が好きっぽいです(年齢的にも)
 20040615-ゆうひ

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