目を閉じれば、そこには稲光が舞っていた。
 絶え間なく、それは一条の光を持って瞬いては消えてゆき。
 けれどそれは偽りの光。
 雷鳴はなく。
 その稲光はどれだけ降り注いでも暗闇を照らしはしない。

 目を閉じれば、そこには蟲が這っている。
 雷の擬態を持った、幾千の蟲たちが。
 好き勝手に蠢いている。




 とうてい信じたくないことではあったが、紅真はここ最近見る「夢」について悩んでいた。
 夢は時に、未来や己の真実の姿を見せる、神々と人との謁見の場でもあるから、あながち無視もできないのだが。紅真にとってはそんなものに惑わされている自分の姿が疎ましい。
 紅真とて無知ではなかったから、占の重要性も信憑性も知ってはいたが、それでも未だ起こっていないことや、これから起こるかもしれないことに先回りして心配ばかり膨らませているというのはどうにも受け入れがたい。不安ばかり膨らませて未来がやってくるのを待っているばかりであるのであれば、もっと積極的に行動に出るべきだと思うし、彼はそれをこそ好んでいた。
 何が起こるのかわからないから不安で、だから立ち竦んで動けないなど、紅真には疎ましいだけでしかない。何が起こっても、彼は自分の力でそれを乗り越えることができると信じていた。
 それは自分の力を過信しているのではなくて、何が起きても諦めずに足掻き続けるだろう自分を把握していることから来る自信である。諦めれば何もかもがそこで終わるだろう場面で諦めずに足掻き続けることは、最終的な結果がどうであろうとも、かならずや自分に満足の行くものとなるはずだと。
 けれど、現時点における彼はただ悩むことしかできずにいる。両腕を組んで首でも傾げそうな勢いだ。眉間には皺がよっていたが、これはいつものことであったから、誰も気づかなった。

「紅真」

 背後から突然名を呼ばれて、紅真は不覚――後日になって紅真自身が激しく自己嫌悪することになるのだが――にも、方を跳ね上げさせて驚いてしまった。慌てて振り返れば、そんな紅真の過剰だともいえるほどの反応に、相手もそうとう驚いたのだろう。藤色の目を見開いてぽかんとしている紫苑の姿があった。

「な、なんだよ」

 紅真は思わずどもってしまったが、今の彼にはそれに気づき舌打ちをする余裕さえない。
 紫苑は瞳を数度瞬(しばた)かせると、紅真の様子など追求することもないと感じたのだろう。軽く肩をすくめて口を開いた。

「いや、たいしたことじゃないだけどな。たまたま見かけたから声を掛けてみただけで」

 紫苑の返答は素っ気ない。言外にお前に用などないと云っているも同様だ。
 さすがの紅真も、その云いように怒りが沸いた。いや、むしろ紅真だからこそ怒りが沸いたのだろうか。彼の沸点の低さ――特に紫苑への沸点の低さは、彼の周囲の人間すべてが知るところである。

「だったら一々声なんか掛けるんじゃねぇよ、このバカ」
「五月蝿いな。だったら振り向かないで無視すればいいだろう」
「てめぇが万に一つでも本部からの連絡事項を持ってきてることもあるだろうがよ」
「バカか、お前は。俺がお前にそんなこと伝えるわけがないだろう」

 鼻で笑う紫苑に、紅真はますます顔を顰める。
 互いに互いの言動が気に入らなくて、その表情はまったく同じだ。眉間には縦皺、口はへの字に歪み、鼻の周りにも皺がよっていた。
 紅真は紫苑の言動にとにかくイライラしていた。紫苑の言動にだけではない、自分自身の言動にもだ。紫苑への対応の仕方になぜか自分で自分に苛立ちを感じていた。
 紫苑は紅真よりほんの少しだけ強い。そのことに、紅真は何よりも焦燥を感じていることは自覚していた。焦りが苛立ちを生んでいることも。
 しかし、彼が今感じていた苛立ちはそれらとはどうにも異なるように感じられてならないのだ。何が違うのかといえば、苛立ちを感じる対象だろうか。
 常に感じる苛立ちは、紫苑を追い抜くことのできぬ自分と、目の前に立ち続ける紫苑へと向けられている。今回もそれは変わらない。苛立ちは紅真自身と紫苑へと向けられている。
 けれど、何に対して苛立っているのかがわからない。
 紫苑を前にして、紅真は心中かなりの焦りを感じていた。おぼろげながら、自分の中に沸き起こった受け入れがたい事実に気づき始めたからだ。

 紫苑に声を掛けられたとき、俺は一瞬喜ばなかったか?

 紫苑の声を不意に耳に挟み、それが自分の名を呼んでいることに、紅真の心は瞬間的に歓喜の色を示した。その瞬間はそれ以上に、突然名を呼ばれたことに驚いて気がつかなったが、だんだんと冷静になるにつれて、前後の感情が見え隠れして目の前に突きつけられてくる。
 紅真は心中、かなり焦っていた。一人でわてわてと焦っていた。表情は変えずにパニック状態に陥っていた。
 不意に、昨夜見た夢の情景が浮かび上がってくる。それを皮切りにしたように、ここ最近見続けていた夢の情景が後から後から思い出されてきて、紅真はさらに慌てた。
 それは紫苑だった。
 微笑んでいたり泣いていたり怒っていたり。見たことのない姿の方が多かったが、共通していることが唯一つある。
 夢の中に現れる紫苑はその感情を抑えることをせず、かならず紅真の傍にいるのだ。その表情、感情のすべてが、紅真に向けられている。
 紅真は焦っていた。
 胸中、一人でかなり焦っていた。
 最近の彼の寝起きの表情は固定されていた。なぜこんな夢を見るのか理解できなくて、その不可解さに眉を顰めるのだ。
 そういえば気にもしていなかったが、不可解さに眉を顰めても、見た夢を不快に感じたことはなかったのではないだろうか。寝起き最悪状態を、ここしばらく味わっていない。
 これはもしかして…。

「―――ま、紅真!」
「えっ、な、なんだ?」

 紫苑に呼ばれていたらしいことに気がつき、紅真は我に返った。焦点をあわせれば、そこには呆れた様子の紫苑の姿。
 溜息を一つつくと、彼はおもむろに言い放った。

「別に俺のことが気に食わなくて無視したいならそれでもいいけど、路上で突然立ち止まってぼうっとしてるのはやめた方がいいぞ」

 そのまま紅真が弁解する余地を一分(いちぶ)たりとも与えずに、真紅の外套を翻して立ち去っていった。
 後に残された紅真は呆然としたまま、その場に佇んでいた。
 なんだか。
 なんだか。
 なんだか、自分はとんでもない失敗を犯した気がするのは、気のせいだろうか。
 そう思う理由もわからぬまま、紅真は今しばらく、不可解な夢を見続けるのだった。




 目を閉じればそこには稲光が舞っていた。
 そこには音もなく、暗闇が光で覆われることもない。
 そのことが、その稲光の偽者であることを知らせる。
 あれはただの蟲だ。
 闇の中で蠢く、雷に擬態した幾千の蟲たち。
 不気味に蠢くそれを一線のもとに打ち払う、本物の光が現れる。
 やわらなか銀糸を靡かせて、その光の主は剣(つるぎ)を片手に下げて…。





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 ごめんなさい。一発書きです。今熱にうなされてます。
 風邪真っ只中です。これからバイトに行ってきます。
 はじめはもっと精神的なものにしようと思ったのですが。
 目標としての夢って感じで。
 最終的には寝ているときに見る夢に落ち着きました。
 20041227-ゆうひ

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