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+ 何よりの苦痛はあの時に +
門の呼び鈴を鳴らす。厳重にロックされた巨大な門の横、モニターを覗き込む。網膜チェックの後に門がゆっくりと開かれた。 (…赤の他人の網膜パターン入力しちゃうんだもんなぁ) キラは門が開ききるのを見つめながら、胸中で苦笑した。 アスランの母はキラのことを実の娘のように思ってくれている。―――彼女は女の子が欲しかったらしい。だからというわけでもないのだろうが、キラがザラ家に下宿することが決まったその日のうちに、いつでも家に出入りできるようにと各防犯システムの解除キーとしてキラのデータ入力を済ませてしまったのである。 おかげで荷物を運び入れるのも、こうしてザラ家の主の誰もが用事で家にいなくともなんの不自由もなく門をくぐることができる。 重厚で、それでいて繊細な細工の施された扉の向こうに広がるそこは、玄関と呼ぶよりはホールと呼ぶべきであるだろう。幼い頃はよく訪れていたそこは、記憶にあるまま、きれいに磨き上げられていた。 「お待ちしておりました、キラ様」 不意に掛けられた声にそちらに首を巡らせれば、そこにも記憶にあるのと何も変わっていないように感じられる、ザラ家の執事長の老人がいた。 姿勢正しく佇むその様は、幼い頃に尊敬のまなざしを向けたあの時と同じように、キラの心に自然と礼節を起こさせる。 「お久しぶりです、クリアさん。これからしばらくの間お世話になります。よろしくお願いしますね」 執事長の名はクリアといった。 キラに微笑と共に礼を執られ、その人当たりのよさそうな顔にたくさんの皺を作り、やわらかな笑みを作る。彼にとって、小さい頃にしょっちゅう出入りしていたキラは、彼が使え世話をしているアスランと共に、孫のような愛すべき存在であった。 「さあさあ、堅い挨拶はなしですよ、キラ様。お疲れでしょう。さっそくお部屋へ案内しましょう」 クリアは優しく云い、キラが手に持っていた荷物を受け取り歩き出す。キラも微笑でそれに従った。 キラに与えられた部屋は邸の南側にある、日当たりのいい客間の一つだった。 自分の家では考えられないほどに大きなベットと、クローゼット。勉強机と椅子の他にももう一つ、くつろぐためのテーブルとイスがあり、さらには大型テレビにバス、トイレまで完備されているその部屋は、客間というよりはどこかの高級ホテルの一室のようで、なにか落ち着かない。 今思い出せばアスランの部屋はこれ以上に広くはなかっただろうか。今から考えれば、自分はよくもこんな豪華で、どこに貴重品が飾ってあるとも知れないところで走り回って遊べたものであると思う。その当時を思い出すと、今更ながらに心臓に悪い。自分は何も壊したりはしていないだろうな…と、半眼になって考えた。 「夕食にはアスラン様もお帰りになるとのことです」 部屋の片付けは一人でするからと告げたキラに、クリアはそう云って丁寧な礼と共に部屋を後にした。 彼の言葉に、キラは胸が痛むのを感じながら、あいまいに微笑って答えた。 早く、荷物を片付けてしまおう。 自分の胸が痛むことには目を瞑り、キラは作業を開始した。 それはキラとアスランが十歳のときだった。 五、六人のグループを作り、各グループごとに発表会をすることになったときに、その年齢の子供にはよくあることであるが、グループは男女で分かれてしまった。男の子は男の子だけで集まり、女の子は女の子だけでグループを作ったのだ。 キラとアスランは同じクラスであったが、その頃には当然それぞれに同姓の友人もおり、二人もそのようにグループに分かれようとした。そして、そこで小さな…その時にしてみれば本当に些細な問題が生じたのだ。 女の子の数がうまく分散できず、誰か一人は男の子のグループに入らなければもっと細かい女の子のグループに分かれて男の子と混合したグループになるしかできなくなってしまった。 女の子は二、三人の特別に仲のよいグループがいくつか集まって一つのグループを作るから、一人抜ければそのままその子と仲のよい子も抜けて…という具合に、一人一人の数でグループわけをするのではなく、いってしまえば「仲良しグループ」一つを一人として計算する。 キラと仲のよかった女の子は他に二人の子と一緒にあるグループに入っていたが、そこはもう六人でこれ以上は多すぎるという。 そこで、まだ四人グループだったアスランがキラを呼んだ。 キラとアスランは幼馴染で、入学した当時からこれまでずっと同じクラスであったから、キラもそれで別に不自由はなかった。というよりも、キラは別に男の子と話すの気後れを感じたりしない女の子であったので、人数が合わないと気づいた時点で、自分が他のどこか人数に余裕のあるグループに行くことになるだろうな…とは、予測済みだったりする。 だから、その時は特に何を感じるでもなく、キラはアスランに誘われるままに彼と同じグループに入ったし、それで別に問題はなかった。 少なくとも、その時は問題にはならなかった。 歪みは小さく、綻びは軽く、問題視するものではなかったから、気づきもしなかった。 それは突然訪れた。 キラの体育着が突然消えたのだ。 その日から、少しずつ狂いが目に見え始めるようになった。 体育着が消え、靴が消え、教科書が消えて、鞄が消えて。気がつけば、周りから人がいなくなっていた。 それまで笑って、些細なことを話したり…そうしていた友人が、自分の傍を離れていった。 キラはそれがなぜなのか分からないまま、それでも自分に付き合ってくれているアスランに、その心を助けられていた。 昼食に一人でお弁当を食べるのは寂しすぎる。アスランが声を掛けてくれて、安堵の息を吐く。 体育着や教科書が突然消えて、アスランが他の友人に借りてきてくれて、どうにか授業を受けて胸を撫で下ろす。 そんなことが、どれほど続いたのだろうか。 一人で歩けば、誰かに押され転び。 何かを置きっぱなしにすれば、それは消えるか使い物にならなくなっていて。 それでも、その時のキラはそれをどこかで楽観視していた。 彼女の隣にはいつだってアスランがいたし、それは何よりも心強い味方で、何よりも安心できる存在だったから。 それはいつもと変わらない朝。 登校時。 その日、いつも迎えに来てくれる彼は、とうとうやって来なかった。 遅刻ぎりぎりに教室に入り、息も切れ切れにいつもの彼の席に目を向ければ、そこには自分を見ようともせずに黙って座る彼がきちんといた。 休み時間にキラはアスランに声を掛けようとして、しかしアスランは無言で席を立ってキラの前からいなくなる。 私の無知は、その真実に気がつかないまま。 目の前で、何かが音を立てて崩れていく気がした。
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一行開きがいつもよりも少ないです。ここは行を開けずに続けて書いた方がいいと思ってやっているので、読みにくいとは思いますが、どうかご了承下さいです。---2003/03/25 |
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