ブレイク・タイム・ケルビム 
〜智天使達の休息時間〜





「真の紋章の封印方法だと?」

 露骨に顔を顰めたのはテッドだった。
 その右手にはティーカップ。左手は開いた本が閉じてしまわぬようにとその上に置かれている。聊か行儀悪く――良く言えばワイルドに――足を組んだ膝の上にその本は乗せられていた。
 良く晴れた午後。アフタヌーンティーというものでもないが、グレッグミンスターのマクドール家の広いリビングで寛いでいるときのことだった。

「なんだよ、その反応は。別に、ちょっと云ってみただけだよ。グラスランドの方でそういった技法が伝えられていたって云う話を、ちょっと小耳に挟んだからさ」

 答えたのはこのマクドール家の主、レイだ。テッドの露骨な反応に、いったい何をそんなにいきり立つのかと、話題を振った張本人であるにもかかわらず、呆れたとでも云うかのように肩を竦めて、その背をソファに投げ出した。
 テッドの苦虫を噛み潰したような表情は相変わらず変化が見られない。

「なんでそんなに顔を顰めてるのさ。別にお前や僕が『この』紋章を手放したいとか、そういうことを云ってるわけじゃないんだぜ」
「当たり前だ。というか、その技法ならとうの昔に知ってる」
「え?! マジでか?!!」
「ああ。大マジ」

 ソファに沈められていたレイの体が勢い良く前のめりに起き上がたった。今度はテッドの方が落ち着き払った様子で頷き、紅茶を一口啜る。
 レイは言葉だけでなく、その全身で、テッドに話の続きをせがんだ。

「どういうことだよ、それ。初耳だぞ。そんな方法を知ってたなら、さっさそそうすれば良かったんじゃないのか?」
「…グラスランドでっていうのは、シンダルの技法のことじゃないのか?」

 疑問系ではあるが、訊ねるテッドの台詞は確信しているかのような口ぶりで語られた。

「ああ、そうみたいぞ。なんでも、五十年だか百年だか位前に『炎の英雄』とか呼ばれた奴が、その身に宿した『真の火の紋章』を、その術で肉体から取り外し、封印したとかしないとか…。確か、そんな内容だったと思ったけど」
「それで大筋間違いないぜ。ちなみにその炎の英雄の名前はセッカ。――正しい発音はセキカだったかな? まあいいか、そんなことは。で、その封印の技法とやらを教えてやったのは俺」
「ええ?!!」

 テッドからさらりと紡がれる台詞に、レイは再度驚愕に目を見開いた。

「たまたま通り掛かって巻き込まれたんだよ。で、教えてやったわけ。元々、あの技法は俺の村に伝わってたものだったんだよ。俺の村ではずっと、その方法を用いてソウルイーターを封印してた。特に誰かの身に宿して守るんじゃなくてな」

 彼は村長の孫だったので、その技法を教えられてたんだと語った。当時は何のことだかさっぱり理解できずにいたが、その身にソウルイーターを宿したことによってその存在を知り、教えられたそれが『何を』封印するための技(わざ)であるのかを悟ったのだという。
 そして、長い年月を旅する中で、その細部について独学で身につけたとのことだった。

「まぁ、ウィンディが村を襲撃したことで、そういうわけにもいかなくなったけどな」
「えっ? じゃあ、これってそういう風に封印してた方がいいんじゃないのか?」

 レイが右手の甲を差し出して示すのに、テッドは頭を横に振ることで否定の返事をした。

「その術は宿主への負担がものすごいんだ。そんなことしてみろよ。お前の寿命なんて数年持つか持たないかになりかねねぇぜ。ホノカを悲しませたくないんだろ」
「それはそうだけどさ……」

 どこか不服そうに唇を尖らせて抗議するレイに、テッドはふっと苦笑し、肩を竦めた。

「そもそも、真の紋章を保持するのに、その身に宿す必要性は皆無なんだ。竜王剣に封じられていたこの覇王の紋章や、星辰剣として使用できる夜の紋章を見れば一目瞭然だろ。ホノカの故郷のハイランド王国のルカとかいう王子様は、別にその身に宿すことなく獣の紋章を目覚めさせたしな」

 月の紋章はシエラが宿しているが、それ以前は蒼き月の村の中心に置かれ、吸血鬼たちにエネルギーを与えていたという。
 門の紋章の表の相は、現在テッドの預かりになっている。興味がないからとサツナからテッドに譲り渡されたそれを、テッドはその身に宿しているわけではない。しかし『物』扱いで世間一般的な意味合いからすれば、それは間違いなくテッドの『所有』ということになるだろう。
 赤月帝国に竜王剣として覇王の紋章があり、ハイランド王国に獣の紋章があった。群島諸国のとある国には罰の紋章が眠っていたし、グラスランドには真の紋章の幾つかが存在しているといわれている。この他にファレナ女王国にも真の紋章の話はあるし、国や大きな集合体が真の紋章を所持している例は多い。

「ただ、真の紋章を宿した人間には、大なり小なり、必ず『孤独』という名の呪いが降り掛かる。それを回避するための処置に過ぎないさ。門の紋章の一族も、ハルモニアに攻撃され、レックナートとウィンディがその紋章を分け合ってその身に宿す以前は、神殿に安置されて守っていたって話だしな」
「彼女たちのことを知っているのか?」

 レイがいう『彼女達』とは、『門の紋章の一族』について、そんなにも詳しく知っているのかという意味だった。
 これまで彼はテッドが何も知らぬままにソウルイーターを継承するに陥ったと認識していたから、まさかそれ以前に滅ぼされた門の紋章の一族についてまでその知識が及ぶなどとは思いもしなかったのだ。

「当たり前だろ。これでも俺の故郷とあの二人の故郷は、真の紋章をこそこそと守ってきたっていう点では同類だからな。知ってるさ。…理解したのは、随分と後になってからだったけどな」

 ずっと夢物語の如く、繰り返し言い聞かせられていたものだった。耳に蛸なその話は、吸収力に優れた幼い子供の脳にしっかりと縫い付けられ、知識となった。けれどそれがどういうことであるのかを理解するには、長い旅の中に、僅かなりとも余裕の生まれるほどの年月を経てからだった。

「でも、門の紋章の一族や、俺の村、それに蒼き月の村の例を見れば分かるとおり、そうして紋章を守っていくってのは、最近じゃすごく難しくなってるんだ」

 どれも長い歴史を持つ集合体だ。しかしどれも『国』と呼べるほどに大きな集合体ではなく、それ故に大きな力も持たず、ひっそりと隠れるようにするばかりが、最大の防御術だった。
 それまでは『真の紋章』などは御伽噺のそれでしかなく、その存在を信じて求めるものなど高が知れていた。しかし前2年頃にアロニア王国の滅びと共にハルモニア神聖国が建った頃からそれに変化が起こりだした。
 ハルモニア神聖国の建国者であり、現神官長でもあるヒクサクによる真の紋章狩りは、広くこの世界に知られた話だ。その手段を選ばぬ方法については、真の紋章に関わりのある人間ならば、大なり小なり身にしみている。
 テッドやレイ、ホノカやその友人なども、その例に漏れない。

「だから個人で宿してた方がいいっていうのか?」
「そうは云わないさ」

 テッドは僅かに視線を伏せた。
 その瞳の奥に浮かぶのは、彼の、或いは彼らの歩んできた、真の紋章と共にあった人生。嫌なことも辛いことも。悲しみも。この世の地獄と修羅を体験した。
 けれど、それらがあって初めて、それに勝るほどの幸福に出会えたのだ。それに立ち向かう勇気も、折れることない自分自身も。
 何もかも、今の自分はそのすべてで成り立っている。

「ハルモニアも、元々は人に宿さずに真の紋章を保有してたみたいだし…。真の五行の紋章の半数は、今でも人の手を離れてるって聞くしな。ただ、そうやって人の手を離れている真の紋章は、移動が容易いんだ。赤月帝国の覇王の紋章も、ハイランド王国の獣の紋章も、元はハルモニアのものだった。実を言えば、真の火の紋章や、真の水の紋章も同様なんだ。それが、今はグラスランドにある。真の風の紋章は魔術師の塔に渡り、月の紋章も、一度はその正当な宿主から奪われた」

 吸血鬼の始祖たる彼女が保有している間(かん)には、決して起こり得なかったことだ。

「でも、真の紋章には他の紋章にない『意思』のようなものがある。誰もが容易に宿し続けることが出来るわけじゃない。宿主を得て、紋章は最もその呪いの力を発揮する。底に意味を見出すような奴、レックナートくらいしかいないだろうけどな。……ヒクサクが何を考えてるのかは分からないけど――」

 テッドが話題を変えようとしたときだった。小さな音と共に、リビングに新たな客が足を踏み入れたことにより、彼はその口を閉ざした。

「テッドさん」
「サツナ。どうかしたか?」
「いや、なんでもない。――レイ、ホノカが迷ってる」
「ホノカが? いったい何にだい?」

 珍しくレイに面(おもて)を寄越して云うサツナに、レイは僅かにソファから腰を浮かせて訊ねた。

「故郷の方で気になることがあるらしい」
「……悪い、テッド。ちょっと席外す」
「おう。云って来い、云って来い」

 テッドはひらひらと片手首を振った。まるで追い払うかのような好い加減な仕草が、それを許される二人の絆を明らかなものにして見せているようだった。
 なんでもないことを装いながらも、心はホノカのことが気になって仕方のなくなっているレイの背中を、呆れたような視線でテッドは見送った。

「珍しいな」
「別に」

 サツナが他人のことを、頼まれてもいないのにわざわざ知らせてやるなどという行為に出るのがひどく珍しいことだったので、テッドはサツナに視線を戻してただそう云った。ましてサツナはどういうわけかレイのことをあまり好いていないようであるので、いったいどういう風の吹き回しかと思ったのだ。
 しかしサツナは事も無げに返すばかりだった。
 テッドは肩を竦めて、それ以上の追求を諦めた。元々それほど強い興味があって訊ねたわけではなかったし、何より彼は誰よりもサツナという人間のことを良く理解している。
 サツナが意図して語らないことで、テッドは本気で追求するつもりがない。ならば、彼が口を開くことなどないだろう。

「サツナ」
「ん」

 来い来いっと、レイを見送ったときと同じに――けれどそれとは真逆の意味を持って手首を前後に振れば、サツナはこくんと頷き、テッドの元へと足を向ける。
 一人掛けのソファに二人が座れば狭いだろうに、元々キングサイズのソファであるからか、二人の気持ちの持ちようなのか。そんな様子はまったくなく。
 二人は寄り添って、昼の、コーヒーのようにまろやかな時間を楽しんだ。








talk
 なんか言葉が出てこないし…。タイトルが思いつかなくて朝に上げようと思ってたのが夜になりました。話は気に入ってたりします。
 タイトルもいい加減でごめんね。でもいいよね。マンション名だって、いろんなことばくっつけられてるもんね。歌詞だって、日本語の中に突然別言語が入ってくるしね!!(←苦しいなぁ…)。タイトルのケルビムは日本語訳(?)で智天使のこと。語源であるヘブライ語では『知識』とか『仲裁する者』とかいう意味があり、他にも『護衛』とか『番人』とかなんとか。なんかとりあえす『知恵』とか『封印』とか『守護』とか、そんな意味のタイトルにしたかっただけ。上げるぎりぎりまで『コーヒー・ブレイク』か『ブレイク・タイム』でタイトル決まりかけてたんですけどね。坊もテッドもサツナも、みんなまったりくつろぎ時間を過ごしているので。でもな〜んか、当初この話を書き始めたときのイメージに合わなくて…。しかもコーヒー飲んでないし。飲んでるの紅茶だし。で、けっきょく最初の候補と探して出てきた二つを無理やりくっつけて、ついでに遊びで余計なものをくっつけた、と。相変わらず長いね、コメント。言い訳ばっかりですよ。ちなみにくだらないおまけというか、オチはこちら
 ご意見ご感想お待ちしております。_(c)2006/09/16・17_ゆうひ。
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