互い


 いつの間にかそんなものは見失っていた。
 いつの間にかそんなものは消えていた。
 気がつけば目の前には高い壁が聳え、それを登り続けることだけが目標になっていた。
 夢など見失っていた。
 夢など消えていた。
 そんなものを見ている余裕など消え失せていた。

 君に出会って見つける姿。
 君に出会って気づいた姿。

 僕らはそう、まるで合わせ鏡のように、互いに互いを見つめている。




 失って初めて知る陽の光の暖かさと尊さを、どうして夢に見ることもなかっただろう。奈落の底に落ちて上ばかり見上げていたあの日々。
 楽しいと感じていたすべて。
 嬉しいと感じていた時間。
 喜びに溢れた歌のような日々。
 それらが遠く過去の記憶へと成り果てて、何もかもを失った一瞬の記憶。それはあまりにも鮮烈で、目も眩むような輝きを伴っていた。
 目も眩むような輝きを最後に、僕らは奈落の底へと共に落ちていた。
 暗黒も目が慣れると薄暗闇になることを知った頃、出会った君の姿に感じたのは憎悪だった。
 何もかもを失って、暗黒の世界にほんの微かな…本当に、微かな微かな些細な、それでも確かに暖かい小さな小さな灯火。手を引かれて、道を示してくれた男は、きっと暗黒の使者。失った素晴らしき日々の代わりにはならないけれど、代替品だと錯覚できるほどには愛を与えてくれた。
 それは暗黒の使者だった。
 男は道を示してくれて、力を与えてくれて。居場所を与えてくれた。使者の愛情を得るために、より多くのそれを与えてもらうために、その恩恵にあずかり続けるためにはどうすればいいのか。
 灯火のやわらかな熱に導かれてであった君に、それを見つけて、憎悪した。
 強く。
 誰よりも強く。
 そして、彼の思い通りに。
 人形であり続けること。
 役に立ち続けること。
 それが、父の愛だと勝手に錯覚して欲する、使者からの愛への――それが愛などではないことは初めから知っていてなお、僕はそう勝手に錯覚し続けること選んだ――報い。

 誰よりも強く。
 僕と同じ背丈、僕と同じ歳。
 そして僕より常に前にいる君。
 使者愛は、僕より君へと注がれ続ける。
 そうして僕は知る。
 君を見つめ続けて、僕は気がつく。
 君の中にある、僕と同じ絶望。
 一瞬にして奈落の底へ落とされたときに見た光の鮮烈さ。
 その心に触れることは容易くて。
 その心を解かすことは困難で。
 君もまた、男から道を示され、それに酬いるために強くなろうと足掻いてる。

 男は暗黒の使者。
 死を待つばかりの僕らに、生きる希みを与えてくれた。
 それは奈落の底にあって優しく輝く灯火。
 だから僕らは勘違いした。
 その男の手を、雄々しく逞しき父の手のようだと。
 その光は、やわらかく暖かい母の温もりのようだと。
 男の連れは、希望を一つに歩く家族のようだと。
 だから僕らは強さを欲した。
 だから僕らは強くならなければならなかった。
 もう二度と、その希望の灯火を消さぬために。
 あまりにもささやかなその光を守るために。
 その微かな温もりを独り占めするために。
 その小さな明かりを、より大きくするために。
 ただ誰よりも、何よりも、強くなりたかった。
 けれど男は暗黒の使者。
 僕らに与えたそれは、僕らを奈落の底に突き落としたあの鮮烈なる輝きの残光。いや、あの光をより禍々しく凝縮させたもの。
 君に言わせれば、それは僕らの心を騙すための餌。
 そして、互いに同じ道へ導かれて進んでいたがために憎悪した僕らの道は、別たれる。




 奈落の底へ落ちた僕。
 奈落の底へ落ちた君。
 僕はそこで見つけた餌を求め続けて。
 君はそれよりなお美味そうな餌を見つけた。




 もう二度と、僕は失いたくはなかった。もう二度と、落ちたくはなかった。
 やっとここまで登ってきたのに。
 やっとここまで這い上がってきたのに。
 また別の奈落へ落ちて、一から這い上がるのか。
 それ以上に、僕はもう二度と、どんなに冷たい光であっても、それが本当は皮膚の下の血流さえ凍らす絶対零度の刃であったとしても。
 僕はもう、父にも母にも家族にも錯覚したそれを、失いたくはなかった。
 そう錯覚することで、僕はようやっと、奈落の底を彷徨うのではなく、上を見上げてその絶壁を登ることをし始めたのだから。
 君とそれを奪い合うのは、けっこう楽しかった。
 母の愛を奪い合う兄弟のようで、実はけっこう楽しかった。
 けれど、君はあっさりとそれを手放してしまったのだ。僕よりもバカで単純で、僕が男の正体に気がついてもなお騙され続けていた君なのに。
 僕よりもあっさりと、それを捨ててしまえた君。
 いとも簡単に、より深い奈落の底へと飛び込んでしまえる君。
 そこが光に満ち溢れているからと、たったそれだけの理由で、君は何が待ち受けているかもしれない、底の見えぬ奈落へ飛び込んでしまった。
 自分を騙してさえ、僕は僕を傷つけるあの絶対零度の光を抱えて離せずにいるのに。
 僕は、君とって、なんなのだろう。
 君にとって、僕らという互いの存在は、いったいなんだったのだろう。




 君がぼくの夢。
 君がぼくの夢。
 この暗黒の底。
 見上げても目を凝らしても光の一筋さえ見えぬ絶望。
 この苦難の絶壁を共に登る君。
 顔を横に振り向ければ写る、必死なその姿。
 まるで鏡。
 まるでぼくの姿。
 きっと、ぼくはこんなふうに、がむしゃらに壁を登っている。

 君はぼくの夢。
 君はぼくの夢。

 この暗闇の苦行の中で、ぼくに再び希望をもたらしてくれた。
 何度でも何度でも、君のその姿が疲れきったぼくの心身に活力を与える。
 君に光を取られぬようにと、気合を入れ直す僕。
 そうして、ぼくはこの断崖を登り続けるのだ。
 いつまでも。
 いつまでも。
 君と共に、あの日の光り輝く世界を見るために。

 僕らはそう、まるで合わせ鏡のように。
 互いに互いの姿を見て。

 ―――己の姿にようやく気がつく。




 そう信じていたのは、僕だけだった。




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 お題のテーマ外してます。なので言い訳多いです、今回。
 ええっと。一部「紅真→シュラ」テイストがあります。
 単独で書くにはなんかこう抵抗感が…。
 紅真はシュラから認めてもらいたくて強くなりたくて。
 シュラに拾ってもらった恩返し(?)のためにも
 強くならないといけないんです(とか思い浮かんだ)。
 元々はこれの一つ前の「夢」の作品として書いていたので、
 ちょこっとエッセンスが残ってます。
 20041230-ゆうひ

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