桜…夜威
陽が沈みて夜
夢と現実の区別はどこでつけているのだろうか。誰がその明確な答えを出せるというのだろうか。痛みからも熱からも夢の中でさえも逃れることができないのに。 心の痛みと肉体の痛みと。陽が昇り落ちて沈んでいくことと、また昇り来ること。 何から逃れようというのか。それさえもわからないのに、なぜ涙は流れて止まることを知らないのか。せめて風がそれを吹き飛ばし、その痕(あと)を消し去ってくれればいいのに。 人は立ち直る。国は発展する。やがて分裂と統合を繰り返し、戦もまた蘇る。 いったい、何に涙するのか。それさえもわからないまま、夢と現実の区別もつかないあやふやな足取りで、それでもさえも歩き続けなければならないのか。 生き続ける限り。 生きていると、己が信じている限り。 「黄鳥〜!お客さんだよ」 酒場「天使の眠る樹」の主人に頼み呼んでもらったのは、青みがかった白銀髪の線の細い少女だった。硝子球のように美しい瞳を丸くさせて小首を傾げるその姿は、その酒場の名にある「天使」のように愛らしい。 「今日は…どうしたんですか?」 憂いを秘めた瞳で俯く少女に、壱与は語るべき言葉を見出す必要を感じなかった。彼女に何を語る必要もない。彼女は自分で、自分の中にある何かに気づき始めている。 「これを…」 両の手の平に載せて差し出したのは、紅真から託されたアレクサンドライトのペンダントだ。繊細な彫りの施された銀の鍵爪によって支えられたそれは、陽の光の下(もと)で淡い緑色に輝いている。 「これは…?」 「アレクサンドライトっていうんだって。紅真君…赤い瞳の人からあなたにって」 いぶかしんだまま受け取る気配の見せない黄鳥に、壱与はただ事実だけを語った。それ以上の深い意味など、もとより彼女は知らなかった。 黄鳥は眉根を寄せて、その視線をアレクサンドライトから壱与へと移した。 「こんな高価なものを頂くことはできません」 「貢物っていってたよ」 「必要ありません」 「そうでしょうね」 「わかっていらっしゃるのでしたら…」 「でも、相手もわかってると思うのよね」 「?」 「わかってて、それでもこれをあなたに贈る必要があったのよ、きっと」 基本的に、無駄なことが嫌いな奴だから。 「必要…」 黄鳥はその言葉に導かれるようにしなやかな腕を伸ばす。白く美しい指が宝石に触れ、そっとそれを手に取り上げる。鎖部分を右手に持ち、左手の平に宝石部分を乗せて、ぼんやりとした瞳でそれを眺めていた。 「紅(あか)…」 「あ、気がついた?どうしてだか知らないけど、それって光の加減か何かで色が変わって写るみたいなの」 太陽光と酒場から洩れる光とで、それは紅と緑とに交互に色を変える。 「紅…紅い桜の花弁(はなびら)」 「黄鳥?」 「桜の、花弁。夜に舞い…溶けて、溶けて、緑を咲かす」 血を吸って朱く染まった桜が溶けた大地には、きっと緑の草があたりを占める。 「黄鳥!!」 突然駆け出した黄鳥に、壱与は驚愕に目を開き呼びかけるも、彼女の足取りの緩むことはなかった。 「レンザ君、追って。紫苑君の足には私じゃ追いつけない!!」 「わかりました!」 駆け出しながらの壱与の言葉を受けて、レンザが駆け出していたその足を一気に速める。レンザとて紫苑の足にかなうわけではなかったが、壱与よりは速い。何より、今の黄鳥としての紫苑にならば追いつけるかもしれない。 「いったいどうしたの、紫苑君…」 もうすぐ陽が沈もうとしていた。やがて月が鮮やかに顔を出すだろう。 世界が滅んでも、太陽も月も星も、変わらずにあり続けることに見出すのは、希望か落胆か。きっと、見るものの心それぞれなのだろう。 紅真は紫水晶入りのグラスを傾げていた。中に注がれ波打つのは水。赤ワインのように染まったそれに、西日が射して不思議な色彩に煌めいていた。 金も人も惜しまなかったおかげか、陽の沈む前に埋葬作業は完了した。金の分配やらなにやらは別の人間に任せてある。それを紅真が自ら行う予定は初めからないから当然だった。 やがて夜が来る。 そして昇るだろう。 「血桜色の月」 古来より、死と再生の象徴として見られていた月。満ちて欠けるその様が、それを連想させたのだろう。永遠に輝き続ける太陽が滅ぶことない永久的な、絶対的な力の象徴であるのなら、月はかならず滅びかならず蘇る、死と復活の象徴。 直視できない太陽の、なんと眩いことだろう。 そんな輝きを放つ月は存在しない代わりに、なんとも見る楽しみに溢れた色彩を演じてくれるものだ。 紅真はグラスを傾けた。 水の味が口の中に広がり、紫水晶が転がり硝子にあたる軽い音がした。出入り口にかけられた鐘の音にも似てうつった。 「紫苑…」 お前が願うから、あいつらを生かし続けてやるんだからな―――。 「俺が一番生かしたいのは、お前なんだぜ」 紅真は笑った。片方の口端のみを歪ませて笑うその眉間に、幾筋かの縦皺が走っていた。 「紫苑!!」 レンザは見える背中に呼びかけた。体裁を取り付く余裕もなく、呼びなれたその名で。 呼ぶ彼女は止まらない。スピードも衰えない。 追いつけそうなのに、追いつけない。 「おい、止まれ!!その先は―――」 ―――海。 水の跳ねる音がした。 海水が飛び散った。 少女を追いかけて、青年が一人飛び込んだ。 青年はすぐに海面にその顔を出すも、少女はどこにも見当たらない。潜っては海面に顔を出しを繰り返して少女の姿を探していると、頭上から声が聞こえた。 「レンザくん、大丈夫?!」 「壱与さん!」 漸く追いついてきた壱与だった。 「紫苑君は?!」 「わからねぇ!海に飛び込んだのは確かなんだが、姿がみえねぇんだ!!」 「そんなっ…!」 壱与は両手で口を覆った。 何もわからないまま、それでもすべてを理解した気がした。 ねぇ、紅真。 信じてくれなくてもいいけど、これは本当なんだ。 きっと、これだけが俺の中にある真実だった。 愛してるよ。 ずっと、ずっと、愛していたよ。 手を伸ばしたのは、決してお前の能力が欲しかっただけじゃない。 お前だから、一緒にできると思ったんだ。 別に、信じてくれなくても、いいんだけれど……。 海の中には炎がたゆたい、やがて泡となり。 泡は海に沈む幾重もの血肉を大地に代えて、ゆっくりと浮かび上がらせた。 なぁ、紅真。信じてくれなくてもいいけど、ずっと、愛してたよ。 「知ってる」 そうか。それなら、いいんだ。 「ああ。俺も、それだけで、いい」 ありがとう。 「好きでやったことだしな。…だいたい、礼をいうなんて似合わねぇよ」 そうか。 「そうだ」 だったら、愛の告白なんて、もっと似合わないな。 「いいんだよ、たまには」 勝手なことばかり云う。 「お互い様だろ」 うん。 「…別れの挨拶は」 お互いに、似合わないだろ? 「そう…だな……」 ずっと、ずっと、愛してるよ。 桜色に頬を染めて、泣きそうな困ったような、そんな奇妙な笑みで云う、天邪鬼な少女の姿が重なった。 暑い暑い夜だった。 血桜色の月の夜。 桜色の雪が舞い落ちて、陽が昇る頃には消えていた。 後には緑の草原。 地平線の見ない、新天地。 人々は駆け足で足を踏み入れた。 |
炎が消える様はまるで審判
----+ こめんと +-----------------------------------------------------
終わった〜。ぶっちゃけ「桜」ってタイトルだけが使いたくて何にも考えないで(思いつき思いつきを繋げるのはいつものこと)書き続けてきたんですけどね、ようやっと終わりましたよ。けっきょく最後まで意味不明で申し訳ない話でした。 ご意見ご感想ありましたらぜひお寄せ下さいです---2004/08/11-(c)ゆうひ |
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