月の精霊 星の王




***ACT-4***



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 紫苑が月の王の元を離れて太陽の女王の壱与の元で仕え始めたのは、星の王がこの世界を去って直ぐの事だった。

「言い出したのは私だからね。月の孤燈精霊は私のところで面倒見るわ」

 壱与はそう云って紫苑を連れて行った。
 不在となった星の王の代わりに「星」の種族をまとめているのは「太陽」「月」の王と「神」がそれぞれと、後は星の重臣たち。
 誰も星の王が戻らぬ事など考えてはいない。
 ここはそういう世界だった。

「別に月にいても良かったけど」

 紫苑はそう云った。
 壱与と紫苑は実は古くからの知り合いである。
 出会ったのは小さな森。
 身分など知らないほど幼い頃のことだった。

「だめだよ。紫苑くんはね、私のたった一人の親友なんだから」

 仕えてくれる者は数多く居たけれど、打ち解けてくれる友人は居なかった。
 だから壱与にとって紫苑は身分を問わずに友人になってくれたたった一人の親友。

「そう…だな」

 周りには人さえいなかった。
 いつも一人。
 時々会う人は、どこか遠巻きに自分を見るばかり。
 屈託無い笑顔と信頼を寄せてくれたのは、壱与だけだった。

「あのね…。少しは、気が楽でいられる?」

 少し心配そうに聞く壱与に、紫苑はただ微笑むだけで答えた。
 それで十分。
 壱与はホッとした様に息を吐く。
 胸を撫で下ろし、自らも微笑んだ。

「本当はけっこう気にしてるんだよ。こう見えてもね」

 壱与が茶化すように云って見せると、紫苑は「知ってる」と素っ気無く云う。
 壱与はいつだって明るく元気に振る舞っている。
 だからあまり気が付かれないことがある。

 泣きたいほどに傷ついていたり。
 潰れてしまいそうなほどに痛みを感じていたり。

 そういう事を、壱与は表に出さないから。
 誤解されたり。
 勝手に安心されたり。

 だから紫苑は云った。

 ちゃんと君のことを知っている。

「悪かったな…随分迷惑かけてる」

「私が好きでやってることだから、謝られる筋はないんだよ。紫苑くん」

 むしろ謝るの自分の方。

 壱与は心中で呟いた。
 たとえ神の許可が得られなくとも…自分が何を云わなければ二人がこんなに離れてしまうことはなかった。

 次元さえ違う世界へ飛んだ紅真。
 前世の記憶を思い出すなど、普通はできないこと。
 魂の奥底に刻まれた記憶を思い出す術は、その思いの強さの程がただ大きく限りないことであることのみ。

 壱与の提案を受け、神が紅真と紫苑の二人に提示した条件は三つ。

 チャンスはただ一度であること。
 期間は一度目の転生により受けた生が終了するまで(ただし5年以内にその生が終了してしまった場合は、特例として再び転生を許すものとする)
 多次元へ転生した者(星の王)が記憶を取り戻さない限り、両者は逢うことが叶わない。

 紅真が転生した星――地球のある次元を、紫苑たちの世界では≪多宙広界(たちゅうこうかい)≫と呼んでいる。
 紫苑たちの生きる≪三宙界≫よりもずっと数多くの種と広大な天(そら)から成っている世界からそう名付けられた。

 次元と次元の間は幾つかの次元が重なり合っており、そこを≪多高層域≫と呼んでいる。
 自分のいる次元から別の次元へ行くには、そこを通るしか方法はない。

 つまり紫苑は、紅真が紫苑の事を思い出さない限り多高層域を通ることはもちろん、その姿を見ることから逢うこと、話すこと、接触することの全てを禁じられたのだった。

 三宙界と多宙広界の時間軸のずれは大きい。
 それはそこに存在する種の寿命にも関連している。

 そいう部分から考えるならば、多宙広界から見れば果てし無いほど時間の進みの遅い三宙界にいる紫苑と多宙広界にいる紅真との年齢的な時間差は、大した問題になることではなかった。

 問題は精神的な部分だ。
 紅真がいなくなってからの紫苑の衰弱のほどは目に見えるほどに明らかな物で、壱与が気にかかっている一番の部分だった。

 逢いたい。
 たったそれだけで良いと願っていた紫苑のためだと思っていた。

 王と精霊。
 身分のかけ離れたこの二人が一緒になることは、この世界に新しい何かが生まれるような予感がした。

 何もしないでいることは我慢が出来ないが、その結果で何かが傷つくのはやはり痛い。
 その痛みを知っているからこそ人は臆病になるのか。

 そんな事を考えるが、今となっては何の役にも立ちはしなかった。

「紫苑くん。夢…また、見れるといいよね」

 壱与は云った。
 以前、紫苑が紅真の夢を見たと。
 嬉しそうにそう云っていたから。
 そう云って、ほんの少し元気になったから。

 現実で逢えないのならば。
 せめて、夢の中でだけでも愛しい人に逢えるといい。
 そう思ったから。

「いいな…それ」

 紫苑も云った。
 せめて。
 その望みが一抹の希望。

「欲張りになる。今度は言葉を交わしたい」

 以前はただ愛しい人の姿が見えただけの夢。
 欲張りになる。
 せめて夢の中でくらいは。
 寂しさを忘れたい。

「アハハ。惚気ないでよ、紫苑くん」

 壱与は笑った。

 少しでもいい。
 元気になって。
 また、あの美しい羽根を広げて。

 たった一人。
 掛け替えのない友人よ。











 早く思い出して。

 私の一番大切な人を譲ってあげるんだから。

 せめて。

 それくらいは頑張ってよ。











「紅真君が紫苑くんの事これ以上悲しませたら…任せられないな」

 大切な親友を任せる。

「任せる…って……。何云ってるんだ?」

 紫苑は呆れたように云った。
 小さく溜息までつける。

「あら、だって紫苑くんの一番が私じゃなくて紅真くんになっちゃうんだよ。悔しいじゃない、それって。親友としてはさ」

「関係ないだろ。俺の中で、壱与。お前の位置は何も変わってないんだからな」

 拗ねたようにして云ってみせる壱与に、紫苑は云った。

 君の位置は変わらない。
 たった一人。
 掛け替えのない親友。

「エヘヘ…ありがとね」

 壱与は云った。
 どこか照れたようにして。

 二人は微笑っていた。
 穏やかに。
 静かに。
 微笑っていた。

 その夜。
 紫苑の夢の中に現れた紅真は…彼女を忘れていた。











 それはただの夢?
















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 モドル