勝負


 勝ったと思えばすぐに負ける。
 追い越したと思えばその瞬間に追い返される。
 手を伸ばして。
 指先が触れたと思った瞬間、その背中は遠ざかり…小さくなっていく。
 いつまで繰り返せばいい?
 いつまで追いかけ続ければいい?
 早く、
 早く立ち止まらせてくれ。
 振り返り、立ち止まらせてくれ。
 もう背中ばかり見てる。
 早く、
 早く、立ち止まり、振り返って。
 その姿を正面から見つめたい。
 その面を見つめたい。
 早くしないと、その表情さえ忘れてしまいそうなんだ―――。



 森の一角は見るも無残な姿を晒していた。
 本来であれば雄大にして地から天へと伸びる大木は、見るものの眉根を顰めさせるほどに痛々しく傷つけられ、夏の盛りのこの時期にあっては蒼穹を覆いつくさんばかりに繁る濃緑の葉は数える程度にしか残っていない。大型の獣の爪や牙でさえ、これほどまでに激しい傷痕はつけられまい。幾重にも重なった年輪の一部がかくも無残に抉り取られ、枝葉は無秩序に圧(へ)し折られているそれは一つにとどまらない。
 天空からそれを眺むることができるのであれば、深く巨大な森という名の大海に浮かぶ小島のようにも見えたかもしれない。そこだけがぽっかりと、緑の海を拓けて茶色の筵を晒している。
 大きな獣ではありえない。
 狂暴な獣でもありえない。
 それは人の仕業だった。
 木々がその姿を見ただけで悲鳴を上げるそれは、赤い瞳を不機嫌に光らせて、その日もまたいつもと同じようにやってきた。名を紅真。まだ生まれて十年を生きたかどうかの彼は、腰から剣(つるぎ)を下げて歩いてくる。日々謹直なほどに、彼は濃緑の大地を拓けて行く。
 今日もまた、彼は荒々しく剣を振るい、それ以上の怒気を含ませた気を発散させる。風が巻き起こり幹を抉り葉を落とす。枝の上にちょこんと座る小鳥の寝床が吹き飛ばされていく。
「くそっ、くそっ、くそっ!!!」
 紅真は地面を蹴りつけながら悪態を飛ばした。
 それは修行などという美しいものではない。ただの八つ当たりだ。収まりようのない苛立ちを抑える努力も放棄して、周囲に当り散らしている。
「紅真!」
 そこに割り込んできたのは紅真と同じ年頃の少年の声。まだ高い、周囲によく通る声だった。
 現れたのは紅真とは対極にあるかの如き容姿の少年。名を紫苑。白皙の肌を僅かに紅潮させている。
「なんなんだ!この有様は!!」
「うるせぇ!!」
 紫苑の声には明らかな怒気が篭もり、紅真の返答は紫苑の声になど耳を貸さないという意思をあからさまなまでに押し出していた。
「こんな…これじゃあ森が死にかねない」
「ふん。馬鹿じゃねぇのか。それが森から抜け出て野へ出た人の性なんだよ」
 紫苑が眉を顰めて云うのに、紅真は吊り気味の瞳をさらに引き上げて睨みつける。横目に視線を動かして紫苑を睨みつけて云うその台詞はただ鼻で笑うだけのものではない何かが含まれていた。
 紅く禍々しく輝くその瞳が、それでも苦しげに影って見えるのは、彼の髪と同じく漆黒色の睫の掛かるためだろうか。紅真は射抜くようにして見つめていた紫苑から視線を外すと、どこを見るともなしに胸に掛かる勾玉を弄ぶ。それは紫苑の知る数少ない、紅真の癖の一つだった。
 それを見る度に、紫苑は我知らず眉を顰める自分を自覚して、今度はそれに眉を顰めるのだ。なぜ自分がそれを見て眉を顰めねばならないのか、と。幾度となく繰り返し答えの出たためしはないそれを、紫苑はこの時も飽きずに実行していた。
 彼の癖を知っているからなんだというのか。彼のことなど、それくらいしか知らないのに―――。
 自分への言い訳のような思考は、そこへ辿りつくことで強制的に中断させられる。胸中を急速に占めていくあまりの不快さに自分自身、耐えられなくなるからだ。考えることを終え、意識的にであろうがなんであろうがその考えを頭の中から追い出せばその不快は僅かにでも解消されると本能的に知っているかのようだった。
「こんな、こんなめちゃくちゃな仕方をしてたら、お前が耐えられないよ…」
 胸の締め付けられるような不快さを無理に追い出しながら、紫苑は紅真から視線を逸らせて呟いた。その言葉に、紅真の不機嫌になるのがわかっていたから、直視していることなんてとうてい出来はしなかった。
 なぜか、などということは紫苑自身にだって知りえない。これもまた、彼が本能的に行っているようなものなのだから。
 紅真は紫苑の予測通りに不機嫌に眉を寄せてしかめっ面をつくる。逸らしていた視線を紫苑に戻せば彼の視線の自分から外されていることに、紅真の不機嫌は輪をかけて増幅していくようだった。
 ただ不快なだけから来るものであればそれほどに表情を動かすこともなかったに―――。
 紅真は思わずにはいられない。
 なぜ、こんなにも胸の締め付けられる思いをせねばならないのか。何が、こんなにも切ない気持ちにさせるのか。理由のわからない切なさに、狂おしさに、眉間の皺は深くなる。苦々しさは止めることができずに、不快感が広がっていく。
 そこまでをはっきりと自覚しながら、その答えに漠然と追いつきながら――否、彼はその答えを知りながら、それでもその答えを直視したくなくて、それを本能的に恐れる自分に逆らうことしないままに放っておく。いささか紅真らしからぬその行為もまた、彼の不快さの原因となっているのを承知の上で。
「てめぇには関係ねぇ」
 答える声に苦悩と苦渋が交じり合っていることに、己が感情に押し潰されている紫苑には気づけない。
「そう…だな……」
 答えを返す紫苑の声が沈み、その眼(まなこ)が悲しみに落ちようとも、互いに顔を逸らし続ける二人の間にそれを変える要素は働かない。生まれるのは沈殿し続ける淋しさだけ。淋しくて、言葉も消える沈黙。
 風が二人の間に流れ、真夏に木枯らしが吹く。その風邪にのり吹き上げるのは、濃緑に輝く落ち葉たち。
「負けねぇ…絶対に、てめぇには負けねぇ」
「どうして、」
 この間は、好意を寄せてくれたのに。
 上手く笑えなかったけど、それでも嬉しくて。いつか、また笑えるようになると感じさせてくれたのに。感じられたのに。
 今、向けられるのはあの時以上の拒絶。
 拒絶。
「絶対に、負けねぇ…」
 その声は、空しくあたりに散りいった。隙間だらけの森に、それを内包することなどできないから。
 すべての思いはただ流れて霧散するだけ。
 霧散するだけ―――。



 君の思いが見えない。
 君の想いが見つからない。
 隣にいるだけは見えないのか。
 傍に立つだけでは見つけられないのか。
 ああ、そうか。
 眩しい君に目が眩み、僕は君の何を見ることもできない。
 君よりも輝こう。
 君よりも輝こう。
 そうして今度は君が闇となり、僕は君を抱きしめて見つめよう。
 その姿を見止めよう。

 早く、
 早く、強くならなければ。
 早く、
 もっと早く強く。
 君よりも激しい輝きで君を照らし、僕は初めて君の真実に辿り着ける。
 君に見つけてもらえるだろう。
 君に見止めてもらえるだろう。
 そうしたら、今度は君が僕を抱きしめて。
 強く、強く、抱きしめて。
 だから、


 僕は、君より強くなる―――。






 誰が負けたのか。
 何に負けないというのか。
 誰が勝ったのか。
 何に勝ったというのか。
 まだ、相対することさえ、まともにできていない二人なのに。
 まだ、出会ったそこから一歩進むことさえできぬ二人なのに。

 誰が、何が。誰より、何より。
 勝っているというのだろうか。劣っているというのだろうか。
 こんな、まともに会話の一つさえできない、互いなのに―――。





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 ごめんなさい。一発書きです。頭真っ白です。尻切れです。
 最近あんまりにもまじめに小説書いてなかったので…。
 あかん。なんか文章がいつも以上にくどいです。いや〜!!
 自分で題作って自分で書いてるのに思いっきり外しました。
 こんなはずじゃなかったんだけどな…(予定では)。
 20040725-ゆうひ

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